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□プロローグ
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私の世界は、本の中だった
教えられたのは、言葉と文字
いつも遠くで聞こえる、かすかな声を拾って、音を覚えた

ここにあるのは、本
本棚を抜けた先に、1つのエレベーターがあるが
私は、そこへ行くことができない

時間になると、出てくる、つまらない食事
たくさん置かれた茶葉と意味をなさない3つのカップ
トイレとお風呂と、ふかふかのベッド

転がって
座って
立って
速読
遅読
音読

音読は、たまにしておかないと喉の調子が悪くなる

だってここには、誰も来ないのだから

外界のことは、本でしか知らないが
シビュラシステムが浸透した世の中において
紙の本というのは、あまり読まれないそうだ
だから、紙の本ばかり置かれている
さびれた図書館に来る人など、滅多にいない
ここに移動してきたころは、下から人間の声が聞こえたが
最近は機械音に似た声がするだけである




あぁ、そういえば1年ほど前に黒髪の人がここに来た
「図書館の最上階に、こんなに本が置かれているなんてな」と、驚いていた
もちろん、子供がいることもと付け足したその人は、1度来たっきり
ここには来なかった

今思えば、あの時初めて、人と会話らしい会話をしたのかもしれない
名前も知らないけれど、届かなかった本を自分で取れるようにと
下からはしごを持ってきてくれた
きっと、悪い人ではないのだろう




それから、また、いつも通りに本を読んだ
毎日毎日毎日
飽きたことなどなかった

本の中には、自分にないものがたくさんあるのだから
飽きるはずがないのだ

あぁ、ただ詩集はどうにも好きになれない












日差しが心地よく
ベッドにもたれかかって
知らないうちに寝てしまった
意識が浮上すると共に
顔や、口に触れる何かを感じた

「・・・やはり、人間か」

白い人
前に来た人とは、まるで正反対だ

「寝ていたのか?」

そう言って、私の頬に手を当て、唇に親指を付けた

「君は、まだ幼いと言うのに、難しい本を読むんだね」

私の読みかけの本に触れながら薄く笑った

『・・・何をしているの?』

「人形かと思ったんだ。あまりの白さと美しさにね」

『貴方も十分白いわ』

「・・・そうだね」

『ここに来る人は、貴方が2人目。ねぇ、少し手を貸して』

「・・・・いいよ、なにかな?」

『届かない本があるの、それを本棚から出してほしい』

「そこにある梯子じゃぁダメなのか?」

『・・・・・・・・・』

フリルに隠れていた足を男の前にさらせば
少し驚いた顔をして、「いいよ」と腰を上げた






いつも図書館の上の方から、声が聞こえていた
歌うような、演じるような、どこか作られたような言葉
その言葉は、時折イントネーションがおかしく
何度も上へ行ってみようかと考えたが
なんだかんだで、今日が初めてだ

上へと続く螺旋階段を1つずつ上がっていった

1番上の空間は下の階よりもずっと明るく
たくさんの本棚があった
いつも聞こえてくる声は、ここからするのだろうか

入り組んだ本棚を奥へ奥へと進めば
白く長い髪に白い肌、重厚なフリルと積まれた本
人間離れした、その姿がそこにあった

瞳を閉じているにしても
整いすぎた白い顔は、人間か人形か判断を難しくさせる

「暖かい」
思わず触れた頬は熱を持ち
赤い唇は、柔らかかった
おそらく閉じられた瞳の奥は、ガラス玉ではなく
自分と同じ、それが入っているのだろう







「僕は、槙島聖護。君の名前は?」

言われた通り、少女の手に届かない本を棚から出しながら尋ねた
だが、一向に返答が来ない
何かを悩むように視線を逸らせ
また、考えたくないように、どこか遠くを見ていた

「言いたくないのなら、無理には聞かないよ」

手を止めて向き合っても、視線は交わらなかった

『・・・・名乗るはずだった名前はあるわ。でも、私が名乗るべき名前はない』

「・・・どういう意味だい?」

『私が名乗るべきだった名前は、他人が名乗っているから。私には名前がない』

「・・・・なら、その名乗るべきだった名前を聞いてもいいか?」

『・・・・そうね、それなら確か。椿 菖蒲よ』

「椿・・・菖蒲?」

『それは私の名前じゃぁない。呼ばないで』

「なら、」

『なら、貴方が私に名前を頂戴?・・・今まで、名乗る必要がなかったの、だから、好きに呼べばいい』

「・・・・難しいことを言うね」

『何でもいいのよ・・・さっき持っていた、本の主人公の名前でもいい』

「そうだな・・・もう少し時間をくれるかい?」

『・・・好きにして』

また、棚から本を出す作業を始める
黙って、僕の方を見る少女は
ペタリと床に座り珍しそうに人として、僕を見た



「これで全部かな」

『そうね・・・あぁ、これも届かないわ』

「うん・・・・・・はい、どうぞ」

『・・・・・・』

「お礼くらい欲しいな・・・結構な量だったんだけど」

『・・・お礼?』

「そう、お礼」

『・・・・・・・お礼ねぇ?』

不思議そうに小首を傾げ何かを考える少女
一体、何を考えているのだろうか

『靴でも舐めればいいの?』

「どうしてそうなる」

『ある本の中で、少女はそうしていたのよ』

「・・・僕は、“ありがとう”と、言ってくれればそれでいいんだけどな」

『・・・ありがとう?』

「どういたしまして」

『・・・そう、ありがとうって、こう使うのね』

「知らなかったのか?」

『知らなかったわ、私は人と話さないから』

そういって少し驚いた表情をした
あまりに少ない表情の変化に見落としてしまいそうだ

「ここには、誰も来ないのかい?」

『来ないわ。少し前に1人来たけど、それっきりね』

せっかく出した本はそのままに、ベッドのある方へと
鎖をちゃりちゃりと音を立て戻っていく
途中“ちんっ”と音がして
少女は、音のした方へと向かった
そこから、食べ物らしきものを出し、テーブルに置いた

『まだ、いたのね』

「酷いな・・・邪魔だった?」

『・・・・ねぇ、貴方お茶を入れられる?』

「・・・・入れられるが、それがどうした?」

『ずっと前から置いてあるの、好きに使っていいよ・・・私は使い方がわからないから』

「いや、いいよ。もうすぐ帰るから」

『そう・・・』

「それは、食事かい?」

『えぇ、味がないけどね。生きるための最低限のことだから』

「生きるため・・・か」

『・・・まぁ、もうすぐ、おさらばだけど』

「どうして?」

『もうすぐ読み終わるからよ』

「・・・ここにある本全部を?」

『えぇ、今日、貴方が出してくれた本を読み終わればね』

「読み終わったら君は、死ぬのかな?」

『そうよ。私が選択できるのは、生きるか死ぬかだけだもの。1つくらい人生の選択がしたいわ』

「・・・君は、どうしてここにいるんだい?」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・そんなの知らないわ』

少女は、その食事に少しだけ手を付けたが、たいして元の量から減っていない
横に置かれていた本に目を向け
口を動かしながら、本を手にベッドへと転がった

まるで猫の様だ

「・・・また来るよ」

『・・・・・・・・』

返事がないのは、返す言葉を知らないからだろうか

ちらりと少女が視線を向けたように感じたが気のせいかもしれない




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