□Toy
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世界はあたしを中心にして回っているのだ。


そう言って笑う少女は恐ろしいほど美しかった。















いつものようにワラジムシと犯罪現場に赴き、腹の足しにもならない食事を済ませてきたところだった。
事務所のドアを開ければ、霞んだ空気がふわり、揺れる。
「貴様、何をしている。」
我輩の席であるはずのそこに腰を下ろすだけでは飽き足らないのか、デスクに行儀悪く投げ出された白い足はピンヒールの赤い靴を履いたまま。
太腿まで露わになっているその足は魔界では目にすることの出来ない白。
いつからいたのであろうか、勝手に持ち込まれた灰皿はもうその機能をまともに果たせないほどにいっぱいになっていた。
「やっだ、あんたにしちゃ間の抜けた発言よそれ。」
どうかしてるわ、そう言って吐き出された紫煙はそこに留まろうとするかのように漂っていた。
視界の端に捉えたホワイトボードには、アカネが書いたのであろう、換気を促す文字。
気付いていないのか、否きっとわざとだ。
彼女はウイスキーを注いだグラスを片手に、燻らせているだけだ。
仕方なく窓に手をかけようとすれば、不愉快そうな視線と声。
「やぁよ、寒いから。」
そう言われただけで自らの手を止めてしまう自分に驚愕する。
まるで飼い猫ではないか。
「エアコンをつければ良いだろう。」
「あたし乾燥するの嫌いなのよね。」
ホワイトボードの文字は諦めた言葉に書き換えられていた。
窓まで伸ばされた手を引っ込めて、それでもソファまで行くことも出来ずに窓際に寄りかかる。
この女を放り出してしまえば何もかも上手く回る、それだけのことなのに。
「てゆか魔人なら空気清浄くらいすりゃいいのよ。暖房機能付きで。」
通らない理屈を並べるこの女に何故我輩がいいように従わなければならないのか。
その答えを探すよりも遥かに簡単なその作業を選ぶしか選択肢はないのだ。
「そういえば、今日は一緒じゃないのね。」
誰のことだ、それこそ間抜けな質問になる。
「腹が、減ったらしい。」
だから捨て置いてきたのだ、と。
自分から聞いておいて、彼女はもう興味を無くしたように新しい煙草に火をつけた。
「何をしに来たのだ、名前。」
「気安く呼び捨ててんじゃないわよ、何様のつもり。」
貴様こそ何様のつもりなのだ、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
言わずと知れたこと、この女は憎らしい女王様なのだから。
この世に存在する全ての男を従えた、美しい女王。
「何かするのはあたしじゃない、あんたでしょう。」
その細く伸びた足を組み替えて、より一層露わになる太腿を気にもしないように笑う。
この我輩が、謎など持たないただの人間を欲するなどとは。
「どうせ遊ぶなら壊れない玩具の方が安上がりだわ。」
この女、呼ぶことを許されない名前、心の内でしか許されぬ、名前はそう言ってここに来る。
ワラジムシから聞いた話によれば、あの無口な刑事やヒステリックな刑事、それに尽き従うやはり無口な刑事、計算の得意な元ハッカーに時折顔を見せる元チンピラ、名前を知っている全ての男が名前に恋焦がれているらしい。
いつだって気まぐれに現れては気まぐれに笑い、気まぐれに触らせる、そういう女だ。
容姿だけで見ればもっと整った女もいるはず。
それでも名前の発する蜜のようにどこまでも甘ったるい匂いは誰も持っていない。
まだワラジムシと同じ年齢のはず、それでも名前が学校に通っている話など聞いたこともないし、制服姿を見たこともない。
ただ会う度に違う服と違う靴と違うアクセサリーを纏って、毎回同じ笑みを浮かべているだけだ。
初めて会った時、悪戯に禍々しい手を見せつけて組み敷いた時でさえ同じ笑みを。
それは酷く恐ろしく酷く美しい笑みだった。
「魔人のくせに、随分と臆病なのね。」
空になったグラスになみなみと注がれるウイスキー。
ボトルにはもういくらも残ってはいない、それでも名前は酔った風でもなく変わらずに笑う。
「弥子の話だと大したサディストだったみたいだけど。」
違う、言おうとしたが喉は微かにも震えなかった。
黙っている我輩にさえ興味などないように、また新しい煙草に火をつけた。



