dream


□ワタシノメシア
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『……東京……?』

『おん』

『光……東京の大学、目指してるの?』

『……おん』

『……合格したら……』

『上京する』







光、私とても怖くなったの。
もしかしたらこのまま、私達はずっと離れ離れになってしまうんじゃないかって。
体も離れたら心も離れてしまうと思ったの。
だから、私は本当は、今だから言えるけど、東京の大学なんて落ちちゃえって思ってた。(ひどいね私)
でもね、離れてほしくなかった。
私は、離れてても想いあえる自信がなかったからなの、臆病者だったの。


光が東京に行ってしまうことが決まったとき、私は更に怖くなった。
来てほしくなかった現実が来てしまった。
ごめんね。彼氏の夢も素直に応援できない私で。








『……ごめんね』

『何がや』

『……ずっと……ずっと、光のこと……っ、応援、できなく、て……っ』

『泣くんやない』

『……っうー』

『お前がいくら不安がったって無駄やで』

『……?』

『俺はお前から離れる気あらへんし、別れる気もあらへん』

『光……』

『お前が遠距離なんて嫌だ無理だなんて言うても喚いても俺は手放す気あらへん。逃がさへんし』

『ウワ……光、横暴だね……!』

『ちゃうわボケ。これが俺の愛情やねん』









光は涙にまみれた私の目じりを、そっと拭ってくれた。
私を映す瞳は今までにない以上に優しくて、だから、彼が遠く離れた土地に行くことは止められないのだと悟った。
いかないで、いかないで。
聞き分けのない子供のように、言葉にそう紡ぎだすのを涙の代わりにして、私はその時ずっと泣き続けた。彼の腕の中で。












光は私の憧れ。
光は私の輝き。
私の青春はすべて光に捧げた。
光に捧げたものは全部全部素敵な思い出で。
今の私は細胞から何から何まで財前光で構成されてると思うの。


ねえ光、私、光と別れたら死んじゃうかも。
冗談じゃなくて。死んじゃうかも。
そう彼に言ったら、アホゥ、とデコピンされた。






『別れるなんて思考、消してしまえ。お前と俺は絶対わかれへん』






涙でてきて、心の奥できゅんって何かが弾けた。
光って依存させるのが上手。


















東京で一人暮らしする準備も済ませて、荷物も先に送って。
あとは自分と小さな斜めがけ鞄を持っていくだけ、という光を、見ているだけで辛くて仕方なかった。

光は離れる最後の最後まで、光のままだった。
何も特別なことなんてしないで、哀愁なんか漂わせないで。
ちょっと、そこのコンビニに行ってくるから、みたいなノリで。
もしかしたら東京なんて行かないのかも。私の不安が集まってできた妄想なのかも。
そう思ったりもしちゃうくらいだった、ときどき、嘘みたいに光はこれからもずっとすぐ隣にいる気がした。











『光、これ。これ欲しい』

『……ペアリング?』

『なんか、しるしが欲しい。わかりやいしるし』

『しるしってなんや?』

『光は私のものっていうしるし』

『あー』

『左手の薬指につけてね、ちゃんと』

『は?』

『女除け。光モテちゃうから、これで牽制しなくちゃいけないでしょー』

『……お前もちゃんとつけなアカンで』

『ん?』

『男除けせなアカンてこと』










光は少し気恥ずかしそうな、でも悲しさをごちゃ混ぜた顔で、他の男と浮気すんなよ、と目で訴えてた。
愚問だね、光。わかってるくせに。
光以外の男なんて男じゃないよ、私の女としての性が目覚めてくれるのは、光の前でだけ。

買ったのは安物のペアリング。
買ってすぐに、二人で左手の薬指につけあった。
まるで指輪交換のようだって、二人で微笑んだ。
光は、どこかの本の気の利いた少年のように、「いつかちゃんとした指輪を渡すから」なんて洒落た台詞は吐かなかったけど。

















東京へ発つという日でも、彼は普通だった。
ちょっとさすがにおかしいんじゃないかと。家族とも友人ともわたしとも離れるというのに。
不安も悲しさもさびしさもないのだろうか、彼には。





『永遠の別れじゃないやろ』





……そうだけど。そうだけどね、そうなんだけど……そうじゃないじゃない。
いつも毎日会えてた日常じゃなくなるんだよ。
当たり前のようにあえなくなるんだよ。
何も感じられなくなっちゃうよ。
光はここにいるのに。











大阪駅で光の乗る新幹線を、学校の仲間と彼を見送るためにやってきた。




『財前と一緒にいなくていいの?』




って色んな人に言われたのは当たり前だと思う。
あんなにうっとおしいほど二人で、いつでも一緒にいたから。
一緒にいたいよ、一緒にいたい。
けど、今会ったら私、きっと光を離してやれないと思うの。
だから、私は光の声を聞いちゃダメ。
姿も見てはダメ。
あとでテレビ電話でもするからいいよ、って言い訳をして、自分にしっかり言い聞かせてた。
本当は声も聞きたいし姿も見たい。
けど、光に迷惑かけちゃうからダメ。
目の前でわんわん子供みたいに泣いたら、彼に迷惑なのはわかりきってるのだから。








