「オフ会」シリーズ

□8・世界・壊古
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 送信者:八咫
  件名:なし
 至急、獣神殿に行け。パイが危ない!

 ――肌が粟立った。
 なぜパイがここにと動揺しながらも、ハセヲは脱兎のように駆け出していた。
 十中八九、寒月のように後から来て自分を追い抜いていったのだろうが、危険とはどういう意味なのか、すぐには理解しかねた。パイも碑文使いだ。もしAIDAが襲ってきても、互角以上に戦えるだけの実力は持ち合わせている。だが、八咫が警告を送ってきたのなら、それだけ抜き差しならない状況なのだろう。
 考えるのは後だ。急がなければ。
 坂道を降り、両側の崖から地下水が滝となって流れ落ちるB5Fの入り口で、妖精王のオーブを使う。
 表示された拡大マップの右下に、獣神殿と思しき宝箱のアイコンがあった。この階層で最後のようだ。残存AIDAの確認のために寄り道しなければならない場所はまだ残っているが、今は無視して、ゴールまでの最短ルートを頭に叩き込む。右、直進、左、左、直進――
 装備を小鬼の安全靴に替え、快速のタリスマンを重ねがけする。赤いオーラが足元から湧き上がり、全身を包み込んだ。
 チム玉のストックは心許ない数にまで減っている。常に満タンの99個でないと、どうにも尻の納まりが悪いような気分になるのだが、残りのトラップを解除するだけの数は充分ある。不足分は、パイを助けた後にでもゆっくり溜めればいい。
 全ての準備を手早く整えると、ハセヲは目的地に向かって突進した。見る間に後方へ過ぎ去っていく景色と、角を曲がるたびに変わるカメラアングルは、操作に慣れている人間でないと3D酔いしてしまいそうなほど激しい。小部屋を数匹単位でうろつくモンスターは、エンカウント回避の装備品をつけたハセヲに気づきもしない。心配していた蒸気扉のトラップも、先に2人も通過しているため、開いたままになっていた。
 進行を邪魔するものはほぼないが、頻繁に生じるノイズだけがやたらと耳障りだった。
 二度目の小部屋で、唐突に、天井まで達する青い柱に出食わした。
 バトルエリアだ。
 内部の様子は障壁に阻まれて見えないが、戦っているのは間違いなく寒月だ。バッドステータス攻撃を多用するモンスターが大半を占める高レベルダンジョンにソロで挑む度量は買うが、10以上の圧倒的なレベル差か、そこそこ育った錬装士(マルチウェポン)でなければ、武器属性の相性でかなりの苦戦を強いられてしまう。ハセヲはキャラクターメイキング時に、色々使えて便利そうだからという簡単な理由で錬装士を選び、職業選択でポイントを割り振って近接職を3つ取った。お陰で中遠距離からの攻撃は苦手だったのだが、今では双銃があるので、どんな敵が相手でもほとんど苦にならない。
 しかし普通の専門職は、そうはいかない。
 中で、カウンターを受けてタコ殴りにされている寒月の姿が透けて見えるようだ。もっとも、ここで手を貸してやる義理などない。
 あれだけ敵と戦いたがっていたのだ。本望だろう。
 ハセヲは胸のすく思いを味わいながら、バトルエリアの横を通り過ぎた。
 獣神殿は目と鼻の先だ。
 支柱から滴り落ちる滴が、光る苔で覆われた地面を濡らしていた。前に踏み込んだ足が水溜りを蹴って、泥混じりの飛沫を跳ね上げる。風音のない洞窟内に乾いた靴音が反響する。左右に等間隔で並ぶ照明代わりの草花が、疾走するハセヲを追うように、次々と頭を垂れていく。その揺れで、壁面に映った幾つものハセヲの影が、足元から引き千切られそうなほどに踊り狂った。
 知らぬ間に、ゲーム世界に"入りかけている"――――久しく感じたことのなかった、洞窟内の底冷えする空気の生々しさに、ハセヲは眉を顰めた。
 AIDAがエリアを掌握したのか、それとも碑文使いとしての意識が、ゲームに引き摺り込まれてしまったのか。コントローラーを握っている手の感覚が、明らかに薄れてきている。
 パイは、無事だろうか。
 もし彼女も自分と同じ状態なら、危険度は相乗的に増す。PCとリアルの意識は直結だ。最悪、戦闘不能に陥った場合、彼女が新たな未帰還者の一人に数えられてしまう。
 八咫が危惧しているのはそこだろう。ハセヲもそれだけは絶対に避けたかった。
 十字の小部屋を抜けると、断崖絶壁に挟まれた道の先に、緑色の光が浮かんでいるのが見えた。
 蒸気扉は、開いている。
 獣神殿の入口だ。
 戦闘を覚悟して中に駆け込んだハセヲは、息を呑んだ。
 岩の天窓から射し込む光を浴びながら合掌する黄金の審神者(さにわ)の巨像が、正面前方に鎮座していた。
 銀色に輝く無数の滝が周囲から流れ込み、背後に広がる大空洞を仄かに照らし出している。その場所へ抜ける手前の通路は、ちょうど陰になっていて薄暗い。回転するプラットホームの蒼いスフィア光が、まるで影絵のように、砂地に刻々と変化する模様を描いている。
 そのすぐ傍に、奇妙な塊が落ちていた。
 動揺と、悪い予感が的中した現実を無意識に否定したことから、咄嗟にはその正体が何なのか判別できなかった。
 辺りには、埃のようなものが舞っている。
 いや、埃ではない。
 あれは結合を失ったデータの欠片だ。
 では、所々を白く変色させ、こちらに頭を向けて倒れているのは――