名前がそういう女なのは知っていた。
同じ高校に所属しているにも関わらず、校内で名前の姿を見ることは一度としてなかった。
それでも留年どころか退学にすらならないのはきっと教師も皆名前に嫌われたくないからだということも知っていた。
最初から好かれてもいないのに、男というものはどこまでも滑稽な生き物だと思っていた。
初めて会ったのは、名前が関係する事件にうちの面倒で厄介な助手が食いつき首を突っ込むことになったから。
例の如く謎は綺麗にネウロの腹に収まったけれど、その事件の中心にいたのは名前だった。
名前を巡って起きた殺人事件なのに、その名前は笑みを浮かべたまま煙草を吸っていた。
普段ならうるさく言う筈の笹塚さんも何も言わずに、ただ名前を眺めていた。
あぁ、そういう人なのだ、この名前という女は。
男が滑稽なのではない、この女がどうかしているのだ。
それを確信に変えたのはネウロを踏みつけている彼女を見た時だった。
「おかえりなさい、探偵さん。」
放課後、いつものように事務所に入ると目に飛び込んできたのはいつもとは全く違う風景。
そんな、だってネウロが、あの超極悪で鬼畜で全てを見下しているようなネウロが、あたしと同い年の女の子に踏みつけられているなんて。
いつもあたしに強要することを、無様に跪き、その頭部を土足のまま踏みつけられているネウロを見た時のあたしの驚愕をきっと誰も越えられやしない。
「何、して、るの。」
掠れたようにしか出ないあたしの声に、何で当たり前のことを聞くのかとでも言いたげに彼女は笑った。
「遊んでいるのよ。」
ね?そう言ってその10センチはありそうな黒いピンヒールをネウロの首筋に突き刺した。
血が、出てる。
声も出さずにされるがままになっているネウロを楽しそうに眺めながら、彼女はその傷を掻き回す。
「今度は壊れないといいわ。」
それはまるで美しい絵画のようだった。





昔からそうだった。
自分の玩具を壊すのが好きな子供だった。
それは今も変わらない。
傷つけられて苦痛に歪む顔を見ると下腹部に熱がこもる。
自分でつけた傷に指を突っ込んで掻き回して、そうしながら繋がることが好きなのだ。
痛いのか気持ち良いのか、どちらとも取れる喘ぎ声を聞きながらの行為があたしを気持ち良くする。
けれど人間はすぐに壊れてしまう。
ちょっと加減を間違えれば死んでしまうし、血のめぐりが悪すぎれば下が機能しない。
その点この玩具のなんと丈夫なことだろう。
あたしが与える程度の傷では死ぬことはないし、傷を抉れば抉るほど猛る男性機能は簡単に果てたりもしない。
人間ではないのだから、妊娠することもないし、その綺麗な顔が歪んだ時の艶といったら。
首筋に開けられた穴を広げるように、指を入れて抉じ開ければ、喘ぎ声を洩らしながら激しく腰を振る。
ぐちゃぐちゃと聞こえる水音は赤か白く濁っているのか。
より一層指に力を入れて、あたしは何度も達するのだ。
「貴様は何者なのだ。」
乱れたままに床に寝そべり、煙草を吸うあたしに問うその表情は困惑。
けれどその問いはあまりにも馬鹿げている、そうでしょう。
煙草を挟んだ指は赤黒く染まっていて、心なしか煙も錆びついた味がする気がした。
「我輩が、ただの人間を。」
そう、その先を言わないのは賢明だと思う。
だって興醒めだもの。
黙ってあたしの好きなように動けばいい、そういうものでしょう?玩具って。















一通りの作業が済んだ後の彼女の笑みは、そこだけ違う色をしているから、それを見たいだけなのだ、それだけなのだ。

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