番外編

□番外編(第1章中)
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それからはもう大変の一言だった。

あの異様な液体を飲んで無事記憶が戻ったのは良かったが、溜まりに溜まった書類にリヴァイが力付くでも飲ませようとしていたことにも頷けた。


ハンジは記憶を戻す薬を作っていたため戦力外、リヴァイは私の監視、何故かエルヴィンも機能せず。

調査兵団は幹部3人がほぼ不在状態となっていたという。この状態で一番被害を受けたのはミケだろう。

モブリットはいつものことだったが、ミケがあんなに憔悴しきっているところを見るのは正直初めてだった。


エルヴィンに何度も「戻ったのか!そうか戻ったのか!」と満面の笑みで言われ、兵団内を歩けばいつも気さくに話しかけてくる兵士達が様子を伺うようにしながら声をかけてくる。

どれも記憶をなくしていた私がした行動を考えれば当たり前の事。


私は、記憶をなくしていた約一週間のことをハッキリと覚えている。

エルヴィンに強くあたってしまったことも兵士を避けていたことも。

一応「風邪」ということにして何とか隠蔽しようとしたが、あの頃の私が部屋で大人しくできるはずもなく被害は広範囲に及んだというわけだ。

これを直すのには時間がかかるかもしれない。


『ごめんね、ハンジ』


記憶をなくした直後、暴行をふるってしまったハンジに謝ると、相変わらず気にしていないとでも言うようにヘラヘラ笑っていた。


「いいのいいの、元はと言えばあんな薬を放置しておいた私が悪いんだし」


”リヴァイにこてんぱんにされたよ”なんて言っていたが、私がつまみ食いなど食い意地をはっていなければ良かった話だ。

まぁ、怪しげな薬を作っていたハンジも大概なのだが。


「そっちの書類はできたか?」

『うん、できてるよ』


そしてこの男。
記憶を無くした私を面倒臭がるどころか、事あるごとに面倒をみてくれた。

そういう優しいところに惹かれたのは自分なのだが、…まさか数年前の自分も惚れてしまうとは全く恐ろしい男である。


「漸く終わったか」


はぁ、とため息をつく。
リヴァイの言葉通り私が記憶を無くしていた間に溜まっていた書類は、見事終わりを迎えた。


『これをあとエルヴィンが処理しなきゃいけないんだけどね』

「あいつのことなど知るか。勝手に押し付けやがって」

『エルヴィンも色々大変だったんだよ』

「何が大変だったんだ?お前に拒絶されて落ち込んでただけだろうが」

『あれだけ酷い事言われたら、誰だって落ち込むよ』

「だからと言って団長があれでどうする」


”チッ”とリヴァイは盛大に舌打ちを零す。


「あの奇行種が例に漏れず奇行を犯したのが今回の元凶でもあったが、お前が食い意地をはっていたことにも問題がある」


…ごもっともでございます。

紅茶を淹れたティーカップをリヴァイの元にコトリとおく。相変わらず変な持ち方だが、それも久しぶりに見たような気がした。


「…なんだ」

『なんでもない』


思わず見つめてしまったのか、リヴァイが不機嫌そうに眉間に皺を寄せたまま睨みつけてくる。

あ、また皺が増えた。

これ以上見つめていると舌打ちじゃ済まなそうなので、ソファに腰を下ろしてカップを口に傾ける。

今日も美味しく淹れられたので、リヴァイも満足してくれているはずだ。


小さな沈黙が落ちる。
心地よい空間に一息つき、
再びリヴァイに視線を向ける。


[壁外に出て巨人を絶滅させれば、あいつらが思い描いていた夢を叶えてやれるような気がした。]


