ニーナ・アインシュタインは思う。
「真実なんて、私だけが知っていればいいの。万人の理解なんていらない。あの方もそんなこと望んではいないわ。私だけが本当のあの方を知っている。あの方だけが、私を愛して下さったの」
平等に愛されただけ
「初めまして、ニーナ・アインシュタインさん。カノン・マルディーニよ」
紳士的に挨拶したつもりだったけれど、少女のあからさまな嫌悪の眼差しに(嘘のつけない素直な子)とカノンは思った。
気を許した風でいて、彼女は誰に対しても緊張していて、ぎこちない微笑を浮かべている。よく観察していればすぐに分かった。
一年ほど前まで学生だったという彼女は、華奢で儚く、それでいて瞳には激しい憎しみの炎を宿らせていて、カノンは彼女にどう接するべきか考えた。
シュナイゼルが連れてきた研究員だから丁重に扱おうというわけではない。ただ、年頃の女の子らしい表情を見たいと、そう思った。
「お隣り空いてる?」
カフェテリアで見付けた深緑色の髪に、カノンは穏やかに微笑む。
少女は賑やかなテーブルからは離れたカウンターの一番端にちょこんと座っていた。
白い皿の上にはトーストが一切れ。カップには並々とコーヒーが注がれていて、相変わらず不摂生な生活している、と、カノンは苦笑した。
「また研究室にこもってたの?忙しいのは分かるけど、もう少しお野菜を食べなさい」
「……食べてます」
「そんなリスの餌程度でよく言うわね。スープなら飲めるでしょ?ほら、お姉さんのおごり」
そういって差し出したカップには湯気の立ち込めるコーンスープ。
ブロッコリーがたくさん入って美味しいの。これでカルシウムを摂取よ!と微笑んだカノンに、ニーナは小さくため息をついた。
「マルディーニさん、…貴方、飽きません?」
「ん〜なにに?」
「私みたいな根暗のメガネ女なんかに構って、時間が勿体ないと思いませんか?」
淡々と呟いた少女は俯きがちで、カノンの目を見ようとしない。
人と接するのが怖いのだ、と、カノンは思う。けれど、彼女がそこまで自分を卑下する必要はない。
グリーンサラダにシザードレッシングを掛けながら、カノンは首を傾げた。
「ねえ、ニーナ。私、女の子が大好きなの」
「……は?」
「せっかく女の子に生まれたんだから、綺麗に着飾ってお洒落しなくちゃ勿体ないってこと。貴方、とっても可愛いのに」
その言葉に、ニーナの瞳に狼狽の色が走った気がした。
ぷい、と、そっぽを向くと、「おべっかは嫌い」と、ニーナは呟く。
「おべっかは嫌い。私なんか、胸もぺちゃんこでがりがりだし、脚も短いし。髪の毛だって変な色で、性格だって良くないわ」
「そうね、ひがみっぽくてすぐ怒るし、お野菜も食べない」
歯に衣着せぬ物言いでそういえば、ニーナは唇をきゅっと噛み締める。
自分で自分を傷付ける不器用な少女に、カノンはそっと微笑んだ。
「でも私…そういう貴方が好きなのよねえ」
「…嘘」
「嘘じゃないわ。たしかに胸は大きい方じゃないし、身長も低いけど、肌はとても綺麗だし。言葉遣いもきちんとしていて、歩き方も綺麗」
あとは緑のお野菜も食べれたら完璧かしら、と、悪戯っぽく笑ったカノンに、ニーナは戸惑ったような顔をしている。
自分を肯定されることに慣れていない少女は、無条件の優しさにどうしていいのか分からなくて。
……記憶の中、薄紅色のドレスを着たあの人が、薄明かりの下で無邪気に微笑む。
『貴方、とても可愛いわよ』
そうあの大きな空色の瞳が、柔らかな色に染まって、ほころぶ様を見るのはとてつもなく幸せで。
彼女が何をしたかなんて、問題ではなかった。
軍人だってその手を血で汚すことは、何度でもある。
だから、世界中の誰もが彼女を責め立てても、ニーナだけはあの人を責めることも、汚れた存在だなどと思わない。
世界中でただ一人、ニーナの眼を真っ正面から見てくれた人だから。
(私だけは、あの方の思想も、正義も、守ってみせる)
そうして顔を上げた少女の唇には昏い微笑。
マルディーニさん、と、呟いた声は酷く冷めていて、カノンは眼を見張る。
そんなカノンに、(どうしてこの人は自分に構うのだろう)と、ニーナは思った。(うるさくいう人は嫌い。助言するふりをして、優越感に浸りたいだけ。私にはユーフェミア様だけがいればいい)
ぽつり、と、ニーナは呟く。
「…私、女の子が好きなんです」
そのままきゅうっと膝丈のスカートを掴んで、ニーナは顔を俯かせた。
言った、言ってしまった。もう後戻りできない。
遠ざけたいと思いながら、嫌われくないと願っている自分は酷く滑稽で。
…孤独を好むくせに、一人で生きる勇気もない自分に、ニーナはくしゃくしゃに顔を歪めた。
けれど。
「それが?」
そう肩を竦めたカノンはあっけらかんとした表情で紅茶を飲んでいる。美味しいわよ、ダージリン。一緒にどう?
