番外編
□番外編(第1章中)
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『どういうつもり?』
額を冷やしなんとか落ち着いた私は、ハンジの元を訪れていた。訪れていたと言うより問い詰めに来たというのが正しい。
「いやぁ大変だったんだよ?でもすごいでしょ!」
なのにこいつは満面の笑みを浮かべて”褒めて褒めて!”と飼い主に媚を売る犬のように迫ってきやがる。尻尾まで見えそうな勢いだ。
『ふざけるな、誰が頼んだ?』
「いやだなぁ、いくら目が殺人的に怖くてもそんな子供みたいな力で胸倉掴んだって迫力ないよ?」
『…このっ』
「悔しがってる顔もかぁわいいーっ!」
『!?』
ガバッと抱き締めてきたハンジを引き剥がそうとするが、ハンジの身体はビクともしない。
ハンジの力が強くなったわけじゃない(元々強いが)、私の力が弱くなったからだ。
『離せぇぇ!』
「いつもだったら感触を楽しむ間もなく蹴り飛ばされるんだもん、今のうちしかないじゃない。いつも思ってたけどユキって柔らかくて本当にいい匂いするね」
『変態かお前は!』
暫く嫌がる子供のようにジタバタと反抗していると漸く解放された。満足そうな表情を浮かべる顔面を殴ろうとしたが、私の手はあっさりと受け止められてしまう。
「でも、そのおかげでリヴァイに助けてもらえたんでしょ?白馬の王子様のようにさ」
『何言ってるの?本当に大変だったんだけど?一歩間違えば大怪我だったんだけど?』
「それはそうだけどさ、ちょっとはキュンときちゃったんじゃない?」
『…くだらない』
…キュンと来たことは否定しない。…が、ハンジには死んでも言わない。
あのリヴァイが私を抱えて守ってくれたのだ。リヴァイには悪いと思ったが、これでキュンと来ない人はいないと思う。
「さっきも言ったけど、2日間だけなんだから存分に楽しんでよ」
『…楽しむって、すごい不便なんだけど』
「ユキの強さって勘の良さと今までの経験で得た感覚とかが大半でしょ?第六感を塞いじゃってるから、平和ぼけした市内の子達と同じ感覚になれると思うよ」
”痛みが増加するのと、普通の女の子より力がでなくなっちゃったのは計算外だったけどね”
と続けられる言葉に、
ハンジをギロリと睨みつける。
『さっきの仕返しは力が戻ったら必ずやってやる』
「…それは勘弁してほしいな。とにかく、戻るまではうっかり箪笥の角に小指をぶつけないように気をつけて」
そんな馬鹿みたいなことしない。
どっちにしても今の私ではこのムカつく野郎に制裁を食らわすことは叶わないのでグッと怒りを堪える。
私は深く溜息をつき、これから二日間どうやって乗り切ろうかと思案した。
**
***
それからの生活は本当に大変だった。
訓練ができない分、掃除をしようとバケツに水を入れたものの持ち上げられず。
書類の束を移動させようとすれば持ち上げられず、3つに分けて運ばざるを得ないこの状況。
おまけにすぐ息が上がるし、
疲れが押し寄せてものすごくしんどい。
ぐてっと執務机に項垂れていると、ガチャリと扉が開いた。リヴァイが訓練から戻ってきたのだろう。
項垂れる私を見たリヴァイは小さくため息をついた。
「何をやっている」
『…疲れた』
「大分片付いてるが、…お前がやっていたのか?」
『でも途中で力尽きちゃった』
顔だけ上げてみると、
リヴァイは執務室を見渡していた。
昼間何往復もしながら整理したのだ。この状態でよくここまで片付けたと自分に拍手を送りたいくらいだが、まだ残っているものがある。
そう言うと再びため息が零された。
「大人しくしていろと言っただろう」
『…そうだけど、じっとしているわけにもいかないと思って』
「普段は隙あれば寝こけるくせに、こういう時は真面目だなお前は。」
そんなに寝てな……いとは言えないけど、訓練も仕事もやるときはやっている。
と、文句を言うため口を開こうとすると、いつの間にか目の前にリヴァイの姿があった。
「お前がそんなに無理しなくても、これくらい俺がやってやる。」
リヴァイは私の机から書類の束を軽々と持ち上げ、書棚に運んでいく。
『いいよ、私がやるから』
「お前は大人しくしてろ」
『じゃぁ私も一緒にやる』
「ごちゃごちゃうるせぇ奴だな、黙って座ってろ。怪我したらどうするつもりだ」
『…、そんなことで怪我しないよ』
「扉に額ぶつけて泣きそうになってたやつがよく言うな」
『なっ、泣きそうになんてなってない!』
断じてそんなことない!
