書庫(長編)
□其ノ拾陸
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攘夷派諸隊が行動を開始した。しばしば、天人側の陣地周辺まで進出し、小競り合いを始めるようになった。
本格的な戦いには至らず、威嚇・牽制の類いではあったが、攘夷派から仕掛けてくることは珍しく、これに天人側はどういう意図があるのかと疑問に思った。
天人側の軍議でも、その事が議題に上がった。しかし、天人側の勇将・為朝雄は気にすることなく悠然としていた。
「向こうが前がかりになっておる証拠ではないか。結構結構、やりようによっては、こちらの策に引きずり込める」
「お言葉ですが、奴らは劣勢であることは承知のはず。その考えを崩すには」
「簡単だ。情報を操作して、やる気にさせれば事足りる。明日から情報を流せ『天人に内紛が起こっていると』」
「は?内紛が、ですか?」
「まずはそれのみでいい。小出しに情報を漏らせ。ただし、向こうに聞かせるのは我々の情報のみ。奴らの密偵は残らず捕えて殺してしまえ」
「ははっ!」
「オイ、アレの案配はどうなってる?」
「はい、整地は完成しております。あとは大砲の据え付け、小銃等の武器の移送になります」
これを聞いて、為朝雄は満足げな表情をした。
「これは極秘事項だ。漏らす者に関しては、疑いがあった時点で斬れ。これに関しては、絶対に外に漏れることのないように」
幹部たちは承知した。戦いに勝つだけでなく、殲滅させる戦い。為朝雄はその時が来るよう、餌を巻いていく考えだった。
一方、攘夷派諸隊の本営では、首魁・頬鳥居圭助と凌霜隊隊長・桂小太郎を中心に次の打つ手を模索していた。
「隊長桂、どう思う?天人側にゃ、うちらのやる気は伝わってんだろい」
「伝わっているでしょう。しかし、敵が無策とは限りますまい。奴らの動向を見定めて、事を運ぶべきかと」
「まあそうだ。そこは気を付けねえとな」
桂は感じていた。頬鳥居にうっすらと焦りの色があることを。
それから数日後、攘夷派に情報がもたらされた。天人側に内紛が勃発し、攘夷派と戦闘をする余裕がなくなるおそれがあるとの事だった。
この情報を皮切りに、攘夷派に様々な情報が漏れ伝わってくる。撤退するとか、増援が来るとか、はては天人の一部が攘夷派に加担する模様だの、玉石混淆、本営は情報の錯綜に混乱していた。
そうなれば、自分に耳障りのいい情報を信じやすいのが世の常である。頬鳥居は桂を急き立てるように言った。
「これはよい機会だ。我らが総勢をもって相手を駆逐する好機だろう。隊長桂、全部隊に伝令を出して、総攻撃を開始するように伝えい」
「お待ちを。罠であったら何とします。まだ、我らと対峙している天人の軍団は退いてはおりません」
「う、むう」
「何を焦っておられる?こういうときこそ慎重に」
頬鳥居が焦るのには訳があった。状況が変わらぬ苛立ち、この作戦を成功させれば、幕府の攘夷派が息を吹き返してくれるだろうとの期待、そして維持するための戦いに飽きた。戦局を一変させる戦いがしたいという欲求があったからだった。
この戦いに勝てば、攘夷派の士気は上がり、戦いから去った同志たちも戦線に復帰するかもしれない。頬鳥居は、この戦いに攘夷派の命運を賭けるつもりでいた。