小説コーナー

□健康な幻覚生活。
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「今日もいい天気だなぁ・・・」

ここのところ、いい天気が続きすぎている。なんとなく曇り空の方が好きな少女は、教室のガラス窓越しに、雲一つない青く澄み渡る空を見上げながら、少しだけ残念そうに呟いた。

青一色の北の空を、巨大などという言葉で表現できないほど巨大なムカデが空飛んで横切っていく。
その大きさは、霞がかかるほどの遠景に見える山脈よりもさらにずっと大きく長い。

少女は、雄大なその姿を、さも当然のように、頬杖をついてぼんやり眺めている。

今年は、クラス替えによって親しい友人達が別の教室に移ってしまったため、今の少女にとっては授業の合間の短い休憩時間は、単に退屈な暇でしかない。

だからといって、いざ授業が始まると、それはそれで気だるいだけなのだが・・・



少女の名前は、優奈という。

優奈は、変な少女であった。
同年代の人間よりほんの少し頭が良く、ほんの少し好奇心が強いだけなのだが、
同レベルで群れたがる優奈の年代の少女達にして見れば、自分達とやや異なる気質を持つ優奈の存在は、文字通り異質なものであった。

人によっては優奈のことを変人呼ばわり、また人によってはキチガイ呼ばわりするものまで居る。

何故、自分がここまで異端視されるのか。優奈は少しだけ考えたことはあるが、実際、マイペースな性質を持つ優奈は、別に多くの人間に好かれなくとも全く気にかけなかった。

ムカデも山脈の向こうに去ってしまったので、空を見るのも飽きてきた優奈は、何の気無しに教室を見渡してみた。

いつまでも子供のように、やかましく騒ぐ男子の群れ。
飽きもせず、陰気臭い会話をする女子達の群れ。

そして、教室の天井に逆さまに立って優奈を観察している、優しそうな外套姿の男。

優奈は逆さの男と目が合うと、とりあえず軽くお辞儀をした。

男も、目尻をわずかに緩ませて、優しい笑顔で西洋風のお辞儀をしてみせた。

(逆さまに立ってお辞儀できるなんて、器用な人だなあ)

ふと、優奈は男の周りで雑談をしている男子達に目をやった。喜々とした表情で会話に熱中する男子は、逆さの男の方には一切目もやらず、ふざけた会話を続けている。
どうやら、彼らは男の存在に気づいていないらしい。

だが、優奈にとって、こんな風に“奇妙なもの”が存在する生活は日常でしかない。

(ま、こんなこともあるよね)

街を歩けば奇妙な怪物がうろついているし、人々には見えてない場所に明らかに異質なビルが建つ。
そして、そのどれもに人々は気付かず、見てすらいない。

優奈は、自分自身が見ているのが異常な世界であることに気づいている。
だが、優奈にとってはそれが当たり前の日常生活なので、『自分の精神が少し病んでいるだけ』と割り切って毎日を過ごしている。



チャイムが鳴る。
教師が教室に入って来て、退屈な授業がまた始まる。

この時間の授業は『数学』である。優奈が最も苦手とする教科である。
授業初めの数分は真面目にノートの書き取りをしていた優奈も、途中から面倒になって窓の外に目をやった。

何やら、二階建ての家程の大きさの、石で出来た鳥のような何かが、町の上空を渡り鳥の様に綺麗な隊列を成して飛んでいる。
良く見ると、その群れの中には子供のような小さなものが何匹か混じっている。

一群が去ると、その後ろをまた一群ずつ、次から次へと群れが飛んでゆく。
そこで、暇つぶしに、優奈はその石の鳥の数を数えることにした。

少なくとも、数学の授業よりは楽しいな、と優奈は思った。
数学の授業が終わるチャイムと同時に、優奈は162羽目をカウントしていたのだった。



夕方。

『疲れませんか?』

帰路の途中、優奈は突然声をかけられ、少し驚いて声の主を探した。

『ここですよ、ここ』

キョロキョロと辺りを見回す優奈の頭上から、その声は聞こえた。
見上げると、住宅街に張り巡らされた電線に、昼間見た逆さの男がぶら下がって優奈を見下ろしていた。

「あー、昼間はどうも」

別に例を言うようなこともしてないし、されてもいないが、優奈はとりあえず適当に礼を言った。

『ああ、こちらこそ』

男は昼間と同じく優雅なお辞儀で返してきた。

「あのー、私に何か用ですか?」

優奈は、自分をじっと観察している男を見て、ふと思い付いたままに言った。
男は一瞬微笑んで、

『疲れていないかと思いまして』

と返した。
優奈はその言葉の意味が分からず困惑した表情を浮かべた。

『お嬢さん。私達のような、いわゆる“向こう側”の物を見ることができる人と言うのは、大抵は人生に疲れた、寂しい人間が多いのですよ』

困っている優奈に、男が優しく言葉をかけると、優奈は先程の言葉の真意を把握出来たのか、急に嬉しそうな笑顔を浮かべ、

「あはは、ありがとう、心配してくれて。でも、私はそういうタイプの人間じゃないから大丈夫だよ」

『はは、そうですか。それはよかった』

男と優奈は顔を見合わせて笑う。

「私は疲れても、それを自分で何とかするくらいの力は持ってるからね」

「それよりも、ずっと逆さにぶら下がってる貴方の方が、ずっとずっと辛い生き方をしてると思うわ」



優奈は笑った。

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