それにはニーナも眼を丸くした。
「それが…って、気持ち悪いと思わないの?私、女の子が好きなんですよ」
「あら、だったら男のくせにオカマ入っちゃってる私も気持ち悪いわね…引いちゃう?」
「そんなこと」
「そんなことあるでしょ。でもいいの。ニーナとお揃いならなんだって嬉しいわ」
お茶が冷めちゃうわよ、と、肩を竦めたカノンは、少しも態度が変わらない。
ぽかん、と、瞳を見開いたニーナは、ようやく自分が泣いていることに気付いた。
視界が歪む。(孤独の中でしか生きていけないなんて嘘、誰かに理解されたくて、足掻いてるだけ)
一人でも生きていけるだなんて、独りよがりな傲慢だ。
他者と協調できない自分は、一人きりの部屋で孤独を愛しすぎて、あの方の死にどうしていいのか分からない。
カノンはそんなニーナに何も言わず、ただ背中を撫でた。女の子を泣かせちゃったわ、と、苦笑する彼に、ニーナはゆっくりと顔を上げる。
「…マルディーニさんって、私の好きな人に似てる…」
「あら、そんなに美人だった?」
「いいえ、比べられないほど美しい方です」
自分でも酷いことをいっていると理解したが、ニーナはそう答えた。それでも怒らないカノンの優しさにようやく気付きながら。
ユーフェミア様。美しくて、気高くて、強い、ただ一人。私の運命。
貴方可愛いわよ、と、言ってくれたとき、恥ずかしがって俯くのではなく、どうして「ありがとう」と、その一言が言えなかったのだろう。
求めればきっと、あの細い白い華奢な指先はニーナに勇気をくれたのに。(そうしたら私は、一人きりの部屋から出られたのだろうか)
カノンの指先から背中に伝わる温もりは、決して不快なものではなかった。ゆっくり顔を上げると、ニーナはその日初めてカノンの眼を見つめる。
「……ねえ、カノンさん、…もう一回言ってくれます?」
「何て?」
「私のこと、可愛いって。…もし、迷惑じゃないなら」
そう俯きがちに呟いたニーナに「勿論」とカノンは笑う。
その笑顔は十代の少女のそれとはやはり違っていて、なのに何故だが酷く懐かしく、ニーナの胸をついた。
「ねえ、ニーナ。貴方…とても可愛いわ」
その言葉に、ニーナは笑おうとして、顔をくしゃくしゃに歪めた。涙が零れ落ちて、頬から顎へと伝う。似ていない、全然似ていない。
躯も大きいし、ニーナの大嫌いな男性だし、口許なんてうっすら髭が生えてる。あの美しい方にちっとも似ていない。
なのに涙が零れて、(私は私を肯定して欲しかったんだ)と、ニーナは子供のように泣きじゃくった。
美人で、スポーツ万能だった幼なじみ。
『もっとこうしたら?』と親切心で助言をくれる彼女に感謝しながら、ニーナの心には最後までわだかまりが残っていた。(どうして、このままの私じゃいけないの?)と、ありのままの自分を否定されたような気がして。
けれど、ユーフェミア様はそんな自分を『可愛い』といってくれた、そしてこの人も。
(私は、孤独の中でしか生きていけなかったけど)
顔を上げたニーナに、カノンは優しく微笑んでくれる。
…きっと、彼もニーナのすべてを肯定してくれるわけではない。(でも、彼はニーナの汚い部分も好きだといってくれる)。
俯きがちに小声ではあったけれど、「ありがとう」と、ニーナは拗ねたように呟いた。
平等に愛されただけ
(それでもいい、それだけでいいと思えた人だった)
END
カノン+ニーナ
CPというより、この組み合わせが好きです。