「オフ会」シリーズ

□8・世界・壊古
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 悪い方向に傾きがちな思考を切り替え、今いる階層の見回りを終えて、下に続く坂道を降りきった時だ。
 階と階とを繋ぐプラットホームに、見慣れぬPCが立っていることに気づく。
 人間の男だ。
 このように危険なエリアで、しかも深い階層で、他のプレイヤーに遭遇するなど想定もしていなかったハセヲは、心底驚いた。寄り道は多かったものの、ダンジョン攻略は比較的早いペースだった。そもそも、最初にエリアに訪れたとき、他のPCは確かにいなかったはずだ。つまり、彼は後から来て、途中で自分を追い抜いたことになる。
 無事に来られるわけがない。
 既に、感染してしまったのだろうか。
 それならば、先制でPKを仕掛け、戦わなければならない。
 走る速度を緩め、ハセヲは注意深く、PCに近づいた。
 このゲームは、外見だけでPCの職業を見分けることは難しい。装備している武器が、非戦闘時には表示されないからだ。
 獣人なら――例えば、逞しい肉体を持つガ族は撃剣士(ブランディッシュ)、子供の背にも満たない小柄なウ族は呪療士(ハーヴェスト)、あるいは魔導士(ウォーロック)というように、特定のパラメータが特化しているため、ある程度は予測を立てられる。しかし、人間の場合は、平均的な能力の代わりに全ての職業を選択可能であるため、実際に武器を取って戦ってみるまでは一切判らない。
 傍に誰もいないところを見ると、ソロの戦闘職ではあるようだが。
 こちらに背を向けて作業しているせいか、あちらがハセヲの存在に気づいた様子はない。おそらく、手持ちのアイテムを処理しているのだろう。
 ハセヲは少し安心した。他者の気配を察知するなり、血に飢えた獣のように理性を失い暴れ出すといった、感染者の主な特徴である破壊衝動の予兆はなさそうだ。
 しかし、まだ油断はできない。プレイヤーの精神力次第で、AIDAによって増幅される狂気を制御することが可能であるからだ。その場合はPCの戦闘力も、AIDAの凶暴性も相乗的に増大するため、百害あって一利なしである。
 小川に注ぐ滝の音が、次第に大きくなってきた。
 天板から降り注ぐ丸い陽だまりの中で、水しぶきが乱反射し、たくさんの虹のかけらを散らしている。
 一見平和そうな景色に見えても、この汚染されたエリアでは何が正常で何がそうでないのかが判別できず、まず全てを疑ってかかることでしか、隠された毒素を見極める手段がない。
 設定レベルが169のエリアにソロで来るということは、それなりの実力を身につけた上級者のようだ。現時点でのハセヲのレベルは172だが、もし戦うとなると、苦戦を強いられるのは必至である。基本、装備補正込みのステータスよりも相対レベルが顕著に反映されるゲームであるだけに、5つほど違えば、PvPの個人戦では手も足も出ない。
 仮に相手が感染していたとして、そこからAIDA本体を外に引きずり出せさえすれば勝機を得られるが、あまりにも分の悪い賭けだ。しかし、このまま放置してタウンに戻られることこそ避けたかった。大多数のPCに広まってしまうと、一つ一つ虱潰しに対処している今のやり方では、とても間に合わない。
 AIDAは、人の感情に引き寄せられる。
 その近辺に"誘蛾灯"である碑文使いがいれば話は変わってくるが、標的が必ずそちらに向くというものでもないのだ。
 ハセヲは先を急ぎたかった。
 無事なようであれば、説得するなり何なりして、エリアから速やかに出て貰うべきだ。
 だが、そうでない場合は――
 PCの真後ろをすれ違う。
 まだ、反応はない。
 幸か不幸か、プラットホームから一定範囲内は、戦闘開始コマンドが非アクティブになっている。つまり、この安全地帯に留まっている間は、互いにPKが仕掛けられない。
 手遅れかどうか、確かめる手段は一つである。
 PCが作業を終えたタイミングを見計らって、ハセヲは声をかけた。
「ここで何してる」
「ぅひゃあぁぁ!!!?」
 ひっくり返った奇声を発して、PCが後ろ向きのまま縮み上がった。
 焦ってPCの操作を誤ったのか、その場で右往左往している。何度かあちこちを向いて、振り返ると、背後に立つハセヲを認めて非難の声を上げた。
「き、急に声かけんなよ、びっくりしたじゃねーか!!」
「あぁ…悪い」
 そこまで驚かれると思っていなかったハセヲは、毒気が抜かれた思いでつい謝罪した。そこで、はたと気づく。憤った目で睨んでくるこのPCに、AIDAが感染した兆候は――ない。
 肩や手に、帷子のような防具をつけた、和な雰囲気のPCだ。『寒月』と名前が表示されているが、そこからイメージできる印象と、実際ハセヲの前に立っている落ち着きに欠けたPCとは、とても結び付けられない。
 素早く観察してから、改めて、ハセヲは聞いた。
「ここで、何してたんだ」
「何って…見りゃ判るだろ。アイテム整理だよ。……てか、あんた誰?」
「俺を知らないのか?」
 今度はハセヲが驚いた。
 自惚れもあって、ハセヲは、自分の知名度はそこそこあると思っていた。『死の恐怖』と呼ばれていた頃とは外見が随分変わってしまったが、不動の宮皇であり、"新職業のテストプレイヤー"と噂されるただ一人の双銃使いの噂は、このゲームを長くやっていれば、必ず耳に挟むはずだ。
 それを、知らないと言う。
 おそらく最近になって復帰したか、よほど情報交換の機会に乏しいソロ狩りに固執しているかの、どちらかだろう。
 これは、聊か手間がかかりそうだ。ハセヲは内心で舌打ちする。無駄に時間を食うことが最初から判っていれば、声をかけたりなどしなかった。
 黙り込むハセヲに、寒月は明らかに引いたようなそぶりを見せた。
「知らないよ。そもそも、何の用? 出会い頭にレア寄こせとかメンバーアドレス寄こせとか、そういうクレクレ厨は間に合ってるんで」
 初対面から馴れ馴れしい自分を、不審がっているのか。
 隙あらば逃げようとしている意志が、態度からありありと窺えた。こちらとしてはその方が有難いのだが、エリアから出て行って貰わないことには問題の解決にならない。
「するかよ、小学生じゃあるまいし…」
 呆れつつも、辛抱強く言葉を続ける。
「このエリアは今ちょっと立て込んでてな。危険なんだ。だから何も知らない奴にのこのこ入ってこられると困るんだよ。今すぐ、出て行け」
「はあ?」
 心底訳が判らない様子で、寒月が片眉を吊り上げた。
 態度の節々に反抗の棘が見える。いちいち癇に障る奴だ。昔の自分なら確実にキレていた。
「あんた何様だよ。変なこと言って俺を追い出す気か? アイテム独り占めしようって魂胆か?」
 当たらずといえども遠からずである。
 どうやら、簡単に説得に応じるタイプではなさそうだ。上目線で間違いを指摘されると逆上する類の人間だろう。この余裕のなさは中学生――よくて高校生か。


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