けいおん

□人知れず、死ぬおもいのまま
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「秋山さんッ――」       


目の前に突然現れた男は意を決し
た顔をしていた。若干頬が赤らん
でいるのは見間違いではないはず
。私と澪は幼なじみ。こういった
ことは日常茶飯事で、長年の勘と
、この男の表情からして愛の告白
といったところか。      


――前から好きでした。付き合っ
て下さい。          


ほら、当たり。        


澪への告白なんて見慣れたもんだ
。小さい頃からずっと見てきたこ
とだから。だけどその度襲う、言
葉に出来ないほどの不安も付き纏
うわけで、実際良い気分ではない
。ゆらゆらと視界が揺れる。今に
でも口を挟んでしまいたい、それ
を気付かれない程度に下唇を噛み
ぐっと堪えた。        


「あの、すいません。気持ちは…
嬉しいんですけど――。私付き合
ってる人がいるんで…」    


遠慮がちにやんわり断りを入れる
澪は落ち着かない様子で視線を彷
徨せている。私はただ隣で黙って
その光景を見ていた。こんなはっ
きり告白出来るならそうしたい。
どういったって無理なのだ。世界
が私達を拒む、世の中が邪険に扱
う。怖い、私だって怖いけれど…
もっと怖いのは澪を傷付けてしま
うことで。ならば精一杯二世界を
演じようじゃないか。     

「本当にいるんですか?」   
「え?」           
「秋山さんに恋人がいるのは噂に
聞くけど、誰も見たことないんで
す。もし本当はいないんなら俺諦
めません」          



下に落ちた小石を軽く蹴った。悲
しさもある、怒りもあるけれど、
澪への申し訳なさもあった。でも
ほら、ねー。譲る気なんてさらさ
らない。奪えるもんなら奪ってみ
ればいい。決して奪われない自信
も誰よりも澪を愛せる自信もある
。どうあっても隙なんて見せない
。              

困惑する澪の前にスッと身体を前
に出し、真っ直ぐ相手を見つめた
。              

「はい、ストップ」      


ヘラヘラと笑う。怪訝な表情を浮
かべ私を見る男はなんだ邪魔する
なと言わんばかりに睨みつけてき
た。ごめんね。でもこれだけは譲
れないんだよ。こっちもさ。  


「恋人いるのは本当だよ。幼なじ
みの私の保障つき。」     
「で、でも」         
「残念だけど。澪の恋人は澪にベ
タ惚れなんだよね。噂知らない?
めっちゃ仲良いんだよ。入る余地
ないから」          


馬鹿げている。精一杯の虚勢さえ
何故か虚しく感じてしまう。――
 り、りつッ。張り上げる声を隣
で聞きながらも視線は男にさす。
そしてふぅと一息。目を細めて微
笑んで            


「じゃぁ、そういうことだから」

腕にかけた鞄を持ち直し、慌てる
澪の手を握り歩きだした。   







***




澪はあれから黙り込む。私もそれ
を良いことに口を閉ざした。それ
は澪の家に着いても同じで、どち
らとも一向に口を開くことはなか
った。私が発しているオーラのせ
いかもしれない。明かにピリピリ
と張り詰めた威圧感を出している
。そんなの澪の顔を見れば一目瞭
然だ。澪が悪いわけじゃない。む
しろ誰も悪くなんかない、あの男
だって素直な気持ちをぶつけただ
けで何も悪いことなんてしていな
い。ならばこの空気を作った私の
せいではないか。私は溜息を飲み
込み、ゆっくり膝を抱えたまま動
かない澪の隣に移動した。   


「ごめん、澪」        
―― ごめんな、       

黒い艶はとても綺麗だと思う。案
外触れば柔らかくて、痛みさえな
い優しい肌触り。 ゆっくり、ゆ
っくり。上から下へ、指先に絡め
て撫でた。気付けば肩が微動する
。――震えている。ああ、馬鹿な
のは私だ。そっと抱え込むように
抱きしめて、ギュッと強く強く、
震えを止めようと必死に、それこ
そ夢中に抱きしめた。     

「律は…律は悪くない。ごめん、
本当にごめん」        

泣かないでくれ。泣いてほしくな
んてないんだ。        

「嫉妬したんだ…」      
「うん…」          
「怒ってるわけじゃない。澪だっ
て悪くない」         


――だから泣かないで。    

一筋の雫がひざ小僧を濡らす。一
粒落ちたら、ハラハラと止まるこ
となく流れ続けるそれを私は親指
で優しく拭った。       


「ごめん………、でも嬉しかった
」              

何が?そう聞く前に口は開き、次
の言葉に顔に熱をもった。   
―― 「ベタ惚れってやつ」  
あー、そういえばそんなことも。
まぁ、本当の気持ちを述べたまで
なのだけれど。澪は何度も私に謝
り、その度に律だけだと譫言のよ
うに呟いた。私だけ、そうだ私だ
け。私も澪だけ。澪しかいないん
だ。今もこれからさきも、来るべ
き未来も全部全部、澪がいるんだ
。そう思えば思うほど強く思うん
だろうか。――愛しいと……。そ
れだけでさっきあった渦を巻く不
安感も綺麗さっぱり無くなるよ。
澪がそう言ってくれるならそれに
応えるよ。だから澪も応えてくれ
ないだろうか。縋る気持ちを揉み
消して強く強く抱きしめた。  












人知れず、死ぬおもいのまま













20100913













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