空色りぼんA
□初めて
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それから暫くエレンと掃除をしていた私は、ふと窓の外を見て日が沈みかけているのに気がついた。
漸くあと2部屋となった頃だった。これだけ永遠と掃除をさせられたのは初めてかもしれない。いつもは執務室か、滅多に使わない会議室くらいだから手分けをしているとは言え建物一戸分は辛かった。
「…オイ、ユキ」
モップを片手にふぅと一息ついていた時、扉の方から現れたリヴァイにエレンが小さく体を震わせた。
『何?』
「来い、書類が届いた」
『運んでおけばいいんでしょ?あと少ししたら終わるからそしたら行くよ』
再びモップをかけようとすると、リヴァイの眉間に皺が寄った。
”あれ、もしかして急ぎなの?”と言うとリヴァイは”…いや”と言うが何故か不機嫌そうだ。
おまけにエレンまで睨みつけているものだから、エレンが怖がってしまっている。
「…そいつももうやり方は分かったはずだ、お前がこれ以上手伝う必要はねぇ。…そうだろ、エレン」
「は、はい!」
これはもうほぼ脅迫だ。”はい”以外の返事は許さないという視線を向けているくせに、エレンの返事に”ほら見ろ”とばかりにこっちを見てくる。
私は小さく溜息をついて”分かった”と返事をした。
『エレンごめんね、最後まで手伝えなくて』
「そんな…っ、本当にありがとうございました」
『じゃぁ、また夕飯ね』
モップをエレンに渡し、早々と部屋を出て行くリヴァイの後を追う。
廊下を出ると、もう既に誰かが掃除したのか見違える程に綺麗になっていた。
『随分綺麗になったね』
「…」
しかし、目の前の男からの返事はない。…あれ?やっぱりなんか怒ってる?
まさか、リヴァイが掃除に疲れたからということはないだろう。…だったら何故…。
そう思っていると、ふとリヴァイが口を開いた。
「随分と楽しそうだったな」
『…何が?』
「あのガキとは大層楽しそうに喋ってたじゃねぇか。そんなにあいつとのおしゃべりは楽しかったか?」
廊下に響くいつもより低い声。
その声が怒気を孕んでいたことは分かっていた…、が、これはまさか…。
『…嫉妬?』
そう呟くとリヴァイの足がピタリと止まった。思わずぶつかりそうになり”わっ”と足を止めると、リヴァイはゆっくりと振り返った。
見上げた先にある鋭い瞳は細められ、真っ直ぐ私を見下ろしてくる。
ああ、これはやばい。リヴァイが嫉妬なんてするわけがないと冗談で言ったつもりだったけど、どうやら調子に乗り過ぎてしまったようだ。
『冗談だよ、ちょっと言ってみたかっただけ』
慌てて手を顔の前で振って謝るがそれでもリヴァイの視線はやまず、私の瞳に穴を開けようとしているのかというくらいに睨みつけてくる。
『…ほら、早く行こう?もう日も落ちてきたから早くしないと、本当に夕飯に間に合わないよ』
何とか誤魔化そうとリヴァイの手を掴んで歩き出そうとしたが、引っ張ってもピクリとも動かない。
恐る恐る振り返ると、ゆっくりとその口が開かれた。
「俺は、心の広い奴じゃない。」
『…うん?』
真顔で紡がれる突然の言葉に思わず首を傾げる。
「…お前が他の男と話しているのを見るのは、気分のいいものじゃねぇ」
『…!』
つまり、…それって。
私の恥ずかしい勘違いは、勘違いじゃなかったってことでいいってこと…?
問いかけようとすると、くしゃくしゃと乱暴に頭を撫でられ頭を揺らされる。
痛い痛い首が取れる!
「わざわざ言わせようとするな、馬鹿が」
『で、でもリヴァイがそんな…嫉妬するなんて思わなかったから…』
「自分の女が他の男と楽しそうに話してれば、そりゃイラつきもするだろうが」
思わず瞳を開いて見上げれば、頭を押さえつけられ無理矢理下を向けさせられる。
一瞬だけ見えた照れたような表情は、見間違いでなかったと思いたい。
「…お前はあいつが牢に入っている時から、エレンエレンと奴に特別気を使っているようだったが」
『…まさか、ずっと嫉妬してた?』
「うるせぇ」
思わず口元が緩んでしまう。だけど、頭を押さえつけられているから見られることはない。
まさか、そんな風に思っていてくれているなんて思わなかった。リヴァイはそんな事を思うような人には見えなかったし、殆ど私の一方通行かと思っていた。
『エレンは教え子以上には見てないよ、私が見てるのはリヴァイだけだから』
「…、…だとしてもあれは気分のいいものじゃない。ベタベタしやがって」
ぷっと思わず小さく笑うと、”何笑ってやがる”と頭に置かれた手に力が込められる。
やめてやめて、私の首がそろそろ限界だから!
