「オフ会」シリーズ

□3・世界・予侵
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 その獣人PCは、明らかに様子がおかしかった。
 腰と背を屈め、類人猿のような極端な前傾姿勢をとりながら、一歩ずつ、近づいてくる。右脚とほぼ同時に右肩が出るのは、直立の時と違ってそちらの方が歩きやすいからだろう――だらりと垂らされた右手に握られている剣尖が、鈍い光を放ちながら地面を引っ掻き、斬り込む対象を求めて不安定に揺れている。
 斬刀士の表情はまるで顔面の全ての筋肉が弛緩しきった廃人のようだったが、目の前に立つクーンの姿をその濁った眼球で認めたとたん、悪鬼の形相に変わった。頭部から生えた獣人の耳が瞬きの速度で小刻みに動く。ぎりぎりと噛み合せられた口の端から涎が毀れ、生乾きの筋を伝った。
 どう控えめに見ても尋常ではない斬刀士に、クーンは内心訝りながらも、気安い口調で声をかける。
「やあ子猫ちゃん。随分と洒落たロールだけど、俺と冒険する方がもっと楽しいよ?」
 斬刀士の歩みが止まった。
 ぐるぐると忙しなく動いていた焦点が一つに絞られ、クーンを見据える。しかし、呼びかけに対する返事は無かった。低く唸る言葉は意味を成さず、チャット画面に解読不能な文字の羅列を延々と書き出している。
 低級なホラー映画を見ている気分だ…クーンは苦笑し、なおも斬刀士に呼びかけた。
「それにしても、随分と気合の入った――ッ!?」
 言い終わる前にクーンは右方へ身を翻し、右手に破銃剣・華嵐を呼び出した。爆発するような勢いで、斬刀士が突進してきたのだ。加速せず瞬時にトップスピードに乗った斬刀士の手から延長して剣が振り下ろされ、クーンが直前までいた場所を縦に斬り裂いた。
(問答無用ってか!?)
 クーンは内心冷や汗を垂らしつつ即座に身体を左に返し、攻撃モーションで横を通り過ぎていく斬刀士の背に銃剣を叩き込もうとする。
 だが、一瞬早く斬刀士も向き直り、こちらの反射速度を上回る勢いで剣を振り回してきた。アーツではない。クーンは直感する。自分でも驚くほど冷静に見つめていた斬刀士の刃が、演算しきれずに毀れ出た数式の粒子を大量に纏いながら、襲ってくる。
 防御する暇は無かった。咄嗟の判断でそのまま銃剣を押し込み、斬刀士の攻撃を攻撃で受け止める。――がぎん、金属の衝突音を立てて、火花が散った。凄まじい膂力に押し負ける前にクーンは片足を上げ、斬刀士の膝を渾身の力で蹴りつける。関節と逆の向きに膝が折れ、支えを失ってよろめく斬刀士の剣を無我夢中で跳ね飛ばし、腹部めがけて銃剣の先端を突き入れた。
 閃光が、弾ける。
 至近距離で放った砲弾の光に視界を白で埋め尽くされながら、クーンは大きく後方に跳び退った。相手と逆の位置、通路の奥に自分が移動したことを認め、息を吐く。たった一瞬の攻防で心臓が激しく波打ち、指が緊張で震えた。なんだ今のは。なんだこの感覚は。
 単純なレベル差や、プレイヤースキルの問題ではない。PCと融合した自分でなければ避けられなかった。久しく経験することのなかった、かつ歓迎できるものではない馴染んだ戦慄が、ある一つの予感となって背筋を駆け上る。ゲームの域を越えてリアルにまで侵食する、強烈な、既視感。
 ゆらり、と、視界の奥で斬刀士が身を起こした。砕けた右膝をものともせず、肩を痙攣させながら、立ち上がる。
 プレイヤー同士の戦闘に入ったにも関わらず、バトルエリアが展開されない。その代わり、ノイズが幾度も画面を横に分断する。クーンは臍を噛んだ。あの錯乱した呪療士の言うことを信じない訳ではなかったが、所詮、PKの趣味の悪いロールだろう――そう思っていた。だが、認識を改めなければならない。油断していれば最初の一撃で自分はPKされていた。
 攻撃を受け止めた側の腕が、まだ痺れている。PC『クーン』を操作する智成の腕に、痛みが反映しているのだ。
『虞φ@蛙a%フ*ヘャ>@…!!』
 聞くに堪えない獣の奇声を上げる斬刀士が、剣を握った手で頭を抱え、海老反りの姿勢で悶絶する。その足元の影が不規則に揺れ動くのを見た瞬間、嫌な予感は確信へと変わった。
「――くそっ!」
 何に対してのものか、舌打ちしたクーンは猛然と駆け出していた。ダンジョンの、奥に向かって。
(なんなんだ"あれ"は…そんな、…馬鹿なことが起こってたまるか!!)


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