「オフ会」シリーズ

□7・リアル・一会
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「手は大丈夫か?」
「平気だよ」
 家を出てからもう幾度目かになる同じ質問に、肩掛け鞄を揺らしながら魁斗は笑い返した。
 何度も心配されるほど、荷物を重くしたつもりはない。さんざん迷った挙句、実は空っぽも同然なのだ。
 ヒートアイランド現象が活発化している炎天下といっても、砂漠を強行軍で突破するわけではない。並立する建物の陰である程度は日光を凌げるし、休憩できる飲食店は幾らでもある。さすがに土曜の午前中なので、大勢の人をよけて歩くのだけは難儀するが、それ自体は特に迷惑でもなかった。
「そうか…」
 隣を歩く長身の青年は、黒いストローハットのつばを少し持ち上げると、魁斗の横顔を見やって軽く頷いた。
 魁斗と違って、こちらは手ぶらだ。
 本人が言うには、愛車の鍵と携帯さえあれば、殆どの用事は事足りるらしい。
 性格は絵に描いたような生真面目一辺倒なのに、しきりに魁斗の荷物を気にしては「持ってやる」の一言が言えず下手な気遣いばかりするところは、相変わらずと言うべきか。すぐ顔に出る泰彦とは別の意味で判りやすい態度を取るため、その不器用な優しさには素直に好感が持てた。
 青年は前方を壁のように塞いでいる数人のグループと歩調を合わせながら、複雑そうに呟いた。
「お前の握力は速水より弱いから、すぐへばるだろうに」
「豪腕テニスプレイヤーと比べないでよ…まるで僕が貧弱みたいじゃないか」
「細いのは確かだろう。去年よりも痩せたんじゃないか?」
「気のせい。…言っとくけど、泰彦も細いんだよ?」
「あれはマッチ棒だからいいんだ」
 真顔で妙な例えを持ち出して、青年は肩を竦めた。
 おそらく、細くてすぐに折れるそれを、泰彦のひょろ長い体格にでも例えたのだろう。彼なりのジョークのつもりだったのだろうが、笑いどころがまったく判らない。魁斗は数秒ほど反応に困ってから、適当な相槌を打つことにした。
「まあ、確かに…。て言うか足腰だけなら、君より確実に強いんだけどね、僕は」
 対向する制服姿の女子高生を避けて、からかい口調で言う。
 アルバイトで頻繁に重い機材を運んでいるため、握力はともかく、体力は人一倍身についている。痩せているように見えるのは、筋肉がつきにくい体質だからだ。それに、これでも常人の倍は食べている。付き合いの浅い人と食事をする際には、大抵驚かれてしまう。好き嫌いが少ないせいか、幼少からあまり体調を崩したこともなかった。
 それにしても、これほど頻繁に気遣われると、嘘をついてでも荷物を持たせてやりたくなってしまうではないか。
「とにかく、心配いらないよ。だいたい悠が気にかけなきゃならないのはもっと別のことだろ?」
「それは…そうだが」
 魁斗より4つ年上の青年――悠は、返す言葉に詰まったように、口ごもった。
 内心で魁斗は、やれやれ、と苦笑した。
 付き添いを申し出てくれた彼に余計な勘繰りを入れられては、晶良や泰彦に対して更に申し訳が立たない。この三人が自分に内緒でどんなメールのやり取りを交わしているのか魁斗は知る由もないが、普通に接しておくことに越したことはないだろう。
 悠はまだ納得いかないような顔をしたが、結局、何も言わずに前を向いた。
 幸い、彼は今朝のニュースを見ていないようだった。玄関口で魁斗が浮かない顔をしていた理由を、単に緊張と不安のせいだと思ってくれたのは、説明するほどの気力さえなかったその時の自分にとっては、とても有り難かった。
 ある意味では、彼の方が魁斗よりもよほど『The World』に深い愛着を抱いている。今ではまったく別のゲームになってしまったが、あの世界に起こっている異変について知りたいのは、自分だけではない。魁斗はそんな彼に心強さを覚えるとともに、黙っていることへの申し訳なさも感じていた。
 表参道に入り、2人は街灯の下でいったん立ち止まった。
 ケヤキ並木の道沿いには、落ち着いた色合いの服飾関係の店が軒を連ねている。週休二日制の恩恵か、学生を中心に歩道は人で溢れかえっており、燦々と照りつける太陽の下、喧しいほどの賑わいを見せていた。
 魁斗は尻のポケットから、四つ折にした紙きれを取り出した。プリントアウトした地図は、何度も見直したせいか、折り目がくたくたに弱っていた。幾つかの大手店舗の目印がついた地図には、赤い小さな矢印が記入されている。
 メールの差出人が添付してきたものだ。
 店のホームページに掲載されている地図を、そのまま使っているのだろう。
 他にふさわしい店は幾らでもあるだろうに、こんな場所をわざわざ待ち合わせに指定するなんて本気だろうかと改めて思いながら、方向が間違っていないことを確かめて、魁斗は顔を上げた。
 神妙な顔つきで待っている悠に、笑顔で頷きかける。
「行こうか」
 排気熱と照り返しもあって、正午に近づきつつある気温は、かなり高くなっていた。"地獄の釜の蓋が開いた"とはよく言ったもので、日陰に入っても蒸し暑さは変わらず、耐え難い湿気が常に全身に纏わりつく。行き交う人々の一様にうんざりした表情にも、汗が滲んでいた。約束の時間にはまだ充分な余裕があるが、早めに着いておいた方が良いだろう。
 目的の場所とは、ケーキ屋だった。
 通りに面した露店用のカウンターの横にドアがあり、押し開けると、中は小規模ながらお洒落な英国風カフェになっている。
 狭いスペースに並べられた円卓には、若い女性やカップルたちが腰を下ろして談笑していた。各テーブルには卓上ランプが飾り付けられ、家や車などユニークな形をした陶器のティーポットが棚に並べられている。ホール内の控え目な電飾と二重のレースのカーテンが、外からの暴力的な光を程よく緩和していた。インテリアにも拘った作りだ。
 店内には洋菓子店独特の甘い香りが漂っていて、ドアを開けたままの魁斗に、中へ入ることを躊躇わせた。
「どうした」
 後ろから、悠が不思議そうに尋ねてくる。
「入らないのか?」
 魁斗は苦々しく笑った。――この、男を気軽に寄せつけない空気をものともしないとは、さすがと言いたいところだ。雑誌に載るほど人気の店には違いないだろうが、明らかに、男が二人で来るような場所ではない。
 甘いものが苦手な魁斗には、二重の意味で縁の遠い場所である。
 だが、入る前に、ちゃんと看板を見て確認した。待ち合わせ場所は、ここだ。
 いつまでも入り口で立ち往生しているわけにもいかないので、魁斗は軽く息を止め、勇気を出して店内に足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
 小ぎれいな化粧をした女性の店員が、冷蔵ショーケースの向こうから笑顔で挨拶してきた。


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