「オフ会」シリーズ

□4・リアル・絡園
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 まだ何か言いたそうな声に心の中で謝って通話を切り、彼はひとつ深呼吸をする。暑い。そよ風一つなく、空気そのものが不快な塊だった。
 アスファルトは灼熱の鉄板のように黒々とした艶のない輝きを帯び、申し訳程度に植えられた歩道の街路樹から落ちた影もさほど視覚的な清涼感を齎していないように思える。だいいちここ数日続いている猛暑と絶え間なく浴びせられる排ガスで、都内の植物たちはほとんどが虚弱体質だ。何年か前から精力的に取り組んできた緑化運動でしだいに数を増やし始めた草木は、それでも地方出身の人間の目には不自然に映るのだろう。ある意味、作り物よりも作り物めいた精気の無さで、地獄の釜の底のような熱気の中、懸命に手を伸ばすのだ。白い薄曇りの青空に向かって。
 携帯をジーパンのポケットにしまい込み、思い直して、肩から提げていたショルダーバッグのジッパーを僅かに開きその中に突っ込む。
 顔を上げた。とたんに眼底を刺す強烈な光。直射日光ではない。ちょうど交差点向こうの右斜め前に建つビルの窓に、ようやく傾きはじめた真昼の太陽の光が反射しているのだった。
 手を翳し、遮る。じりじりと焼けつくような痛みを手の甲に感じた。
 "まとも"な大学生が立ち寄る場所ではないな、と彼は改めて自分が場違いな人間であることを実感し、失笑する。周辺に立ち並ぶビルはいずれも無機的な銀色の光沢を放ち、角ばった巨大な柱が十階程の高さまで伸び、表向き親しみやすい顔を見せながらも気軽には近寄りがたい硬質な雰囲気を醸し出している。
 それらの中でも特に異彩を放つのが、いま彼が正面に眺めている高層ビルだ。圧倒的なほどの存在感を誇示しながら周囲を見下ろすその構造物は、近年建設されたばかりの真新しさと最大手企業のプライドを遺憾なく発揮して、オフィス街にひとつの異次元を作り上げている。
 サイバーコネクト・ジャパンの、本社ビルだ。
 ランドマークタワーでもあるそのビルと駅とを真っ直ぐ貫く道の両側には、様々なデザインに凝った喫茶店が立ち並ぶ。歩きながら、壁一面に張られた窓から中を覗いてみたが、予想以上に客数は少なかった。中には既に移転や閉店の張り紙を出している店もあった。道を歩いている人もごく僅かで、平日の昼間なのだから当然だが、子供は一人もいない。盛んに持てはやされた頃は平日昼夜関係なく信奉者の若者たちでお祭りのように賑やかだったのだろうが、もはや見る影も無く閑散としたものだ。むろん、昔と比べて、の話だが。今さっきすれ違った高校生くらいの年頃の少年たちは、会話もなくサングラスのようなM2Dをつけ、無表情に喫茶店の一つへと吸い込まれていった。周囲を見回して探す必要もなく、ここにはまだそういった人種が、たくさん彷徨っているのだ。
 やはり、大学帰りのその足で此処に来たのはまずかったかな、と彼は歩きながら己の軽率な行動を振り返る。前もってCC社のホームページを、自分の端末ではなく大学のパソコンから閲覧してきたのだが、彼が期待した情報は何も得られなかった。当然だ。クリーンなイメージを前面に押し出すだけのサイトに、陰で秘密裏に行われていることなど記載されている筈もない。だいいちその事実さえ、世間一般には知られていないのだ。そして、信じる者もいないだろう。重要なのは、今のCC社が多くの不祥事によってこれまでの地位を失墜しつつある、ただそれだけだ。
 事細かい業務内容や月年度の行事、採用情報などにも一応ざっと目を通し、地図だけを頭に叩き込んだ。本社ビルが新しい場所に移ってから、彼がここに訪れたのはこれが初めてだったが、降りた駅からすぐに目立つ外観が視界に飛び込んできたので、迷うことはなかった。


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