『…ねぇ、リヴァイ』

「なんだ」

『…気分を悪くしたら申し訳ないんだけど…』


カップの中で揺れる紅茶に視線を落としながらぽつりぽつりと言葉を零す私に、”だからなんだ”と不機嫌そうな返事が返される。

これは、聞いてもいいことなのだろうか。

少し迷ったが、リヴァイの事を知りたいという自分の貪欲な気持ちには逆らえなかった。


『リヴァイが調査兵団に入るきっかけになったというかその…、”あいつら”って誰?』

「…」


再び落ちる静寂。
ゆっくりと視線を上げると、リヴァイは手元の紅茶に視線を落としていた。

本当に僅かだが儚げな表情を浮かべたリヴァイに、私は慌てて口を開く。


『嫌なら言わなくてもいいの。変なこと聞いてごめん』


ガタリと立ち上がって先程終わらせ纏めた書類を抱え上げる。

何やってるんだ私は。
リヴァイの言う”あいつら”が、昔の仲間だったということくらい分かっていただろう。

そして彼等がもう、
この世にいないことも。


いくらリヴァイと言えど、それを思い出すのは辛いことのはずだ。なのに私は自分勝手な考えばかりで、リヴァイの事を考えていなかった。

…最低だ、私。


「調査兵団に入った当初は、俺の他にあと二人いた。地下街でつるんでいた奴らだ」


ぽつりと零された言葉に、
驚いて視線を上げる。

リヴァイの視線は相変わらず手元の紅茶に落とされていた。


「結局、最初の壁外調査で失っちまったがな」

『…』

「…」


コトリとカップがテーブルに置かれる。


「取引の報酬は地上で暮らす権利。…あいつらは地上で暮らすことをずっと夢に見ていた。俺も悪くないと思っていた。」

”結局地上もクソもなくなっちまったが”

と、続けられる声はいつもと同じで眈々としていて、それがまた強く私の心を締め付ける。


「あのまま地下へ帰ったらきっと俺は、あいつらと過ごした時間を無かったことにしただろう。」


共に過ごしていた時間を思い出せば、必ず失った時の記憶も思い出す。

だったら、初めからなかったことにすればいい。人間なら誰しもそうやって逃げ出してしまいたくなる。

だが、リヴァイはそうしなかった。

失った苦しみも悲しみも全て抱えて、世界と戦う事を選んだ。

なんて強い人なんだろう。
地下へ逃げてしまえば巨人と戦うこともなく、辛い記憶を思い出すこともなく…少なくとも今よりは楽に生きれたはずなのに。

そういうところが、
やっぱり不器用だなと思った。

それほど大切な仲間がリヴァイにはいたのだ。自分の運命をも変えてしまうような存在が。

リヴァイのこの優しさも強さも全部彼等があってこそのものだろうと思うと、今はいない存在にさえ嫉妬してしまう自分がどうしようもなく醜い。

私はリヴァイにとってそこまで大きな存在になれないだろうから。


『…すごく、大事にしてたんだね』

「あぁ。他人の命に責任をもったのはあいつらだけだ」


しかし、幸か不幸か兵士長になってしまったリヴァイは、部下である兵士達の命まで責任を持つ立場になってしまった。

そういうと、「あいつら全員の命に責任はもてねぇよ」と言ったが、リヴァイが命を落とした兵士の亡骸を回収する様子をいつも遠目から眺めていることを知っている。

頭で分かっていても、心の一部が捨てきれずに引っ掛かっているのだろう。


「もう二度と他人の命に責任を持つものかと思っていたが…、こういうものは気付いたらまた背負っちまっているものなんだな」

『エルヴィンもハンジも頼りになりそうで、二人ともそそっかしいところがあるからね。ミケは大丈夫だろうけど』


”リヴァイも大変だね”なんて笑いながら言うと、リヴァイは眉間に皺を寄せた。


「何言ってる、あいつらのことなんざ俺が知るわけないだろう」

『え?』


てっきりあの三人のことだと思っていたのに。

ぽかんと間抜けな表情を浮かべたまま聞き返すと、リヴァイは盛大にため息をついた。


「お前のことに決まってんだろうが。」


…え?

