拍手ありがとうございます!
2年前の没ネタを発掘したので今さら加筆修正。恥ずかしいくらいのベタさ!




 ― 1 ―

 『The World』には、そこに至るための手段がなく、削除もできず、CC社が放置同然にしている用途不明の場所がいくつかある。
 ロストグラウンドとは違い、そこには『黄昏の碑文』ゆかりの地名がつけられている訳ではなく、ただ果てしなく広がる、天も地も真っ白な部屋があるだけだった。
 そんな忘れられた場所から、あるはずのない何者かの反応を感じ、カイトは戸惑いを隠せなかった。半強制的に拘束される日々の煩わしさと反比例して、『The World』に発生するバグの数は確実に減っていた。日常的にバグと戦っているCC社社員の努力のなせる業だろうが、そもそも、異常の遠因となっていたハロルドシステムはAIDAとCubiaの消滅以降、これまで小康状態を保ち続けていた。本来はAuraを成長させるための基幹であり、その影響で様々な自律AIが偶発的に生まれ、消滅していったのだが、世界が『R:2』に一新されてからはそうした現象は殆ど皆無に等しかった。完成しきったAuraがもういないのだから、それも当然と言えた。
 無視しておくことはできず、カイトは調査に赴くことにした。立場を共有する2人には待機を命じておいて、転送を始める。
 広大なネットの世界は、突き詰めれば、毛細血管のような構造をしている。あるいは、無数に触手を伸ばしたクラゲの群れのようなものか。"ここ"を基準にすれば上位次元ともとれる現実世界の、サーバールームの中に、『The World』の全てが詰まっている。カイトはその中を、自由に跳躍できる能力を女神から与えられていた。
 カイトはまた、優秀なデバッガーでもある。不要かそうでないかを自分で判断し、排除する力もまた、カイトに備わった力の一つだ。もっとも、それに関しては、急ごしらえで作られたせいか、聊か不完全な出来ではあったのだが。
 そこにたどり着くのに、さほど時間はかからなかった。
 自己を解凍して、全身に蒼い炎を纏わりつかせながら白亜の部屋に降り立つ。目的地から少し位置がずれてしまったようだ。思ったより璧が厚かったせいだろう。
 頭を巡らせて、周囲の状況を確認した。
 そこでふと、違和感を覚える。その目は、遠くにぽつんとある異物を捉えていた。
 未確認のオブジェクトが、無造作に散らばっている。『The World』を漂流する廃棄データは、ネットスラムや特定の吹き溜まりに流れ着くため、完全に閉鎖されたこの場所に何かが存在することなど普通はありえない。
 ――はずなのだが。
 近づいて、正体を確かめたカイトは、ますます困惑した。
 …これは、なんだろう。
 小さくてもこもこで、手と足が短くて、目がつぶらで茶色くて鼻が丸い。カイトの目には「正体が判らないなにか」イコール「未知の怪物」として映ったのだが、幸い、足元に転がるどのオブジェクトにも、動く気配は感じられなかった。
 ここに来る前に感じた反応は、どうやらこれらしい。それにしては、もっとはっきりした反応だったのだが。
 カイトは膝を曲げて、転がったオブジェクトのうちの一つに、恐る恐る触れた。頭と思しき部分に掌を置いて、構成データを念入りに探る。攻撃的なプログラムの類は、一切感じられない。特別な仕掛けもない、まったくの無害なデータの塊だ。だが、こうした小さなバグは、のちに思いがけない場面で、大きな障害に発展することがある。
 削除するべきだ。
 そう思って立ち上がり、右手の腕輪を発動させようとした瞬間。
 ――後ろから、服の裾を引っ張られた。
 強い力ではない。くんっ、と軽く引かれる程度のものだ。しかし、不動のオブジェクトとすっかり思い込んでいたため、カイトをほんの一瞬だけ混乱させた。
 油断した。判断を誤ったのだ。
 慌てて振り返り、見下ろしたカイトは、今度はすぐさま自分自身の視覚異常を調べなければならなくなった。
 ……これは…なんだ?
 対処しようと振り上げた手もそのままに、カイトは硬直した。
 見たことのないNPCが立っていた。背丈は獣人のウ族と同じくらいだが、明らかに人型をしている。黒い布を頭から被っただけの粗末な格好で、手足は細いが、頭が胴体に比べて大きいので、一般的な子供と比べて等身が妙に不安定だ。その左手は、足元にあるオブジェクトと同じものを1つ大事そうに抱えており、右手はカイトのほつれた服の裾を、しっかりと掴んでいた。
 それは、なにかに耐えるように唇をぎゅっと真横に結び、カイトを見上げていた。
 放浪AIだ。
 生まれたばかりなのだろう。
 しかし、問題は、そこではなかった。自分はそれだけのことで取り乱したりなどしない。
 『The World』の一員でありながら、CC社に管理されていない放浪AIは、実に様々な形態をとる。取得した情報量や生まれた場所によって、色々と変わるのだ。無機物であったり、動物であったり、中には『The World』の記憶(ログ)の一部を受け継いだ、前バージョンのPCの姿で現れたりもする。
 これは、そのどれでもなかった。
 ただし――見覚えはあった。ありすぎるほどだ。だからカイトを混乱させたのだ。
 そのNPCの髪の色は、白灰色に近い銀だ。目はくりくりと大きいが、なんとなく意志の強さを感じさせる眼差しで、紅い色をしている。頬の輪郭や背格好の違いはあれど、それは明らかに、間違いなく、どう見ても――――ハセヲだったのだ。
 もしや本人がバグってこんな哀れな姿になったのかと、カイトは本気で疑った。あれだけ自分のPCボディを弄り回していれば、なにが起きてもおかしくない。あるいは、あの無邪気で老獪な楽園の王の姦計に嵌って、再改造でもされたのか。しかし、それにしては、内に宿っているはずの暴虐な死神の碑文が見当たらない。それに、これを動かしているプレイヤーが不在だ。
 固まったまま、カイトは暫く、ハセヲに酷似したその放浪AIと見つめ合った。
 それは、じいっとカイトを穴が開きそうなほど凝視したあと――小首を傾げてこう呟いた。

「おかあさん?」









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