V

□sweet boy
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「っおい」
聞き慣れた声の切羽詰まった響きに振り向いたシングは、雑然とした市場の道にはたと大好きな彼の黒髪を見つけた。今日は大した買い物がなかった為にシング一人に買い物係を任せみんなは宿で荷物の整理をしたり休養しているはずだ。しかしそこには確かに彼がいて、なぜかシングではなく別の方向に進んでいってしまっている。
「…ヒスイ?」
ぽつりと彼の名を呟いて、先程道具屋で購入したグミやボトルが入った紙袋を抱え直し首を傾げる。
重い雲が立ち込める空を一度だけ見やってヒスイに視線を戻した。
早く連れて宿に帰ろう。今日は雨も雪も降らないだろうと言っていたイネスを信じていない訳ではないが、今にも何か落ちてきそうな灰色を見上げたシングは細い路地に消えた背中を追った。


こそりと背中を当てたコンクリートの壁は冷たくて、シングは思わず前に傾いた。それから今度はゆっくりと壁に背を預けて、自分の体温に馴染むのを待つ。
壁が苦でないくらいに温くなると、ほうっと息を吐いたシングは首だけだしてヒスイがいるであろう方を伺った。
「…だから!離せよっ!」
その瞬間噛みつくような声を上げたのは、ヒスイだ。彼の前には二人の大柄な男がいて、片腕を掴まれている。とても穏やかな雰囲気ではない。
振り払おうとしたヒスイの手はしかしもう一人の男に反対の手をとられ、動かないままに終わった。
「ちょっとそこまで付き合えって言ってるだけだろ?」
「嫌だっつってンだろ!」
叫んで男を蹴りつけたヒスイは、一人が腹を押さえて悶絶している隙にもう一人を殴り飛ばした。離された手にくっきりと痕がついていて痛みに眉をしかめる。
「てめ、痕ついてんじゃねえか」
げしっ。腹癒せにうずくまる男を踏みつけて、ヒスイは溜息を吐く。なぜこんな輩に目をつけられなければならないのか。喧嘩を売られたのだと信じて疑わない彼にとって、その相手に痣をつけられたのは屈辱だった。
「ちっ」
くるりと踵を返したヒスイは、そこで初めて狭い路地の角からこちらを伺うシングに気がついた。


 
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