「オフ会」シリーズ

□9・リアル・蛍眼
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 珍しく曇りの日だった。
 羊の毛のような雲が、空一面に広がっている。所々に、灰色を帯びた綿雲も散らばっていた。午前の太陽は、ちょうどその裏側に隠れてしまっている。湿度の高い大気はほとんど凪いだ状態に等しいが、連日続いた真夏日がようやく和らいだせいもあってか、生気を取り戻した蝉が住宅の庭でかしましく騒ぎ立てていた。
 魁斗はバスを降りてから、携帯を片手に、とある場所を目指して歩いていた。
 汗でべとつく喉元を、掌で拭う。手を勢いよく振ると、滴が飛んだ。立っているだけでも全身が火照ってくる。昨日までと比べて気温が2,3度低くなったところで、暑いことに変わりはない。道路の隅に落ちる、ぼんやりとした建物の陰を選んで歩いた。木々の緑が今日は濃く見える。
 徳岡から連絡が来たのは、あの会談を済ませた翌日だ。件の番組以降、住所を変えているはずの助教授の居所を早々に突きとめたことに魁斗はさっそく度肝を抜かれたのだが、元々、自分に会う以前から、少しずつ調べを入れていたらしい。既に、約束も取り付けてあるようだ。偏屈な親父で苦労したよ、と徳岡は軽く経緯を語った後、そう愚痴をこぼした。メールの文章越しに彼の苦笑する顔が見えた気がして、魁斗はこれから自分が会う彼がどのような人格者なのか、少し不安に思ったりもした。
 今日は、連れはいない。
 生活のペースも違うあの3人が、魁斗の行動を逐一監視できるはずもなく、それぞれの用事で同行を諦めざるを得なかったのだ。当然、見聞きしたことは余さず報告するようにと、今回も半ば脅しのように承諾させられている。
 左右に住宅が建ち並ぶ幅の狭い道を、何度も現在地を確かめながら歩く。途中、門扉の向こうで、地面に腹ばいになった雑種犬がこちらを視線で追いかけてきた。つられて微笑みかける。
 新築とすぐに判る真新しい家の他は、どれもこれも似たような外観だ。
 徳岡に、連絡は常にこれで取るようにと手渡された、プリペイド式の携帯に転送された電子地図だけが頼りである。この地域は築40年を越える古い木造住宅が数多く建ち並び、道も複雑に入り組んでいる。土地勘のない者なら、数分で迷ってしまう場所だ。
 排気ガスを撒き散らしながら走り去っていく軽自動車を背に、魁斗は立ち止まった。
 地図に赤い十字と丸で示された現在地と、目的地が合致することを入念に確認して、顔を上げる。ずっと小さな画面とにらめっこしていたせいか、雲の切れ間から顔を覗かせる太陽が、少し眩しい。
 目を細めて、呟いた。
「ここか…」


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