あざー2

□明日のみ知る
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踏み止まった足元の一歩手前で光る文
字を見た瞬間に飛びのいた少女――桜
咲刹那は目を細めた。目が痛くなる程
の光り、鼓膜が震える程の轟音。その
円に広がる文字は―― カァッ と光
り一瞬で稲妻が遡るように天高く突き
破った。             

前方からの突風に逆らう事など出来ず
に後ろへと吹き飛ばされた刹那は身を
捻り突き出した岩に足裏を付けると軽
々しく大木の枝へと飛び移る。   

その顔は険しく、鋭い目つき次に起こ
るだろう事態を既に予想していた。 

先程の轟音の余韻がまだ残る聴覚で出
来る限り音を追う。身体中で気配を探
り、静かに双眸を閉じた。     

(来る)              

風を切る音と気配に目を開けると同時
に振り向き、手に握る鋭い刃――夕凪
を振り下ろした。         

が、目の前に迫るは自身が良く知る人
物。知るも何も我が身を捨ててでも護
り抜くと決めた主君の顔が眼前にあっ
たのだ。             

だがしかしこの場にいるはずがないこ
となど百も承知。基、有り得ぬ事、そ
れでも刹那の手を一瞬でも鈍らした事
は事実。             

――  一瞬の動揺。       

しまった、と焦燥したのもつかの間、
腕を裂くような痛みが走った。掠った
黒い爪、血飛沫は頬に付着し、痛みに
歯を食いしばる。それでも振り下ろし
た夕凪の鋭利な刃は先程見た幻影とは
違い硬い鱗のような身体を肩からバッ
サリと切断していた。       

―― ギャァァアア        

絶望したかのような叫び声に苛立ちと
怒りを覚えながらも消滅した魔物を一
見もせず次に来る気配を察知した刹那
は握る手に力を込めた。      

中心をえぐるような気持ち悪さが巡り
身体が疼く。―― クソッ。鼓動は速
まり、手首の上から肩の下まで切られ
た傷口は熱さを増していく。それより
も今はこの気持ち悪さをどうにかした
かった。これは怒りだ、憤慨に値する
。                

(化け物風情があのお方の姿をするな
ッ…)              


目に写るその先は闇、しかし妖気は覆
いつくすように刹那を囲んでいた。 




***




静寂が包む部屋に規則正しい寝息が響
く。二段ベッドの下段には膨らみがあ
り白いシーツの端からは褐色の綺麗な
足が覗いていた。床へと横になる人物
は桜咲刹那と同室、兼クラスメート。
そして同業者とも言うべき間柄―― 
龍宮真名だった。         

彼女は比較的眠りは浅い方で、それは
仕事上の問題が携わっている。彼女―
―龍宮真名は殺し屋。そこに情はない
。冷徹さ、冷血を残すその顔は無に等
しい。報酬さえ払われればどんな任務
だろうとも熟す仕事人。それが幸いし
てか少しの物音でも意識が浮上し睡眠
が解かれてしまう。        

だからだろう戸が開く微かな音に真名
の睡眠は解かれた。が、この部屋に足
を運ぶ者はただ一人。ましてはこんな
夜中に来る者など一緒に住居を共有し
ている者しか有り得ない。     

(刹那か…)            

数時間前、この部屋を出ていく直前に
仕事だと聞かされていた真名にとって
刹那が帰宅するのは当然だった。  

が、何やらおかしい。       

近付く足音はたどたどしく若干息も乱
れている。            

「刹那?」            

後ろを振り返りながら名前を呼ぶとス
トンっと背中を壁に預けるように腰を
落とした。それはまるで緊張していた
糸が切れたように。        

様子がおかしいことは歴然だった。 

真名は布団から飛び出て駆け寄るよう
に座り込んだ刹那の傍らへと身を屈め
て気づく。鼻を付いた錆びたような臭
いに。              

戦中を行く真名はそれを良く知ってい
た。この鼻につく臭いを…、    

そうこれは紛れも無く       

――血、の臭いだ。        


窓から差し込む月の光りに照らされた
顔半分でもわかるように顔面は蒼白し
血の気はない。目は虚でまるで光りの
ないその目に真名は戸惑うばかりであ
った。              

――なんだ、どうした。何処を怪我し
ている、そう問い掛けるは刹那でなく
自分。真名は声をかけることすら忘れ
たかのように唾を飲み込んだ。   

焦燥は思考を鈍らせる。冷静に事を運
ぶべきだとそう教しえてくれた彼を思
い出した。            

意を決し両肩を掴むと掴んだ片方の手
にベチャッとヌルつく液体が真名の掌
に付いた。真名にとってこれがなんな
のかだなんて痛い程わかってしまう、

「―― おいッ」         

それでも戸惑うことなく揺らした。傷
口だろうがなんだろうがその肩を掴ん
で。―― 痛いはずだ、痛いはずなの
に――…何故そのそぶりも見せない。
刹那の顔色が戻ることはない、まして
は痛みに歪むこともない。一向に戻ら
ない乱れた息もそのままに反応を示さ
ない刹那に焦りばかり募った。   