と、勢い良く言うと、言い切る前にぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でられた。
驚いてぎゅっと瞳を閉じると、
その手はぽんぽんと優しいものに変わる。
「お前にまたあんな顔されたら、俺が困る」
ーー…ドクッ。
…まただ。また、胸が締め付けられるような感覚。
ゆっくりと顔を上げれば、いつもと変わらない真っ直ぐな瞳と視線が交わる。
[リヴァイはユキに対して過保護すぎるよね]
前にハンジに言われた時は『そんなわけないよ』なんて返していたが、今こうして心配してくれているのを見ると、ハンジが言っていたことにも頷ける。
これはやっぱり私が弱くなったからなのか…。
いや、改めて思い返してみれば、リヴァイはいつも私に重労働はさせていなかった。備品の整理も今みたいな書類の整理も…。重いものは気がつけばいつもリヴァイが運んでいたような気がする。
私が弱くなったからとか関係なく、リヴァイはいつだって私を気遣ってくれていた。
普段はぶっきらぼうで冷たいように見えるけど、やっぱり本当は優しい人なんだと実感する。
『リヴァイ、背中大丈夫?』
「問題ない」
あれだけ強く打ったのに何もないなんて…、そう言えば今も訓練してたんだっけ。
”ありがとう”と改めてお礼を言い、私は薬のせいで体が弱っているのをいいことに思う存分甘えることにした。
**
***
ーートントンバタン!
「おっ疲れ様!ってあれ、ユキは?」
「いきなり入ってきて図々しい奴だな」
「いやだなぁ、ノックしたじゃない」
「お前はノックの意味を考えろ。」
毎度お馴染みの意味を果たさないノックと共に入ってきたハンジに、リヴァイはため息をつく。
「まぁいいじゃない、私とリヴァイの仲なんだから。それよりユキは?」
「もう終わった。自分の部屋にいるんじゃないか」
そう言うとハンジは”…そう”とだけ言い、ドカッとソファに座った。
「何の真似だ?」
「なにがー?」
「どうして居座ると聞いている。あいつがいないなら、ここにいる意味もないだろう」
「たまにはいいじゃない、二人で仲良く話すのも」
…くだらなすぎて言い返すのも面倒くさい。何を言っているんだこのクソメガネは…。まぁ、こいつの奇行は今に始まったことじゃないが。
何が楽しいんだかソファにふんぞり返り、陽気に鼻歌を歌っているクソメガネに”さっさと帰れ”という意味を込めて睨みつける。
だいたい、お前はどうしてそんな呑気に鼻歌を歌っていやがる。お前の作った薬のせいでユキの体力は低下し、今日明日の訓練もできねぇんだぞ。
…が、やはりこの奇行種クソメガネがそんなことで怯むはずもなく、”そういえばさぁ”なんて陽気に話しだした。
「今日ユキに思いっきり抱きついたんだ。いつもなら蹴り飛ばされるからね、明日までやりたい放題だよ」
「…お前は」
「そんな心底呆れたような顔しないでよ。リヴァイもユキを抱きしめた?」
いよいよぶっ殺されてぇみたいだな。
コトリとペンを置くと俺の殺気に気づいたのか、ハンジは大げさなほど顔の前で両手をふった。
「冗談だよ冗談!本気にしないでよ怖いから」
ため息をつき、
再びペンをとる。
本当にこいつの俺を苛立たせる才能は一級品だ。
「…それでさ、ユキのことどう思った?」
「何がだ?」
なんだいきなり唐突に。
そう言うとハンジはわくわくした表情を隠しもせず続ける。
「か弱くなっちゃったユキをどう思ったってこと。強くて一人でなんでもできちゃうユキが、か弱い普通の女の子になったんだよ?何か思うところないの?」
「訓練に支障がでるな」
「あーーもうこれだから男は!っていうかリイヴァイは!どうしてわかってくれないのさ!?」
