わんぴーす

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昔を思い出した。凶悪な漁人海賊団にこの身も夢も大切な人も失いただ中身のない毎日を過ごしていた日々を。課せられた義務、縛られた身と心。逃げる術はなかった。今だある大切な者達のために、もう無くしてはならないと、これ以上の犠牲者は出さないと。私の大切な者を護らないと、ただそれだけが私を動かしたあの頃の自分。












   月








『私は悪魔の子よ。それだけは覚えといて』






それは分かりにくい否定、拒否。静かに自分をも否定した。完全に私を遠退け、突き飛ばす。一瞬色を無くす瞳に私は見た気がした。その中の沈むような計り知れない闇を。私達は考えられないような苦痛を。見た気がしたのだ。それはあの頃の自分を見たような錯覚さえ感じられる程に。でも違う。似ているだけ。私は此処まで堕ちてはいなかった。でもわからない、自分には大切な者が手の届く範囲に居たからなのか突き通す信念があったからなのか……。もちろん境遇、逆境は違うということは当たり前だけれども。


静かに戸を開き軋む木の板を確かめながら歩いた。甲板から夜中の海を眺め、考えるのは闇に塗れた彼女。……暗い海に似ている。触れば冷たいのだろう、直ぐに掌から零れてしまうのだろう、こんなにも霧がかっているのだろう。考えるのは彼女のことばかり。頭を小さく左右に振り思案を除こうと試みるものの――…「航海士さん?」突然、背後から呼ぶ声に肩が撥ね驚いた。

「!!!…ロ、ロビン。驚かさないでよ。気配消さないでってあれ程言ったのに」
「ごめんなさい。癖なの」

ふーっと息を吐く。密かに漂う塩の匂いと共に華やかな甘い香りが鼻を擽る。「寝れないの?」とロビンは優しく問う。私は曖昧に視線を漂わせ「まあ、ね」と呟いた。

「そう」

相対する間には沈黙のみ。視線は真っ直ぐ私に向けられている。それが恐かった。どうすればいいかわからなかった。視線は下降する。「何か飲む?持ってくるわ」――…気を聞かせたのか明るい調子でロビンは言う。その言葉にやっと私の瞳はロビンを捉えた。彼女は振り向き様に柔らかく微笑み手をヒラッと振る。私はそれを呆然と見つめているだけだった。







階段の二段上に腰を下ろし待つ。――…夜の船は静かで怖いなぁ、昼間なんて馬鹿共が騒ぎ立て、静かな時なんてないのに。もしこの船に幽霊など出たら、そう思うと私は身の毛も凍る思いだ。すると私が座る階段の傍らからニョキッと闇に映える白い手が生えた。つい今、私の頭には幽霊という未分子的なものが浮かんでいたのだ。案の定私は小さく悲鳴を漏らし体を退け逸らした。そして間髪入れずに透き通る声にまたも驚愕。もう涙目状態だ。

「はい。ミルクティーでいいかしら?甘くしとい……、ごめんなさい。泣くほどとは思わなくて」

一瞬驚いた表情をし、私を困ったように見つめた。「ちょっと、おふざけし過ぎたかしら」なんて苦笑を浮かべていた。

「ロビン、ひどいっ」
「本当にごめんなさい」

――…はい、これ。今だに私の傍らで生え続けている手がトントンと私の膝を押した。恐怖のあまり気付けなかったがその手には一つのマグカップが握られていた。それを遠慮がちに受け取り、またロビンを見る。

「ありがとう、ございます」
「いえいえ」

微笑む顔と暗闇、そして月の光り。あの時も思ったけど、―― 本当に ――… なんて綺麗に笑う人なんだろう。同性の自分でも見惚れてしまう程きめ細やかなその表情はなんとも目に留まる。私には短い時間に思われたそれは実際長かったようで、凝視する自分を不思議に思ったのか「なに?」と首を傾げた。「うーん、」と唸るように口をへの字に曲げ、「綺麗」と呟いた。ロビンは怪訝そうな表情を浮かべる。

「何が?」
「ロビンが」
「え?」
「ロビンが物凄く綺麗」
「そんなの――」
「有り得なくない。綺麗よ、」

彼女の声を遮り笑ってそう告げれば、困ったようななんとも言えない表情で下を向いた。それを見た瞬間ハッとする。自分の言葉に今更恥ずかしさを覚え顔に火がかかったように赤くなり熱くなった。またも沈黙。
――…私の馬鹿。何してんの本当に。ばかばかばか…
自分でも驚く程にすらすら出てしまったのだ。無意識の内でしかたないのだけど、そんな浅はか自分を責めた。だってロビンが困っているのだから。「いや、…あの。これはね――…っ」何時も回転が速い頭とごまかせる言葉でなんらく終えるのに、こんな時に歯切れの悪さが出るなんて。あーだのこーだの、なんとかごまかせるような事を言おうとするも頭はパニックを起こしそれどころではない。冷や汗をかき視線を左右上下に漂わせていると顔をゆっくり上げ微笑むロビンが目に入った。そしてきょとんする私に一言言うのだ。

「――…ありがと」


それだけで私の心は落ち着きを取り戻し、どうしようもない喜びが込み上げる。「ふふふ」と笑みを零せば「気持ち悪いわよ」と返された。それはないわよ、お姉様。多分ロビンはわかっている。私があの言葉を気にしているのを。私が深く考え込んでしまうのも。それに気付いててこうして私に声をかけてくれたのだろうか?ならば最初からそういうことを言わないで欲しいものだ。でもこれがロビンなりの精一杯の心遣いならば受け取る越したことない。ならば、私がこの先彼女が心を開いてくれるように、彼女が私たちに甘えられるように信用と愛情をあげればいい。私がそうされたように。私もそうしてあげればいい。なんだ簡単なことではないか。


「ふふ、はははは」
「本当に気持ち悪いわよ?」




厳しいな、お姉様は。












20100806











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