―― どうすればいい、      

先程よりも激しく肩を揺らした。ここ
は張り手の一発でも、否―― 拳でも
入れて無理矢理にでも覚まさせた方が
いい。どっちにせよ早くこの状況を打
破しなければならない。最優先するべ
きは傷ではない。         

「刹那ッ、」           

一切するように名を何度も呼ぶ。そし
て手を振り上げたその時、微かに唇が
動いたのを真名は見逃さなかった。す
んでの所で止めた手はまた肩を掴む。
―― 刹那ッ、と低く搾り出した声に
今度は身体がピクッと動いた。   

「た、…つ ――みや」      
「そうだ、私だ。刹那っ、私を見ろ!!
」                

虚な瞳が黒くなっていく。ゆるゆると
顔を上げ視線が私に向いたのを確認す
る。その瞳に自分が写っている事に安
堵した真名は一つ息を静かに吐いた。

「私は……一体……つッ」     

刹那の唸るような声に真名は傷口から
手を離した。改めてその傷口を見て真
名は眉を寄せた。手首の上から肩の下
までバッサリ切り付けられたそれはこ
の部屋で治療など到底できないような
もの。あからさまに重傷であった。 

「医療室行くぞ」         
「…すまないが、それは止めてくれな
いか」              

苦渋を噛み締めるように刹那は呟いた
。黙り込んだ真名は立ち上がり痛みに
揺れる瞳と対峙した。精神世界の崩壊
。確かに数分前の刹那はその状態に近
かった。肉体的苦痛はさておき、精神
的苦痛は最も残酷で人を容易に変えて
しまう。精神的苦痛は肉体的にも影響
が出てしまうという因果関係が成り立
つ。               


「龍宮、頼む」          


真名は知っていた。刹那の半身に流れ
る血が烏族なものだと、刹那が嫌うべ
きは自身なのだと。        

出会った頃、あの時もこんな顔だった
。                

悲痛な顔を浮かべる、瞳は戸惑い揺れ
、逃れられない現実を叩き付けられた
時のそれと似ている。       

あの時と決定的に違うことがある。以
前の刹那ならばまず此処に帰ることが
なかっただろう。一人で背負い、独り
で歩む。抜いた刀のような存在だった
。                


(、変わったと言うことか)     

これは数少ない刹那の頼み事だった。

(頼るだけまだマシか…)      

こんなににも悲願されては無理矢理に
でも、という選択肢は無くせざるおえ
ない。              

諦めたように目を伏せた私にもう一度
「すまない」と零した刹那な壁に後頭
部を付け上を向いた。       

「だが荒治療はする」       
「……ああ」           

一瞬顔をしかめたがそれは威圧の篭る
瞳で制した。医療室には行けないとい
う頼み事を聞いたのだから今度は私の
命令を聞くのが筋だろう。決して頼み
ではない。有無を言わさない鋭い目つ
きに刹那は頷いた。        

仕事上で使用している上着を傷に障ら
ないように脱がしていく。所々掠り傷
のような小さい傷は見えるも、大きな
傷は腕だけのようだった。傷口の回り
を洗い流し、汚れとこびりついた血液
を綺麗にし、荒治療とも言うべき治療
用の儒巫を傷口に当てた。     

「取り合えず止血は出来るはずだ」 
「ああ、すまない」        

止血が終わり、白いガーゼを傷口に満
遍なく当てその上から包帯を巻いてい
く。あまりに慣れた手つきに刹那は感
嘆した。             

「前から思っていたんだが、龍宮は器
用だな」             
「お前が不器用なだけだ」     
「…それは否めないな」      

苦笑したのは刹那だった。幾分か血の
通う人の顔になってきたがまだ疲労が
残るように顔色が悪い。こういう時の
刹那は正直困る。――頑固というか強
情というのか、刹那には頑なにこだわ
る癖がある。そこが厄介と言えば厄介
だが、それは自分自身にも当て嵌まっ
てしまうのだからそれにも厄介だ。自
分は刹那に言えた義理でもない。  

「ほら、終わったぞ」       

掠り傷にも絆創膏を貼り終え、真名は
そう告げた。幸いなことに顔に傷はな
い。刹那はそれに安堵した。顔なんか
に傷を作れば幼なじみ、今は主君とな
った彼女が黙っていない。怒らせたら
手に負えないほど怖いことを刹那は良
く知っていた。          

暫くして立ち上がった真名に刹那は視
線を向けた。目に付いたのは何時もと
違うラフな格好の上着に付着した自身
血液だった。           

「龍宮、すまない。血が…、汚してし
まった。」            
「気にするな。着替えればいい」  

刹那は俯き黙り込んだ。そして自嘲す
るように浅く笑い、依然として壁に寄
り掛かっていた。         

それを横目で見遣る真名は何も言うこ
とはない。これは安々と触れて良い問
題ではないのだ。他人に知られたくな
い、踏み入ってほしくない、そういっ
たことは自分にもある。      


真名は汚れた服を脱ぎごみ箱に捨てた
。                








―――――――   
気付いている。   
それ故踏み出せない。








20110103




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