こちらに向けられる真っ直ぐな瞳は、もちろん嘘や冗談を言っている様子は欠片もなく。

私はただただ混乱する頭を必死に動かして言葉の意味を考える。


「あいつらが勝手に死んだとしてもそれはあいつらの落ち度だ、俺の知ったことじゃねぇ。だが、お前は違う。お前が死んだらそれは俺の責任だ。」

『…どうして?私が死んでも、それは私のせいであってリヴァイが責任を感じる必要なんて一欠片もないよ』

「馬鹿か。お前をここに連れてきたのは俺で、お前は俺の直属の部下だろう。」


それはそうだけれども。
それが、どうしてリヴァイが私の命に責任を持つことになるのかが分からない。

逃げ出さずにここにいるのも、副兵長としてリヴァイの側にいると決めたのも自分だ。これは誰に強制されたわけでもない、私の意思だ。


だから、リヴァイが責任を負う必要なんてどこにもない。

そう言うとリヴァイは再び盛大に舌打ちした。


「副兵長になったのは殆どエルヴィンに頷かされたようなものだろうが」

『違う!私は自分の意思でリヴァイの側にいたいと思っ…!』

「…!」


自分の口から出てきた言葉にハッとし、急いで口を閉じる。しかしリヴァイがその先の言葉を分からないはずもなく、珍しく驚いた顔をして見下ろしてくる。

そんな顔で見るな馬鹿!
こっちだってまさか思っていることを思わず口走るとは思ってなかったんだから!


『…〜っ、とにかく私は自分の意思でここにいるの。だからリヴァイに責任を感じられるようなことはないし、背負わせるつもりもない』

「…そうか」


短い返事。
ガタリと椅子が床と擦れる音が響き、リヴァイは立ち上がってゆっくりと歩み寄ってくる。

その真っ直ぐな瞳から何も伺うことはできない。何を思っているのか、私の言葉をどう思ったのか。


「だが、それは了承できない」

『な…っ』


”どうして!?”
そう問いかけると同時、
ぽふっと頭に大きな手がのせられた。


「お前を副兵長として俺の側に置かせると決めたのは、俺だからだ」

『…!…あれはエルヴィンが決めたんじゃ…』

「そんなわけないだろう。…まぁ最終的に許可したのはあいつだが、始めはずっと拒んでいた」


ふわふわと頭を撫でる手と、視線をそらしながらそう言うリヴァイに胸がこれでもかというほど締め付けられる。

…あぁ、私はいつかこの男に窒息死させられるのかもしれない。


「とにかくだ、俺はお前の命に責任を持っている。だから勝手に死ぬ事は許さねぇ、絶対にだ」

『…了解』


この言葉に頷く以外の返事ができるはずもない。”俺の許可なく死ぬな”と以前言われた時からその覚悟はできていた。

だが、今回の言葉によってそれは更に硬い決意に変わる。リヴァイに同じ思いはさせない、再び仲間を失うなどということは絶対にさせない。

”それでいい”と満足そうに言うリヴァイを見上げた。


『責任を感じてるのはリヴァイだけじゃないんだからね。私もリヴァイの命に責任を持ってるんだから』

「…はっ、お前は誰に向かって言ってるんだ」

『人類最強の兵士長様でしょ』

「分かってんじゃねぇか」

『でも、壁外では何が起こるか分からないでしょ?心配はしてないけど、不安なんだよ』

「余計なお世話だ」

『痛い痛い痛い!』


ぐりぐりと乱暴に頭を撫でられる。それはもう脳味噌がかき混ぜられるほどに。

だが、再び視線をあげた時。
浮かべられた小さな笑みに、呼吸が止まったような錯覚を覚えた。

仲間というものに無縁だった私達が、互いを支え合い、互いのために生きる。

こんな幸せな今に放り込まれた昔の私が動揺するのは当たり前だ。こんな風になるとは微塵も思ってもいなかったのだから。

だけど、これは列記とした私の今。茨の道を何度も転びながら歩き続けた結果だ。


そうして掴んだ今を、
私は全力で護り抜く。

そうやって同じように歩んできたであろうリヴァイを、隣で支えるために。


大きな窓から太陽の光が差し込み、リヴァイの黒髪がキラキラと光る。

互いの背中に背負った自由の翼。それを背負い、私達は未来に向かって歩んでいく。




END
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