目の前で悶えているハンジが何を言っているのかは分からないが、どうやら馬鹿にされているらしいことは分かる。
「…オイ、お前が何を企んでるのか分からねぇし分かる気もねぇが、お前に馬鹿にされる筋合いはない」
「馬鹿にしてる訳じゃないんだよ、ただどうして分かってくれないんだって話!」
「だから何をだ」
あーもう!とクソメガネは頭を抱えるが、こっちが頭を抱えたい気分だ。
かと思えばバンッと執務机に両手を置き、身を乗り出してくる。…一体なんなんだ。
「ユキが普通の女の子同然になっちゃったんだよ?可愛くないの?心配じゃないの?護ってあげたくならないの!?」
「…」
「…」
珍しく真剣な瞳で正面から睨みつけてくる。…やめろ気持ち悪い。
俺は今日何度目かのため息をつく。”邪魔だからどけ”と言うと、ハンジは何か言いたげな表情を浮かべながらソファに座った。
「…リヴァイの馬鹿野郎」
「蹴り出すぞ」
カップの中の紅茶を飲み干し、
カチャリとカップをソーサーに置く。
「俺がいつあいつを普通の女じゃないと言った。」
「…へ?」
「お前らがどう思っているかは知らないが、俺はあいつが一人で何でもできるような強い女とは思っていない。あいつはそこらの奴らと変わらねぇ、普通の女だろう」
書類にペンを走らせる音が響く。
珍しく静かだなと視線を向ければ、クソメガネは大きく目を見開いていた。
「…なんだ」
「…いや、リヴァイがユキのことをそんな風に思っているとは思わなかったから…」
「どういう意味だ?」
「リヴァイはユキを相当信用しているじゃない。壁外で背中を任せられるほど…だから、リヴァイもみんなと同じでユキの事を強いと思っているのかなって思ってた」
「あいつは戦力としては全く問題ないし、信用している。だが、一人で何でもできるような強い女とは思っていない。」
いくら凛として他人の手助けなんていらないという雰囲気を纏っていても、ユキはたった20になったばかりの女。
唇を噛み締めて必死に耐えては、寂しそうに笑って誤魔化そうとする。一人で悩み、勝手に抱え込んで苦しんでいることだってある。…甘えることが相当下手なあいつは、自分から口に出して言うことはないが。
そんな彼女のことを強い人間だという奴もいるだろう。実際、一般兵士から見ればユキは弱みを見せることもないし、戦力も頭一つ抜けた完璧な人間だ。
だが、俺から見ればただの一人の女。当然心配は絶えないし、自分がこれから先も護っていきたい存在だと思っている。
むしろ一人で自由気ままに突き進んでいく分、心配は尽きない。大人しく俺の目の届くところにいて欲しいといつも思っているが、あの野良猫のようなユキがじっとしているわけもないだろう。
それに想いを伝える勇気もない俺に、彼女を縛り付ける権利はない。
情けない自分には、
呆れてため息しかでない。
こんな面倒くさい状況から抜け出すには、やはりユキに想いを伝えるしかないのだろう。
「…わざわざ薬を作る必要なかったなぁ」
「あ?」
小さく呟かれた声が聞き取れずに問いかければ、”なんでもないよ”と満面の笑みを向けられる。
…何を笑ってやがるこのクソメガネは。
だが、本当に答えるつもりはないらしく、ハンジはスキップでもするような勢いで扉に向かっていった。
「まぁ、薬の効果は明日いっぱいまではあると思うから、怪我しないように見ててあげてよ」
”それじゃねーっ”
と言いながら、ハンジは廊下へと飛び出していった。
怪我しないようにって、
まるでガキじゃねぇか。
嵐が過ぎ去った静かな執務室を見渡し、もうこんな時間か…と机の上に広がっている書類を片付け、俺は自室に戻った。
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