romanzo

□l'amaro caffe(振り 浜泉)
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「ありがとうございました。またよろしくお願い致します。」

失礼します、と深く頭を下げて、取引先の店を出る。小さな工場で働き、事業所の営業の仕事に回されてからもうすぐニ年。取引先にもやっと顔を覚えてもらえるようになって、仕事自体にも大分慣れてきた。今日の取引先は今ので最後だ。黒いビニール製カバーの薄っぺらな手帳に丸をつけて、駅へと向かう。腕時計を見ると針はまだ夕方の五時を越えた位だ。ちょっと早いけれど、上司には直帰していいと言われているし、たまには早く帰って寝るか。

そんな事を考えながら改札を通ろうとして、ちらりと視界にはいる赤い表示とワンテンポ遅れて聴こえる警告音。バタッと機械的に弾かれて、磁気定期券に現金を入れていないのを思いだした。後ろにいた買い物帰りの主婦らしいおばさんに頭を下げながら、切符売り場へとむかう。ええと…ここから家まではいくらだったかな…。

駅の表示を見上げ、自分の最寄り駅へと視線を右に動かそうとして、すぐに見慣れた駅名がある事に気がついた。昔の地元。俺が小さい頃から、高校卒業して引っ越すまでずっといた場所。来る時は急行を乗り継いでいたから気がつかなかったけれど、実は近くまで来ていたのだ。忘れていた色々な香りがふっとよみがえってくる、そんな気持ちがして、何となしに小銭を出し、切符を購入してしまっていた。



聞き覚えのある駅のアナウンス、駅自体もそんなに変わってはいないようだ。けれど改札を出てよく通った道を進んでいくと、やはり少しずつ違っているのが分かる。いつも帰り道に買い食いしていたコンビニがメジャーな名前のものになっていたり、新しいマンションが入居者募集の看板を出して建設中だったりする。けれどやっぱり、道なりなんかは変わらない。結構覚えているもんだなと自分に感心しながら、案外スムーズに目当ての建物にたどり着いた。

西浦高校…そういえば入学から卒業まで、人より一年も長く過ごしたんだった。当時は何とも思わなかった校門にちょっと触ってみると、金属特有の温度が伝わってくる。ざらざらしたそれは鉄も錆びかけて、何度も塗り替えられてきただろうペンキがまたはげかけているようだった。

「野球、やってっかな?」

校内には足を踏み入れず、そのまま周囲をぐるりと回ってみようと思い立った。田舎っぽさがまだ残る畑はやはり数が少なくなった気もするが、懐かしさを感じることは出来る。グリーンのネットに囲まれて、通いなれたグラウンドが見えてきた。キンッと気持ちのいい音が耳を抜ける。汚れ方がまちまちなのは先輩と後輩が一緒に練習しているからだろうか。夕暮れのマウンドに目をやると、ちょうど投手が投球フォームに入ったところだった。






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