□秒針は止まらない
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秒針は止まらない










「某が何をしたっていうのでござろうか。」
目の前で行儀良く小さく正座しているのは俺様の上司。
膝の上に載せられた拳は固く握られたまま。
「いや、いきなりそんなこと俺様に言われてもね。」
「名前殿が口を聞いて下さらぬのだ。」
うん、それはまぁ見てて分かるんだけどね。
名前ちゃんの好きなお団子を買おうと思って勇んで城下町まで行ってきて、その大好きな名前ちゃんに無視されたら悲しいよね分かるよ。
俺様だって名前ちゃんに無視されたら悲しいよ。
でもね。
「だったら名前ちゃんに直接聞けばいいじゃない。」
ここで俺様にうじうじ話してても解決しないんじゃないかなぁと思うんだけど。
「し、しかし名前殿は何も言って下さらなぬ!呼んでも、返事、さ、え。」
「わ、分かった!分かったから泣かないでよ旦那!」
あぁもうどうしろって言うのさ!
本当なら何で名前ちゃんが旦那を無視しているのか教えてあげたいんだけど、残念ながら俺様も旦那と城下町行ってたから分からないんだよね。
「出る時はいつもと変わらなかったのにねぇ。」
馬鹿みたいにでかい声で行って参りますと嬉しそうに告げる旦那に、名前ちゃんは見事な蹴りを以て送り出していた。
あの真田様に何てことを、なんてもう今さらで。
黙って止まっていればお姫様もびっくりなくらい美しい女性はびっくりなくらい暴力的なのだ。
そしてそれに抵抗するでもなくこの上司は尻尾を振って盲目的に恋をしている。
破廉恥だ何だと騒いでは接吻のひとつも出来ないこの情けない旦那に暴行こそしても無視なんてしているのは初めてだと思う。
けれどその理由を俺様も知らないから何ともどうにも出来ないのも確かで。
とりあえず目の前でぐずぐずと泣いている旦那をどうしようか。










「っていう感じなんですけど。」
仕方がないから俺様から聞いてきてあげるよ、そう言って何とか旦那を泣きやませて、今度は俺様が正座する番。
目の前の美しい女性は男前なのか色っぽいのか、片膝を立てて白い足を惜しげもなく見せつけながら煙管を咥えている。
なにこれすっごい俺得なんだけど、でもこの人もさっきまで泣いていた上司も怖いからそうっと眺めるだけしかできない、あれ、得じゃないのかも。
「何か旦那が怒らせるようなことしたの、かなー、な、んて。」
真田の、忍びの、長であるこの俺様がなんでこんな小さくなってんだ。
お姫様でも何でもない、あぁ、一応公的には武田のお姫様か。
親方様が気まぐれに拾ってきて、そのまま気に入って養女にした。
先の戦で家も親も兄弟も失った、可哀相な娘だ、最初はそう思っていた。
それがどこをどうしたのか、口よりも先に手や足が出る、口もなかなかに悪いけど、傍若無人な超俺様なお姫様になってしまったのだから不思議だ。
けれど時折見せる儚げな視線や、向日葵みたいな笑顔や、何よりもその美しい容姿にあえて騙されるように甘やかしてきたのは紛れもなく自分たちで。
きっとこの城の誰もお姫様に頭が上がるわけないんだ。
「あんたは幸村じゃないじゃない。」
うん、本来ならここで座ってるのは旦那であるべきだよね、俺様じゃないよね御尤もです。
「大方泣きながら聞いてきて下されーとか言われて折れたんでしょ。ばっかじゃないの。」
苛々している心中を隠そうともせず、眉間に皺を寄せて煙を上らせる。
ここまで煙管が様になる女を見るのは初めてだ、そんなことをぼんやりと思う。
「あー、まぁそうなんですけどね。」
そもそも無謀なんだ、この人に俺様が勝てるわけないじゃないか。
「ねぇ佐助。」
聞いたこともないくらいに色っぽい音で、それが自分の名前を呼んでいると一瞬理解が出来なくて、え、そんな声で名前を呼ぶなんて初めてじゃないです、か。
「あたしを、愛してくれる?」
するすると内腿を撫でられて、あぁすぐ近くに名前ちゃんがいる、ずるいよ、そんな声出せるなんて、そんな顔出来るなんて。
「いや、ちょ、冗談でも勘弁してくださいよ、旦那に、」
殺されちまう、そう言おうとして彼女の唇に飲み込まれた。
「え、えー。」
ぺろりと濡れた唇を舐めながら彼女はさも愉快そうに笑っていた。
けらけらと。
「入って来なさいよ。」
未だ笑いながら煙管に口をつける彼女の言葉に、襖が静かに開けられて、そこに立っているのは。
「は?旦那?」
うっそ何で俺様気付かなかったわけ、そんなに名前ちゃんに集中してたってこと?うわ、それって忍びとしてどうなの。
真っ赤な顔をして、立ち尽くしたまま震える手をきつく握りしめ、じっとこちらを見据える上司。
「言いたいことがあるなら言ってみれば?」
とんでもないことをしてくれたお姫様は何もなかったかのように笑いながら。
「破廉恥でござるー、じゃないのね。」
黙ったままの旦那に降り注がれる冷たい声。
何これ俺様ちょー気まずいんですけど。
「その首筋にある赤いのはどちら様につけていただいたのかしらねぇ。」
その言葉にぴくり、旦那の肩が揺れた。
なんだ、ただの痴話喧嘩に巻き込まれただけなのか、はぁ、大きなため息をひとつついてからお姫様に一礼をして。
思い当ることなどないなんて、旦那のことだから本当に思い当らなかったんだろうけど、この俺様を巻き込んだ上司を一瞥してから部屋を後にする。
「うん、でも役得だったかな。」
微かに触れ合った唇を撫でて呟いたことは誰にも内緒。