「パイ!!」

 怖気がはしった。
 慌てて駆け寄ろうとするも、はっとして途中で速度を緩める。素早く辺りを見回し、AIDAの気配を探った。
 ――――いない。
 何一つ、ハセヲ目がけて襲ってくるものは存在しない。壮麗な曲が、周波数の合わないラジオのように途切れながら流れているだけだ。
 気づけば、あれだけ激しかったノイズも頻度を減らしている。
 遅かったのだ。
 ふらふらと近寄り、脱力するままに膝を折った。ぐったりと横たわる半壊のPCを抱き起こす。
 酷い有様だった。右の上腕から下が消失しており、そこから顎にかけて肌の表面に亀裂が伸びていた。腹には大穴が開き、傷周りのテクスチャごと剥がれ落ちて、砂のような粒子がさらさらと零れている。彼女がいつも愛用している赤いフレームの眼鏡はどこかに消えていた。瞼を閉じて唇を固く結んだその表情は、ただのCGに戻り、ぞっとするほど無機質だ。
 無念と失望に、肩を支えていた拳を固め、ハセヲは俯いて短く吼えた。
「…くそっ!!!」
 何を、悠長に遊んでいたのだ。
 もっと早く自分が来ていれば、こんなことにはならなかった。
 情けない。
 冗談ではなかった。
「パイ! おい、しっかりしろ!」
 強く揺さぶって呼び掛けてみるが、意識が飛んでいるのか、ぴくりとも反応しない。
 リアルの彼女は、どうなっているのだろう。
「……っざけんな!」
 烈火の如き自噴で、目の前が真っ赤になる。
 そもそも、どうして彼女が自分を追ってきたのだろう。お目付け役だとでも言うつもりだったのか。他人に心配される筋合いなど、最初からない。ハセヲはきちんと自分の役目は理解しているつもりだ。目先の欲求に我を忘れ、刹那に生き急ぐような愚行はおかさない。
 己の力量を読み間違え、自らを危険に晒したのはパイだ。しかし、それを止められなかったハセヲにこそ非がある。
 悔しかった。
 また一つ、大事なものが、指先からすり抜けていってしまった。
 パイにこれほどの重症を負わせるAIDAが存在するなど、信じ難いことだった。不意を突かれ、反撃の暇もないほどの強襲を受けたのだろうか。
 憑神になれば、勝機を捉えられたはずだ。
 それすら、不可能だったのか。
 ひとまず八咫に連絡を取って、ここを離れなければ。寒月が来たら、色々と厄介なことになる。ハセヲはパイを横抱きに持ち上げようと腰を浮かしかけ、そこで動きを止めた。
 ――何か、妙だった。
 唐突な違和感に、ハセヲは注意深くパイを見下ろした。変にちぐはぐな感じを受ける理由を、必死に考える。
 確かめるまでもなく、腕の中にいるPCはパイだ。桃色の長いツインテールも、CGとはいえ目のやりどころに困る露出度の高い格好も、彼女らしさを際立たせる凛とした印象が欠け落ちている他には、いつもと同じ――――いや、違う。
「………………ない?」
 ハセヲはもう一度、剋目するように、パイの顔を凝視した。
 やはり、ない。
 本来あるべきものが、パイの中から消えている。
 視覚で判断できる類のものではなかった。
 感じるのだ。彼女だけに限らず、仲間と一緒にいるときに感じるあの独特の静かな高揚感が、今のパイには僅かたりとも見出せない。
 ようやく確信が持てたハセヲは、呆けたように、口に出して呟いていた。
「…碑文を……奪われたのか…?」


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