「オフ会」シリーズ

□6・世界・奇還
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 対象のデータに強烈な圧力を加え、損壊させる。それは一見してプラズマ球に似ているが、激しく放電しているように見える部分は、周囲のデータに干渉した際に生じる亀裂が3Dに視覚化されたものだ。単体の威力は小さいが、連続で撃ち込まれれば、受けるダメージは計り知れない。
 渦のような軌跡を描きつつも、途中から各々が不規則に分かれて襲ってくる散弾に、対峙するタルヴォス――パイの感覚が極限まで研ぎ澄まされていく。
 認知外空間(アウタースペース)に、数度に渡って爆発音が轟いた。
 頭上は暗く、僅かに雲が流れ、遥か足元にも分厚い紫の雲が平らに広がっている。時折、横に赤い雷を走らせるその雲の正体は、閃光と共に空間の果てに現れる六角形の壁と同じ、無限に重なった透明なレイヤーだ。その二つの層に挟まれて、雲海の切れ目とも言うべき光の帯がある。帯は彼女を取り囲むように存在し、曙光を思わせる眩い光が彼方から射している。まるで黄金のリングだ。あちこちでは、天地を繋ぐ柱のように、細かな数列がゆっくりと捩れながら落ちていた。
 彼女の目の前にいるのは、不気味な半透明の化け物だ。
 白化した鯰のような長い胴体と尾びれを持つが、目や口はなく、代わりに頭部から黒い泡を絶えず噴出させている。
 左右の翼を一振りし、生じさせた乱気流で敵の砲弾を正確に叩き落として、タルヴォスは慎重に間合いを計った。
 彼女の知覚可能な範囲は全方位360度だけでなく、上下も含めた全ての向きに開けている。つまり死角がなく、常に全方向が"視える"状態だ。反射、動体視力、思考や判断などといった、人間が普段使っている脳の使用域が、憑神の影響で倍以上に拡張されるためである。通常の人間はこれに耐えられず、発狂するか、直前に防衛本能が働いて酷い眩暈や嘔吐感に襲われてしまう。見える筈のないものが見え、聞こえる筈のないものが聞こえる。自身とそれ以外の境界が曖昧になり、重度の幻覚症状を引き起こす。そして、常に意識を満たすのは、碑文の誕生に由来した、強い破壊衝動だ。
 パイは、碑文の完全な適格者である。覚醒した当初こそ、常軌を逸したこのありえない感覚に錯乱したものの、現在は問題なく使いこなせていた。
 AIDAが尾を震わせ、脊椎に複数個ある砲門から扇状に黒いレーザーを放った。<Helen>の最も厄介な攻撃だ。
「当たりは…しないわ!」
 タルヴォスは大きく後方に退いて間合いを取り、斉射されるレーザーをかいくぐりながら横手に移動した。黒い泡を吹き出す<Helen>に牽制のノーマルショットを撃ちながら、回避を織り交ぜつつ間合いを確実に詰めていく。
 身構える敵の半透明の体表が、認知外空間に満ちる淡い光を受け、ぬらりとした光沢を放つ。その長い胴体に、双翼を盾のように前へ鎖閉させて力任せに体当たりした。仰け反る<Helen>に再度のノーマルショットを見舞う。左右で二つの円陣を描いた無数の弾が流星のように踊り、至近距離から<Helen>を撃ち抜いた。
 奇声が上がり、白い魚影がのたうちながら吹っ飛んだ。同時に、画面上部に示された敵のゲージが半分まで減少する。
 <復讐する者>――タルヴォス。
 それは両手両足を拘束され、両目を刳り貫かれ、巨大な杭に胴を貫かれた異形の姿をしている。
 だが、『The World』のゲームシステムから逸脱した領域において、人を模したPCとしての形など最早なんの意味も持たないことは、彼女の動きから火を見るよりも明らかだ。そして、彼女の手元には、己を操作している筈のコントローラーもない。これはプレイヤーの意識がネットの境界線を超え、完全に憑神と同調を果たしていることの恩恵だ。プレイヤーがゲーム画面から状況を判断、PCを操作して再び画面に反映させるというプロセスが元から存在しないため、彼女はある意味、リアルの身体よりも自在に動くことができているのだった。
 攻撃を止め、広大な認知外空間を泳ぎ回る<Helen>に、タルヴォスは足止めの"復讐の宝珠"を放った。
 対象を追尾する小型の重力球が、周囲の空間を飲み込みながら<Helen>に襲いかかる。
 攻撃一辺倒な行動をとらず、驚異的な早さで戦術を学習しているAIDA相手に、戦いを長引かせるつもりはない。ただでさえ憑神化はサーバへの負担が大きすぎるため、相手が何であろうと早めに決着をつけるべきなのだ。
 一ヵ月後に退社が控えてはいるが、CC社職員としての考え方は、染みついて抜けないものらしい。
 それを皮肉に思うほど、彼女に余裕は残されていなかった。
 初撃は回避された。敵が同じタイミングで放った砲弾に相殺され、派手な爆発を起こす。
 爆風で、空間が微細に震えた。
 刹那、四散し消えていく砲弾の痕を突き破り、<Helen>が猛スピードで突進してきた。避けられないと悟った瞬間、長い尾に打たれ、弾かれる。続けて降り注いだ雷球に巻き込まれ、距離をとられてしまった。
 視界がぶれ、ノイズが走る。
「くっ…」
 AIDAの泡に触れたのか、左肩に走る痺れにタルヴォスは呻いた。しかし直後には、胸に刺さっている杭の取っ手、輪になっている部分から光の矢を生み出す。乱舞する計10本のビームランスは<Helen>を狙って撃った訳ではない。その後に発動する技の、準備段階として放ったものだ。
 "極刑の聖杭"――
 タルヴォスの周囲を回転しながら放たれる矢が、<Helen>を容赦なく串刺しにした。間髪入れず追撃に入り、スタンさせて再び攻撃に繋ぐ。防御の暇を与えない連続技でついにプロテクトブレイク状態になった<Helen>が、胴体が奇妙に捩れた格好でその場に硬直した。
 今を逃す手はない。
 タルヴォスは双翼を羽ばたかせ、細長い身体をくの字に折り曲げた。
 杭が光を帯び、透明な翅や六角形の鱗が全身の至るところから飛び出して、タルヴォス自身が砲台と化していく。過剰なほど全身が装飾されていく光景は、美しくも禍々しい。砲身の先に出現した巨大な眼のようなものが、見る間に輝きを増していく。
 <Helen>にそれを避ける術はない。
 気迫の咆哮と共に撃ち出したデータドレインが、苦しげにもがく<Helen>に直撃した。数列の帯が何本も砲口に吸い込まれていく。最後にAIDAの核が割れ、白く硬化して瓦解する魚影から、膨大な量のデータが黒い塊となって抜き出された。
 閃光と衝撃波が、薄暗い世界を駆け抜けた。


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