01/12の日記

19:09
小学生の頃のイケない私
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小学校に入ってしばらくしてから、私は、友達と2人で万引きをする事を覚え、毎日のように、駄菓子屋ゃスーパー、ペットショップ等で万引きをして居ました。
 
万引きがイケない事だと幼いながらに分かって居たのに何故、したのかは、自分自身にも当時の心理が分かりません。
 
盗む事に一度成功して味を占めた私達は、回を重ねる毎に、金額の大きい物も盗るようになりました。
 
お小遣いを貰って無かった訳では無いんです。
ですが、一度成功すると、その時のスリルなのでしょぅか、何度となく万引きを重ね、ある日、悪友と万引きに興味が有るから一緒に連れて行ってくれと言う友達を連れてペットショップに、いつものように万引きに行き、いつものように商品を万引きしました。
 
しかしその時は、店員の1人が商品の数が合わない事に気付き、まだペットショップ内に居た私達の手荷物を検査し、その時初めて捕まりました。
 
そして、親にも連絡が行き、何故万引きなどしたのかと、母に優しく問いただされました、ですが、何故自分が何故そんな事をしたのか分からず、何も答えられませんでした。
 
それから私達は万引きをする事は二度と有りませんでした。
 
そして、自分が成長するにつれ、万引きと言う罪の重さをしっかりと認識出来るようになって来ると、毎日のように自分を責め、死にたいと思う事も有りました。

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17:46
私の家族構成
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私の家族は、父、母、4歳上の兄の4人家族です。(この家族構成は結婚する前の家族構成です)
 
父は、私が幼稚園の時にうつ病になりました。
 
だから物心ついた時から、空気を読む事が自然と身に付くような環境に居ました。
 
うつ病になってもしばらくは症状も軽かった為、仕事は続けて居ましたが、ちょくちょく転職していた為、共働きで、母は仕事から帰れば家事ゃ父のご機嫌伺いでほとんど構っては貰えませんでした。
 
その寂しさからか、今では何故あんな事をして居たのか分かりませんが、幼稚園では先生に怒られるような事を度々しては、母を困らせて居ました。
 
小学校に上がっても、父の症状は良くならず、日に日に悪くなる一方…父が仕事から帰れば家の中の空気は張り詰めて、子供ながらに、父のご機嫌をとるのに必死でした。
 
私が小学校に上がった時、兄は小4で、兄はその頃から学校に行くのを嫌がり、父が居ない時間に家で暴れたりしては母とぶつかって居ました。
 
当時はまだ不登校への理解が無かった時代で、母も頭を悩ませて居たのを覚えて居ます。
 
そして私も最初は兄が学校に行かないのがずる休みだと言って、度々私も休むようになりました。
私は最初はずる休みをして居ましたが、次第に学校に行くのが怖くなり、小2から不登校になりました。

そして父の病状が思わしく無く、仕事も辞め、母だけの給料では生活出来ないと言う事で、私が小3の時、両親の地元へ帰り、父の祖父母と同居して、実家の家業を継ぐ事になりました。
 
引っ越してからも私はあまり学校には行かず、行っても、保健室で数時間過ごすだけでした。 
中学の3年間も保健室登校だけで、教室に入ったのは中学最後のHRの時、少しだけ入っただけでした。
そして中学卒業後、私は一年だけフリースクールに入り、小2からほとんど勉強をしていなかった為、自分のペースで勉強し一年を過ごしました。そして兄は引っ越してからは一度も学校には行かず小学校、中学を卒業、両親は兄に中学卒業後直ぐに、高校などに通わなくても、しばらく休憩してはどうかと持ちかけましたが、兄は通信制の高校に中学卒業後直ぐ入学し、独学で勉強し、4年制をストレートで卒業し、卒業後は、自分のしたい事を探す為に実家の仕事を手伝って居ます。

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17:04
私の病気
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私は、中学一年生の時に、強迫性障害の洗浄強迫という、精神的な病気になりました。
 
強迫性障害と言っても色々有るのですが、洗浄強迫という私の病気を簡単に説明します。
 
手が汚れている訳では無いのに、汚れて居ると不安になり、手を洗わずには居られなかったり、自分が汚れていると思っている物ゃ人に当たったり触れたり、または、触れて居ないにも関わらず、汚れたと強く思ってしまい、洋服等洗える物は全てハンドソープで、自分が納得するまで洗わないと不安で、イライラしたりします。
 
どこかに出掛けても、ドアノブに触れられなかったり、イスに座れなかったり、他人からすれば何でも無い事が私には全てが苦痛で、家族と食事も出来ず、いつも1人で食事をして居ました。
 
家族ですら私は触れ合いを拒絶し、自分が決めたグレーゾーンに服が当たったと思ったら、1日に何度も洗濯に出しては着替えて、冬場等は着るものが間に合わず、下着姿で毛布にくるまり、布団で寝て、服が乾くのを待って居る事も有りました。
 
症状が出てから直ぐに心療内科に受診し、薬物療法で、今はかなり良くなって居ますが、ここにたどり着くまでに、何度となく自分を恨み、病気を恨みました。
 
自分は他の人のようには生活出来ない事への怒りと悲しみ…毎日が葛藤でした。
 
私の病気の症状を簡単に説明したつもりですが、説明が下手な為、伝わりにくかった部分ゃ分からなかった部分等有れば、絡みroomにてご質問頂ければ、説明出来る範囲で出来るだけ分かりやすく説明します☆

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01:28
過去〜現在
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私が1人の人だけを愛せなくなったのは、18歳の時くらいからです。
 
当時私には、17〜18歳まで付き合って居た彼氏が居ました。
 
彼は一つ年下の16歳の高校生。当時の私は中学卒業後は実家の家業を手伝って居た為高校に入ったのは18歳の時でした。
 
通信制単位制高校に入学し、同世代の仲間達との触れ合いに毎日楽しく過ごして居ました。
 
そんなある日、友達がサイトをしているのに興味を持ち、最初は、ただ話し相手欲しさに、軽くメル友を募集して居ました。 
もちろんその事は、彼氏には内緒でした。
 
それが段々とエスカレートして行き、相手の人と電話で話すようになり、男女の行為についてどうすれば、彼が喜ぶか…?など、相談したり、電話越しに教えて貰って居るという事を彼に話してしまい、2年近く付き合って居た彼氏とは、私の軽率な行動で別れてしまぃ、それ以降私はサイトにハマり、毎日のように投稿しては、話し相手を見付けたり、彼氏候補探して居ました。
 
この頃から、私の中の大事なネジが外れてしまったのだと思います。
 
毎日学校が終わっては、サイトで知り合った男と会って、寂しさを紛らわすように、求められるままに、身体を重ねて居ました。
 
自分を必要としてくれているんだと、その時は勘違いをして居ました…。
男達はただ身体目的なだけなのに…。
 
中には、私を本気で好きだと言ってくれる人も居ましたが、その時の私にはその気持ちは軽いように感じられ、本気にはなれませんでした。
 
その時はただ、彼と別れた辛さを紛らわせたかっただけなのかも知れません。
 
日を追う毎に、自分がして居る事が虚しくなった事も有りました。
 
その頃に、リスカを覚え、イヤな事が有ると度々自分を傷付けたりして居ました…。
 
けれど、現実は何も変わることは無い事に気付き、気付けばリスカをする事は無くなって居ました。
 
しかし、彼氏が居ても、1人の愛だけは足りず、もぅ1人彼氏を作る事は止められませんでした。
 

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