しまった、と思った。
今の今まで思い当らなかった自分にも、この居た堪れない場所から消えてしまった忍びにも悪態をついてやりたい。
「さっき蹴り飛ばした時に見えたから、まぁこないだ奥州に行った時だろうと思って、ついてった家臣に聞いてみたらあっさり吐いたわよ。伊達なんかにそそのかされて女買ったらしいじゃない、えらく美人だったらしいけどあっちも良かったのかしらね。」
そりゃ何よりだわ、笑っているのに目が笑っていない。
違う、違うのだ。
名前殿よりも美しい女子など某は見たこともないのだ。
それに、奥州でだって、いや、何を言っても言い訳にしかならぬ。
黙ったままの某を冷たく、突き刺すような目が、あぁそれさえもなんと美しい。
「で?いつまでそこに突っ立ってんの?用がないなら出て行けば?」
「そっ、某はっ!」
何も、していない、のだ。
涙が流れて止まらない。
某は男なのに、こんな情けない姿を愛しいこの方に見せるわけにはいかない、のに。
「某は、女子を知らぬ、故、政宗殿が、それでは名前殿をよろこばせることなど出来ぬ、と、そう申されて、それで、某は。」
手合わせに行った後に宴となり、名前殿の話になり、女子を知らない某では名前殿と、そう、なった時にがっかりされる、と、そう申されて、予行演習だ、そう申されながら某の部屋に女子を呼ばれたのだ。
飲みすぎていた、など言い訳にもならぬ。
名前殿を想い、名前殿と重なることを想い、下半身が熱くなっていたことも。
黙って煙管を咥える名前殿に、小さく、某らしくもない、小さな声で。
「その、いきなり女子に首を吸われて、し、しかしそれだけなのです。何もしておらぬ。その女子にもすぐに出て行ってもらったし、何も、某は、何も。」
信じて下さるだろうか。
否、信じて下さったとしても許しては頂けないかもしれぬ。
それだけのことを某がしたのだ。
好いた女子を傷つけるようなことを、怒らせるようなことをしたのだ。
しかし何故それが佐助と接吻することになるのだろうか。
心の臓が壊れるかと思うくらいに痛んだ。
声も出なかった。
某も触れたことのないその唇に、佐助のそれが触れるなど。
ぎり、握りしめる手のひらに自らの爪が食い込んで血が流れる。
「だからなに?」
そっと見上げて目に入るのは静かに涙を流しながら、それでもなお煙管を咥える愛しい人。
何故、名前殿が泣いておられるのか。
あぁその涙さえも美しい。
「それで、あたしにも触らせない体を初対面の女に吸わせて、何もしてないから許せって?ふざけてんの?馬鹿にしてんの?馬鹿なの?」
そうだ某は馬鹿なのだ。
この聡く強く美しいお方が、某のしたことに涙を流すなど、思いもしなかったのだから。
あれは仕返しだったのか、とふと思いつく。
成程、これを嫉妬というのか、不謹慎にも嬉しく思う自分を叱咤しようにも緩む口元を止められぬ。
「何笑ってんの?」
不意に飛んできた煙管が頬に、がつん、音を立てて当たる。
止められない、のだ。
「離せよ。」
「嫌でござる。」
抱きしめた体は思ったよりもずっと細く、すぐにでも折れてしまいそうだった。
暴れるかな、とも思ったが大人しく収まっていてくれて助かったと思った。
「名前殿は、某のことを好いていて下さったのだな。」
「はぁ?ばっかじゃないの、あぁ馬鹿だったっけ。」
「はい、某は馬鹿でござる。」
だから、知らなかったのだ。
「名前殿は何も申してはくれないから、馬鹿な某には分からなかったでござる。」
「意味わかんねぇ。」
「名前殿が好きだ。」
「知ってるし。」
初めて重なった唇は少しだけしょっぱくて、これはどちらの涙のせいだろうか、そんなことを思いながらもう一度重ねた。




「うおぉぉぉぉぉぉ名前殿ぉぉぉぉぉぉお!」
「うるっせぇ寄るなくそ犬が!」
まるでタガが外れたかのように、あれ以来幸村がうざい。
くっそ、失敗した、そう思う。
蹴り飛ばしても殴り飛ばしても、にこにこと笑いながら寄ってくる本当に犬のような男。
好きだ、愛してる、そんな言葉を与えたことは一度もない。
自分でそれを言うことだって破廉恥だと騒いで言えなかったような男が、今では腐るくらいにあたしに愛を囁き、はしないけど、叫んでいる。
「い、痛いでござる。」
蹴り飛ばした頬を押さえながら、それでも嬉しそうに笑ってるこの犬はどうかと思う。
なんだっけ、伊達が言っていた、そうそうまぞってやつだ。
「某はこんなにも名前殿を好いているというのに。」
そう言いながら懲りもせずに寄ってくる。
いつの間にこんなに免疫が出来たんだろう、そんなのこの間からに決まってる。
「だったら夜這いでもしてみなさいよ、ばぁか。」
そう言って笑ってやれば、真っ赤な顔をして、それでも、承知した、そう呟いた勇気は褒めてやろうかと思った。





ってゆーか巻き込まれて減給された俺様って目茶苦茶気の毒じゃないの?

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