不器用な配慮に満ちた文面を読み終え、彼は眉を顰めた。
CC社の内情に詳しい"彼"にも、判らなかったらしい。
「やっぱり…」
一連のネットワーク事故は『The World』が原因だったのだ。
彼はキーボードの上で、軽く汗ばんだ手を握り締めた。
凪いだ風。蝉。雲ひとつない青空から強烈に照りつける日差しが、肌に痛い。
あの、悪夢のような数日間――
世界を襲った第三次ネットワーククライシスは、生活の隅々までネットワーク技術が浸透した昨今、7年前の規模を遥かに超える大災害を引き起こした。
彼も自宅で、数分おきに更新されていく被害報告をずっと見ていたから、終末じみた空気を間近に感じていた。
国家そのものが成り立たなくなるほどの混乱のさなか、AIDAウィルスの蔓延、リニアの脱線事故や航空機材の異常、原発の暴走、果てはヴィレッジ墜落の危険性まで騒がれた深刻な事態は急な収束を迎えたが、原因は未だに謎のままとされている。
そんな中、度重なる『The World』の不具合に始まる大企業CC社の不正行為は、世界を混乱せしめた"冥王"に押しやられ小さく報じられることとなった。それにも関わらず知名度が高い理由の一つとして、『オンラインジャック』で大々的に取り上げられたことが挙げられる。
常に真実の追究に信念を掲げ、多少行き過ぎた取材のやり方に世間の酷評は多いが、彼はあれこそ、最も信頼に足る番組だと思っていた。
ドール症候群の原因がネットゲームにあり、更に、CC社の隠された顔をも暴いた番組。菅井助教授の著書を買ったのも、そういう経緯があったからだ。
彼は過去を懐かしむように、苦笑する。
かつて彼も、CC社の巨大さをその身をもって経験した。企業としての利益を優先し、瑣末事を省みない怪物じみた組織だ。
『R:1』の廃止と共に『The World』を卒業した彼は、その後の出来事を何も知らない。それでいいのだと思っていた。
そんな風に考えながら、いつも通りの日々が戻ってきた矢先のことだ。
何の前触れもなく、彼宛てに一通の当選メールが届いた。
CC社が汚名を雪ぐ目的で企画した『The World』の無料アカウント。限定1名にのみ与えられ、当選者はモニターとして1年間『The World』をプレイし、その批評を提出することになっている。
サポートの不手際などで評判がガタ落ち、今も不買や署名などの抗議活動を行われているCC社ではあるが、応募総数は予想を超えて多かったと聞いている。そんな状況下での当選。応募した覚えなどないから、最初は送信の手違いか、新手の詐欺かと本気で疑ったものだ。
既にヘルバには連絡の取りようがないため、仕方なく今でも交流があり、『The World』を遊んでいる大黒なつめに相談したところ、"彼"を紹介されたときは本当に驚いた。なつめは気づいていないようだが、まさか"彼"も続けているとは思わなかったのだ。
もう7年になるのかと、改めて時の流れを感じた。
「…僕はもう、"カイト"じゃない…」
ヤスヒコは喜んでくれたが、あの地に戻るつもりなど彼には全くなかった。断ち切ったからこそ今の自分がある。しかし。
「……真実を知りたいなら、か…」
彼はモバイルを閉じ、鞄にしまった。
老人にもう一度礼を言って、席を立つ。木蔭を出て、眩しさに目を覆った。
炎天下の中で笑いながら元気に駆けていく幼い子供達を遠目に眺めやり、彼はゆっくりと歩き始めた。
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