『あっ、財前来たじゃん!』

『おーい!』

『……なんやお前ら。メンドイことしよって』

『わっ、ツンデレきたー!』







わっ、と場が盛り上がる。
うわ、どうしよう。声、声聞いちゃった。
光がいる。光がきてる。
光が――大阪を離れるために――ここにきた。









『おーい財前、そういや嫁ここにおるけど』

『……は?』

『そうだよ、でてきなよ何隠れてんの』

『えっ、わっ、やっやめて!』









みんなが押す、ひっぱる、投げる。
みんなの群れの後ろの方にいたはずなのに、気づいたら光の前にひっぱだされてた。
やだ。顔みたくない。みたらダメ、泣いちゃう。
私こんなに女々しいヤツなんだってこと理解させられちゃうからやだ。
光の前ではいつだって笑顔でいれたのに、今は顔が歪むのが抑えられない。








『何うつむいてんねん』

『ひ、光』

『顔みて話したらどーや?』

『……!……いじわる……!』









光は私の両頬おさえて、ぐいってひっぱって上を向かせた。
見てしまった――光の顔――
涙止まらないよ、止めらんない。
光いかないで。いかないで、私の傍に居て。
私怖い。
本当にこのままでいられるの?
私たちは想いが繋がったままでいられる?
私を捨てたりしない?私を放り出したりしない?
私だけ、愛してられる?忘れたりしない?

後ろで、クラスメイト達が口笛吹いて冷やかしてくる。
やめて。何もしないで。どこかへ行ってしまって。
何にも触れないで。私達はほうっておいて。








『顔ボドボドやで、お前』

『こ……ここ最近、ずっと、な、泣きっぱなしだったん、だから……!』

『……』

『わ、わたし、聞き分け、よくないから……光が、私のこと、ずっと……ずっと、好きだって言ってくれ、ても、信じられ、なくて』

『……』

『わたし……こわい……!』









ああやだ。言ってしまった。
光に迷惑かけたくなくって、困らせたくなくって、だから、近づかないようにしてたのに。
行っちゃヤダって言ったって、光は行ってしまう。
私が――私がもう少し大人だったら、光は困らなくていいのにね。ごめんね。

追いかけていけたらいいのに。
どこまでも一緒にいれたら。そしたら。
私はこんなにも光が好きだから、光が私を好きじゃなくなることが怖い。












『俺かて怖い』

『……ひかる……?』

『俺かて……俺かて怖い。お前は俺をずっと想っててくれる?好きでいてくれる?俺を忘れへん?』

『そんな、こと……!』

『そうなん言うてもろたって、怖いもんは怖いねん。不安は消えへん。俺らがお互いに、どれだけ言葉を重ねても』

『……ひかる』












……光も怖いの。私も怖いの。
私が光の気持ちが遠ざかることになるのが怖いように、彼もまた。


光の、どことなく震える手を、私は両手でぎゅっ、と握った。
その後きつく握り返されて、その大きな手の暖かさが少し寂しかった。
指を絡めあうこんな行為も、すごく幸せなものだったのにね、今は凄く悲しいよ。


紡いできていたのにね、二人で。
出会ったときからずっと、カラフルな糸でからころと紡いできた、二人の物語はどこか怠惰で平凡だったけど。
だけどずっと二人で、二人の糸で紡いでた。二本で一本だったじゃない。

これからは糸を離して、それぞれの場所で、互いに知らないことがたくさん増えていく。










『会いにいく……私……バイトして、お金貯めて、会いにいくから、だから……』












――なかないで。
今度は光が泣きそうだった。
光が弱いところを見せるのを、私は初めてみたから凄く動揺した。
切れ長の目が震えてる。
細い睫毛が瞬いて、雫がこぼれそう。
光の涙を見ていたら、私の苦しみなんて凄くちっぽけなものに思えた。
光ごめんね。
光のほうが、きっと何倍も苦しいのに。
光は生まれ育った土地を離れて、友達と離れて、家族と離れて――私と離れて。
ちょっとうぬぼれ入ってる?うそ冗談、これはうぬぼれじゃないわ。
光も私も、お互いがきっと何よりもいとおしいから。













『……はぁ、情けないわぁ、俺』

『なんで』

『泣かへんって、決めとったのにな』

『……バカ』

『うるさいわぁ……』

『光……がんばってね』

『……おまえ……』









光は目を丸くした。驚いたようだった。
そうだった。私が彼を東京に行くことを肯定したのは初めてだった。
頑張ってなんて、応援するなんて、一度も言わなかったわたし。













『……好きや』

『ひか』

『すきやすきや、すきや』










大きな腕に唐突に包まれて温もりを感じたとき、私はもう一度だけ、涙を流した。



















たとえば、嫌なことがあったとするでしょう
私は一日中その嫌なことに振り回されて、気持ちが沈んで、俯いた顔をあげられなくて、自分の足元を見つめながら過ごすでしょう
ああ、なんてひどい一日なんだろうって
はやく今日なんて終わってしまえばいいのにって
むしろもう、夜になって、もうずっと夜のままでいいよって


そんなとき貴方に会いたくなるの。
夜のままで、明日なんかこなくていい。
明日もまた苦しいなら、もう永遠に前になんて進みたくない。
そう思ってると、余計に貴方に会いたくなるの。
そんな未来の向こう側で、貴方はきっと待っているのだろうから。



















ワタシノメシア

(またあの頃のように笑い会えるまで)(どうか二人のこころ、引き離さないで)











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