堕天されたし龍の御子


□雅輝 〜喪われた名前〜
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「…目の前で、愛する人を殺されたらどうする?」
「え?」
「目の前で娘と息子を殺されたら…兄さんならどうする?」

 一度だけ酒に酔った炎龍が投げ掛けた質問があった。当時の俺も酔っていて、炎龍の質問に簡単に答えた。

「そりゃあ仇を討つな」
「…そう」
「そういう炎龍はどうなんだ?いつもみたいに『復讐は復讐しか生まない』って言うのか?」
「…いや」

 その時の炎龍は、どんな表情だったっけ…

「…妾は止めたい。復讐の鬼になった、自分自身を…」

 その時の炎龍は、どんな声で言ったっけ…



‡‡‡‡‡


 雅輝は長い廊下を歩いていた。先程から感じる言い様のない胸騒ぎを紛らわす様に足早に。だがそれも廊下を右に曲がった瞬間に終わりを告げる。
 血の海だった。四方八方に血潮が飛び散り純白の壁を彩っていた。床は血溜まりで歩く度にビジャビシャと水音を奏でる。まるで雨上がりの歩道を歩くような感覚、いや浸水した床を歩いている気分だ。ただしこの鼻につく鉄の匂いがなければの話だが。 雅輝は怒りを抑える為に大きく息を吸うと足元に横たわる兵士の亡骸に触れた。だが亡骸には魂がなかった。霊魂がないのだ。

「どういう、ことだ?」

 誰がやったのか、相手の特徴を思念から追おうとしたのにそれは雅輝を更なる混乱を招いただけだった。魂を消滅させられるのは、セツナ神だけの筈だ。雅輝は頭を振りその考えを棄てた。確かにセツナ神なら生命を作ることも消滅させることも可能だ。だが彼女の魂はこの天界の中枢部に封じられているし、その肉体はベルゼフブによって砕かれた筈だ。だが、これでは説明が付かない。
 雅輝は考えながら足を進めた。壁に飛びっている血痕がまだ濡れている。堕天者はまだ近くにいる筈だ。この血痕を辿れば追える。


「――気配は消せていたが、思考までは消せていないなかったぞ?」

 血痕を辿り、東に向かい進んでいた雅輝は目の前に立つ漆黒の髪をした青年を凝視した。正確には左目の紅い瞳を。

「…そんな、まさか…」

 漆黒の剣を手にした青年は、紫闇色の瞳を怪しく輝かせながら自身の手についた返り血を舐めた。青年は不気味に笑い始める。初めは小さく、徐々に大きく。

「…どうして」

 雅輝の不安や疑問を煽るように青年は笑い続ける。青年はフッと笑うのを止めて雅輝を見つめた。

「ただいま、雅輝兄」
「…燐音」

 青年は更に狂ったように大きく笑った。雅輝はその声に腸が煮えたぎる程の怒りを覚えた。目の前の青年は何らかの方法で燐音な体を乗っ取りこの殺戮を行っているのだ。

「誰だお前…っ」
「…フッ…貴様は騙されんか」

 青年は楽しげに切っ先を雅輝に向けた。

「この私に、傷一つ付けることが出来たならその問いに答えてやろう」
「……」
「ただし、それは“セツナの娘”を傷付ける事になるがな」
「…なん、だって?」

 雅輝は向けられた漆黒の切っ先から視線を青年に向けた。青年は一瞬目を丸くしたが再び笑い出した。何が可笑しいのか、彼は体をくの字に折り曲げる程笑い続けている。だがそれは怒りからくるものだと、雅輝は直ぐに気付いた。何故なら空気が燃えるように熱い。

「何も知らん、知らんだと?!貴様らの初代、いや、祖先が何をしたか…知らんと言うか!!さぁ剣を抜け!!貴様も我がの肉体を復活させるための贄にしてくれる!!」
「ま、待てよ!!言ってる意味が判ら?!」

 青年は雅輝が構える前に真っ直ぐに心臓目掛けて切っ先を突き上げた。雅輝はそれをギリギリでかわすと何もない空間から両刃で細身の剣を出現させた。それは不思議な剣だった。右翼は天使の翼、そして左翼は悪魔の翼をしていた。そして中央には美しいブルーサファイアが輝いていた。

「――それは、…!!貴様も“守護者”か、都合が良い」
「なにワケわからねぇこと、言ってんだよ!!」

 雅輝は左手に溜めていた雷を青年に向けて放った。青年はそれをバッグ宙返りで避ける。だがそれは雅輝の計算の内だった。予測した地点に着地した青年に向けて目にも止まらぬ早さで切っ先を五月雨の様に斬り突いた。だが青年はそれを微笑みながら余裕で避ける。その表情が、風龍と重なった雅輝は舌打ちをする。


『…雅輝兄』
『んー…?』
『もし、もしもこの先…“サタン”と名乗る者が現れたら――…逃げてくれ』
『…なんで?』


 何故か、雅輝の頭の中に再び炎龍と世を明かした酒盛りの記憶が蘇った。


 
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