本編沿い

□『for you+』
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照明に反射して、煌めく金糸にアスランは指先を伸ばした。
白いシーツの上に散らばる上質の輝きに指を絡めて、愛しげに口許を綻ばせる。
たった一人の、最愛の人。
今までも、これからも、心に想うただ一人の。
あどけない表情で傍らに眠る、愛しい彼女の髪を飽くこともなく撫で梳きながら、彼女を独占する幸せを噛み締める。
ここ最近は、ずっと夢に魘される日々を過ごしていた。
この時期になると、いつだってそうだ。母を失ったあの日から、ずっと繰り返し再生される悪夢に精神を蝕まれ、ふとした瞬間に不安に陥る。
また大切な者を失ったらと。自分のあずかり知らぬ内に。もしも愛しい人を、カガリを。
失ってしまったら。──或いは既に、失っていたら。
今、この瞬間に。もしも彼女が消えてしまったら。その存在が自分の作り出した夢だとしたら、幻想だったとしたら。
一度そんな事を考えてしまうと最後、どんなに自分自身に大丈夫だと言い聞かせても、不安に押し潰されそうになるのを止められなかった。
だからあの時、どうしても彼女の存在を確かめたかった。
一目で良かった。少しでもいい、彼女の姿を一瞬でもこの目に映せたならば、きっと安心出来ると思って。
無意識に足は彼女の執務室へと向かっていて、気付けばその重厚な扉をノックしていた。
けれど、そこで躊躇った。
彼女は執務中だ。自分だってまだ勤務中の身で、ほとんど意識半ばでここまで赴いたアスランには当然、彼女に面会出来るような要件を持ち得ていない。
引き返すべきだと思った。同時に酷く恐ろしくなった。
もしも、確かめて。そこに彼女がいなかったら。
もしも、もしも母のように。
ドクドクと鳴り響く動悸に思わず身を引こうとして、けれど足はすくんだように動かない。
不安に駆られる胸。頭痛が襲い、目眩がした。
闇に飲まれそうになり、抗うように口を開いた。
震える喉を叱咤して、助けを求めるように絞り出した声。
こんな細い声では、きっと扉の向こうには届かない。
そう思った矢先、真っ直ぐと駆け寄る足音が耳に響き、勢いよく扉が開かれた。
驚きに開く視界の中、金色の輝きが飛び込んで。
向けられる琥珀に、何がなんだか分からない内に突如として腕を捕まれ中に引き込まれた。
布越しに触れた温かさに、彼女の温もりに心が震えた。
そうして彼女は、暗闇に迷い込んだアスランをいともたやすく引き上げてくれて。今こんなにも心安らぐ幸せを、アスランに与えてくれている。

「…ん……」

小さな声が、耳を優しく撫で。
ふと意識を浮上させると、彼女が睫毛を震わせゆっくりと瞼を持ち上げるところだった。

「…あす…らん…」

ぼんやりとした瞳のまま、舌足らずな声で名を紡がれる。
アスランは髪に触れていたその指を、柔らかな頬に移して瞳をやわらげた。

「ごめん。起こした?」

彼女の姿を眺めていたくて、どうしても照明を落とせずにいたから。その上ずっと彼女の髪にも触れていて。
目覚めを促すつもりはなかったけれど、彼女の眠りを妨げてしまったかもしれない。
申し訳なく思うものの、彼女の夢うつつなとろりとした表情が可愛くて、アスランはつい頬を緩めてしまう。
頬にかかった髪を耳にかけてやりながら、アスランが声を潜めてそっと問うと彼女はシーツの上でふるりと小さくかぶりを振った。
じっと見つめてくる瞳が、ゆっくりと瞬きを繰り返す。

「…おまえ…ずっと、おきてたのか…?」

「うん。勿体なくて、寝顔ずっと見てた」

辿々しく問われた言葉に、正直に返答を返せば彼女はさっと頬を赤らめて。
居たたまれないと言った表情で視線を彷徨わせた彼女は、口の中でぽそりと呟いた。

「……ばか」

それがまた可愛くて、アスランはカガリを引き寄せる。
あ…っ、と小さく声を漏らした彼女は、けれども抵抗せずにアスランの腕の中へと大人しく収まった。
華奢な体を包み込み、柔らかな温もりを味わえば、たちまち満たされる胸にアスランはうっとりと甘い息を零す。

「あったかいな」

背に腕を回して、甘い彼女の香りを堪能する。
心が蕩けるようだと思った。

「……ん」

小さく頷いたカガリが、寄り添うようにアスランの胸へと頬を寄せてくれて。
心地よい温もりに、幸福を押し隠せない笑みが零れる。
回した腕をそのままに、さわり心地のよい髪に指を潜らせながら、大切な宝物を慈しむように指先でそっと彼女に触れた。

「……アスラン」

何度も何度も指を潜らせては絡ませてを繰り返し。
そうして確かめるように彼女の存在に触れていたアスランのシャツ越しに、ふいに彼女の温かな吐息が掛かった。
愛しい声に名を紡がれ、拘束を緩めてうっとりと甘く返したアスランに、彼女が腕の中から上目にじっと見つめてくる。
その綺麗な飴色の瞳が、ふわりと悪戯っ子のように笑った。

