08/07の日記
20:39
ひどいね
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かまってちゃんはひどいね。
拗らせたらだめね。
縋っていいと思ったの。
誰かが声かけてくれると思ったの。
無視なんだね。
私は声かけたのに。
ひどい話だ。
私が声かけたからって同じことを期待するなんて、
まったくひどい話だね。
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19:29
ね
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ねね、きづいたよ
ゆびなら怪しまれない
あむかよりかんたん
ひさびさにこんなにちをまた
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18:24
恋愛
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まぁ、何故そうなったかというと、兄に殴られたんですよね。
そのおかげか、今も頭撫でてくれる誰かの優しい手すら拒絶するようになってしまっていて。
今までだって兄に殴られたことあったのに、父親にだっておなじようなことされてきたはずなのに、何故か、急に怖くなってだめになってしまって…
それでから約半年間考えて出した答えが親元を離れるだったんですよね。
まぁ、そんなわけで前半に繋がるわけですが…笑
後半に続こうと思います笑
恋愛についてですが、どうも狂ってるので、ちょっと自分の中でまとめてみようと思います笑
勝手にやれよって…
まぁ、そもそもが自分の自己満から始めてるんで、なんのアクションも期待なんぞしてないというより、アクションがあったら逆にどうしよう、と困惑するのですが笑
まぁ、色んなひとに話したけれど、友達といい別れ方をあまりしてこなかったせいか、はたまた親から過干渉を受けたせいか、あんまり恋愛願望がないんですな。私なんかが、恋愛なんてしていいのか、みたいに思ってしまう部分が多くて…
まぁ、それはどうでもいいのですが、そんなわけで、恋愛というよりも人に嫌われないようにするのが精一杯で、だから、誰かの心の中にあられ、という存在があればそれだけで十分に思ってしまうのです。
昔話をした時、ふとした時、あられのことを思い出してくれるだけで十分なのです。幸せなのです。
強欲だなとは思うけれど、遊びに誘ってくれるのもすごく嬉しいのです。
あられがいるから行こう、とか、あられがワンクッションになってくれる、とかそういう欲まみれのことですが、そう思ってくれるだけで死にそうになるんです。
そう思ってくれる人が、あられを端っこにでもおいてくれる、その行為が愛おしくて、仕方ないんです。
人間は嫌いだけど、あられの1番大好きな人は博愛主義者なので、彼と同じようになりたくて、だから、人間全てを愛そうとヤッケになってるのかもしれませんが…
それでも、あられを心の隅っこにでも存在させてくれる人が大好きなのです。
でも、あられを求める人は嫌いという矛盾。
あられは求められたくないのです。
恋愛対象においてほしくないのです。
ただ、ひっそり友達として、もしくは友達以上の存在として接してくれるだけで十分なのです。
歪んでるなぁ。
そう思った話。
今日の話はここまで。
またのちのちお話しに来ます。
次の休みは21日。
その日、人生初めて心療内科というものに行ってきます。
怖いけれど、何を話してよいのか分からないけど。
私、今の私を知りたいのです。
ただ、それだけなんです。
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16:38
機会
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久々、すぎて何がなんだか…笑
最近友達にもこってりしぼられたので、いい加減、自分と向き合う機会を持とうと。
ちゃんと病院に行って自分には何が必要なのか、問題点は何か、改善点は何か、見極めるべきなんだと思いました。
今までは(病気もちだったなら)病気を理由にしたくないから、って気持ちいっぱいでした。
きっとそれには親の"精神病なんて弱いやつがなるものだ"という思考の影響もあったのだと思います。
今思えば…笑
だけど、自分の人生を歩むならきちんと自分に向き合ってあげなきゃだめなんだろうな、と。ようやくそういう思考に落ち着きました。
落ち着いた、自傷癖も最近位置が変わって再発してしまいましたし、だからこそ余計にやりたい、切りたいっていう強迫概念みたいなのも強くなってしまって。
親元を離れようと決意しました。
しっかり、私にもう一度向き合って、私の人生を歩んでみようと思い立ちました。
覚悟は甘いのです。
決意は強いけれど。
だからこそ、自分を知る機会を持とうと思いました。
以上、前半…笑
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