WH

□On Your Birthday
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「ワトソン?」
「っ……!」
『武器庫』からホームズが顔を出すと、ワトソンは文字通り飛び上がり階段で立ち止まった。
「出掛けるのか?」
「あ、あぁ」
「往診か?」
「まぁ、そんなところだ」
「診察時間は終わったのに?」
「その、どうしてもと頼まれてね」
「……手ぶらでか?」
杖すら手にしていない医師はホームズの問い掛けに瞬間口を結ぶと、直ぐさま自嘲気味な笑いを浮かべ踵を返す。
「本当だ、うっかりしていたよ」
「医者の命を忘れて診察に行くなんて、私が銃を忘れて捜査に行くより致命的だぞ」
「ついね、焦ってたんだ」
「そうか……今日の夕食なんだが、ハドソン夫人が……」
「悪いが暫く夕食は一緒にとれそうにないんだ、医学会の研修なんかが立て込んでて遅くなりそうでね」
自室の扉に手を伸ばすワトソンの申し出にホームズは思わず眉根を寄せた、長い間同居してきてそんな話を聞いたことは一度もない。
今の態度だって明らかに胡散臭い、何か隠しているなとホームズの中の探偵魂が疼いた。
「研修ねぇ、そんな夜分にやるのが常なのか?」
「みんな開業医ばかりだからな、夜遅くの方が都合が良いんだ」
「そりゃ勉強熱心なことで、君が学会で教授の座に就く日も近そうだな」
「ホームズ、一緒に居られないのは本当に済まないと思ってるんだ、そんなに拗ねないでくれよ」
「拗ねてない、不貞腐れてるだけだ」
わざとらしく唇を尖らせ上目遣いに見据えるとワトソンは溜め息を洩らし、ホームズへ歩み寄るとその額に優しく口付ける。
「大きな事件の時には直ぐ駆けつけるから、少しの間だけ我慢してくれ」
「はいはい、分かったよ」
不機嫌なフリをして背を向けると、ホームズは『武器庫』に戻り粗っぽく扉を閉めた。



「絶対、何か隠している」
「そうかもしれませんね」
「結局その日は帰ってきたのが明け方だったんだ、夜通しやる研修なんてあり得ない」
「確かに」
「次の日もその次の日もだ、いっそ変装して尾行してやろうかと思ったんだがもしもの事を考えたら動けなくなった」
「と、言いますと?」
「もしもだぞ、誰かと逢引なんてしていたらどうする?ワトソンが私以外の男や女に甘い言葉を囁いて肩を抱き寄せてる現場なぞ目の当たりにしてしまったら、私はもう生きていく自信がない」
「知らない方が良いことも、世の中には山ほどありますからね」
「全くだよ……やっぱり恋愛とは厄介なものだな、クラーキー」
「そうですね」
「おい、ホームズ」
ここ数日間のうっぷんをクラーキーに零していたホームズが振り返ると、レストレードが苛立ちを露わにした面持ちで腕組みして立っていた。
「何だい、警部?」
「精神が衰弱してるのは充分に分かったが、いつになったら推理を始めるんだ?」
言われてホームズは足元に視線を落とした、そこには胴体から頭部と四肢をバラバラに切断された老父の死体が転がっている。
ここはレストレードに呼び出されて先刻やって来た事件現場、なのにホームズは一向に捜査を始める素振りも見せずに愚痴を吐露していた。
「今はそういう気分じゃないんだ」
「気分で仕事をするな、それとお前も付き合うな、クラーキー」
「申し訳ありません、警部」
「更に、お前たちも聞き耳立ててないで働け!」
そう怒鳴ってレストレードが振り向いた先には警官たちの人だかりが出来ていた、皆ホームズとクラーキーの会話聞きたさ故に堂々職務を放棄している。
カミナリを喰らった面々は蜘蛛の子を散らすように現場へ広がった、自分の人気に気付いていないホームズは首を傾げてレストレードに近付く。
「警部の教育の賜物だな、みんな統率がとれている」
「誰のせいで現場の風紀が乱れてると思ってるんだ」
「……?」
「とにかく、さっさと事件を解決して……」
せき立てるレストレードの鼻に人差し指を押し付け制すると、ホームズは空を仰いで一息に口を開いた。
「左肩の傷口以外は生体反応がない、ということは他の箇所は死亡してから切断された。恐らく心臓に近い左腕を切断したことで大量に出血して死に至り、猟奇殺人に見せかける為に全部の手足と首を切り離したんだろう、つまりは突発的な殺人だ。キングス製鉄所のロゴマークが刺しゅうされたシャツを着ているから、そこで最近揉めていた従業員たちがいなかったか聞き込みをすれば自ずと被害者の身元も犯人も明らかになる筈だ。他に質問は、警部?」
「……無い」
「そう、じゃあ私はこれで」
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