「こうたい」

「え?」

彼女の唐突な一言に、きょとんと瞬きを繰り返すアスランを一人置き去りに、彼女は小さく身動ぎして。
腕の中から抜け出した温もりに、訳もわからぬまま彼女を見つめていたアスランの視線の先、彼女がぽんぽんと自らの胸をその手のひらで叩いた。
首を傾げるアスランに、彼女の口角が綺麗に持ち上がる。

「次はアスランが、こっち」

言うなり、彼女がアスランの手を取って。
驚く暇もなく、彼女の胸の中へと引き寄せられた。

「カガリ……?」

「今度は私が好き勝手するんだから、アスランはここ」

ぎゅっと細い腕に包まれて、薄い布越しに彼女の体温がアスランを満たす。
背を撫でるように動く彼女の手のひらはどこまでも優しく、温かみに溢れていて。
初めは彼女の意図が掴めずに疑問でいっぱいだったアスランも、やがては身を任せるようにしてカガリの胸に収まった。

「それに、少し寝ないと」

それを確認して、彼女が慈しむように声をやわらげる。

「ずっと眠れてなかったんじゃないか?だから、今日はもう眠った方がいい」

「カガリ、でも……」

「つべこべ言わずに大人しく寝る。それともなにか、ここじゃ不満なのか?」

眉を寄せた彼女に、アスランはまさかと首を振った。
けれど、せっかく彼女が傍にいるのに眠ってしまうのはどうにも勿体ないのだ。
ただでさえ二人の朝は、早い。彼女を独り占め出来る時間は限られているから、尚更に。

「私な、頑張ったんだ」

「……カガリ?」

「その甲斐あって、少しずつ時間に余裕が出来てきたから…だから。呼んでくれないか?」

「呼ぶ…?」

疑問に見上げる先、彼女が柔らかく瞳を細めて頷いた。

「うん。呼んでくれたら私、お前の元に行くから。さすがにすぐに、って言う訳にはいかないかもだけど。でも、それが出来るように、頑張るから」

アスランは静かに瞠目した。
彼女の言葉が胸にゆっくりと浸透し、甘い痺れとなってアスランを襲う。

「……本当に?呼んでも、いいのか?カガリを?」

「うん。呼んで」

やっとのこと、震える声で続けざまに問いかければ、彼女はふんわりと眩しく笑った。

「その代わり、私が呼んだ時には来てくれるか?」

勿論、無理がない程度で構わないから。そう言って首を傾げる愛しい人に、アスランは泣きそうに微笑んだ。

「……カガリが呼んでくれるなら、飛んでいく」

「ははっ。お前なら、本当に飛んで来てくれそう」

嬉しそうに笑う彼女に、アスランもまた同じように口元を緩めて笑った。
そんなアスランの髪に指を挿し込み、彼女は甘く言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
それはあまりにも慈しみに溢れた、優しい声音で。

「だから、さ。今日はもう眠ろう?本当はお前、すぐにでも寝れるくらいに疲れてるだろ」

そうっと、ガラス細工に触れるかのような繊細な手付きで、彼女が頬に触れてくる。
思わず声を詰まらせるアスランに、迷いのない瞳で更に彼女は言葉を重ねた。

「いるぞ、ここに。目が覚めてもちゃんと」

「……っ」

「一緒に起きような」

「────…」

ああ、どうしたって彼女には、敵わない。
何も告げずとも、何も乞わずとも、いつだってアスランの欲しいものを差し出してくれる。
押し殺した感情を、押し隠した本音を、こんなにも優しく引き出してくれる。
眠っている間に失ってしまったらと、この期に及んでも怯えていたアスランに彼女は気付いてくれて、日溜まりのような光を照らしてくれる。
それがどれほど、アスランの胸を打ち震わせることか。
きっと彼女は、知らないだろう。

「魘される前に、私がちゃんと起こしてやる」

だから大丈夫だと笑みを零す彼女に束の間、捕らわれるように目を奪われていたアスランは徐々に口元を綻ばせると、ゆっくりと首を振って見せた。
次いで、彼女の指先が誘うままに身を預け、その温かな胸元に顔を埋める。
伝わる優しい鼓動、身を溶かす体温。
包まれるような心地の中、アスランは確かな確信を持って彼女に返した。

「魘されないよ」

カガリがいるから。
はっきりと言い切ったアスランに、彼女の指先が少しだけ驚いたように動きを止めた。
そんな愛しい彼女の気配を全身に感じながら、アスランは囁くように吐息を零す。
眠りの世界へといざなわれる間際に囁いたそれは、本人に届いたかは分からない。
けれど、とろりと瞼を下ろしたアスランの耳に、彼女の嬉しそうな声が優しく奏でたような気がしたから。

「……私も、お前に会えて良かった」

──きっと今夜は、幸せな夢に包まれる。



fin

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