それが伝わったのか、ふっと手が離された。ゆっくりと顔を上げるとリヴァイはもう歩き出していて、やっぱり顔を見せる気はないようだった。
「もう一度言うが、俺は心が広くない」
『知ってるよ』
「いいや、分かってない」
後ろでユキが”え?”と言っているのが聞こえる。俺が普段どんなに我慢しているかを、こいつは分かっていない。
普段からユキは男兵士と交流する機会が多い。調査兵団にいる時点でそれは当たり前のことなのだが、そうではないのだ。
ユキは俺と違って人との付き合いが上手い。自分と他人との絶対的な距離を保ちながらも、相手の心は意図も簡単に開かせてしまうのだ。
だから、他兵士とも上手くやれるし、入団当初から自由時間には酒を囲みながらトランプやチェスを楽しんでいる姿をよく見かけている。
そうやっている時のユキは、普段俺といる時には浮かべない楽しそうな笑顔を浮かべている。冗談を言い合いながら、和気藹々と楽しんでいるのだ。
それに、どうしようもなくむしゃくしゃする。更にその笑顔を見た他の奴らがデレデレとユキを見ている事にもイライラする。
自分にはあんな笑顔にさせることはできないからだろう。自分は冗談を言ったり、一緒に馬鹿笑いしてやれるような性格ではない。
だからこそ自分にはできないことをやられると、どうしようもない気分になるのだ。
そんな自分に呆れてため息がでる。
安心したように笑う笑顔や、泣いている顔、キスした時の頬を赤らめた表情は自分だけに見せている表情なのに。
それでも、こいつの全部を手に入れられないことにむしゃくしゃしてどうしようもない。
こんな感情を持つようになるだなんて思わなかった。まさか、ただのガキ一人に嫉妬するはめになるとは。
俺が思っている以上に俺は、
こいつの事を思っているということらしい。
「…エルヴィンから書類が届いた。それを資料室に移動させる」
『分かった』
背中から聞こえる声に、
振り返ろうとしてやめる。
赤くなっているであろう顔をどうしても見られたくなかった。
**
***
『…やっと終わった!』
運ばれてきた書類を本棚や机に仕舞い込み、グッと大きく伸びをした。
新たな執務室となる部屋は本部より幾分狭いが、まぁ困ることはないくらいの大きさはある。
備え付けのソファもないが、元から使うことなんて殆どなかったし大丈夫だろう。
カタンと新しい机に腰掛けると、リヴァイが呆れたようにため息をついた。
「これくらいでへこたれてどうする」
『これくらいって…昼からずっと掃除し続けてたんだよ?』
「訓練よりマシだろう」
『…あんまり変わらない』
だって掃除の基準がド潔癖の基準なんだもの、そりゃ疲れるというものだ。
だが、それを当たり前だと思っているリヴァイは何ともないらしい。本当にこの男の底抜けの体力はどうなっているのか知りたい。…って言ったところでお前の体力がなさすぎるだけだと言われて撃沈するだろうが。
背凭れに背を預け天井を見つめながらぼーっと束の間の休息をしていると、リヴァイがカタンと立ち上がった。
「お前はもう部屋に戻れ、その汚ぇ体を洗ってこい」
『…もう部屋決まってるの?』
「俺が勝手に割り振った」
カツカツと歩み寄ってきたリヴァイは、私の手首を掴んでグイッと引っ張り起こさせる。
きっと部屋まで連れて行ってくれるということなのだろう。
『でも、まだみんな掃除してるのに私だけ先に休むなんて申し訳ないよ』
「お前は二人分やったんだから、それくらいいいだろ。それに奴らもそろそろ終わる」
『…じゃぁお言葉に甘え…、…てっ!?』
言い終わる前に掴まれていた手に力が込められ、バランスを崩した私はそのまま抱き締められる。
突然の行動に驚きながらも、ハッとしてリヴァイの胸を押した。
『さっき汚いって…』
「…うるせぇ、ちょっと黙ってろ」
しかし、私の抵抗などは何の抵抗にもならない。
そう言われて更に強く抱きしめられれば、逞しい腕と安心感にうっとりと瞳を閉じてしまう。
「…悪かったな」
『え?』
「俺のせいでお前を、危険な任務に就かせることになった」
耳元で零される謝罪の言葉に胸が苦しくなる。私は自分の腕を背中に回して、きゅっと彼の服を掴んだ。
『言ったでしょ?…ついていくって。置いて行かれる方が私は嫌だったよ』
「…」
『私を信じて、あなたの班に選んでくれてありがとう。』
リヴァイの瞳が微かに開く。
そして閉じられたそれが再びゆっくりと開かれと同時に、二人の視線が交わった。
そのままリヴァイはユキの唇にそっと口付けを落とす。
愛しかった。
自分についてくると言ったユキが。
危険な任務に足を踏み入れることになったというのに、それでも”選んでくれてありがとう”と言ったユキがどうしようもなく愛しくてしょうがなかった。
一度唇を離し、再び口付ける。
薄く開いた唇から舌を差し込めば、ユキの体は小さく震えた。
縮こまる舌を探し出してゆっくりと舌で絡めてやれば、おずおずと舌を絡めて応えてくる。
小さく響く水音と、服の裾を掴んでくる小さな手に更に愛しさが込み上げてくる。
今までキスをしたことは何度もあったが、こんなに甘かっただろうか。こんなにいつまでもしていたいと思ったことはあっただろうか。
今まではただの一連の作業として行なってきたようなものだった気がする。そこになんの感情もなかったし、ましてやこんな風にずっと続けていたいだなんて思わなかった。
それがこんなにも甘く官能的に感じるのは相手がユキだからだろう。行為は同じはずなのに、相手が変わるだけでこんなにも変わるとは思わなかった。
暫く夢中になって舌を絡ませていると、カクンッとユキの足の力が抜ける。反射的に腰に腕を回して受け止めると、ユキは小さな肩を揺らしながら必死に呼吸を繰り返して俺の腕を掴んできた。
慣れているだろうと思っていただけに少し驚く。ゆっくりと顔を上げたユキの瞳と視線が交わった瞬間、息が詰まるような感覚に包まれた。
頬を染めた赤い顔、少し下げられた眉に微かに水分を含んだ瞳。
その表情は理性を吹き飛ばすには充分すぎる程の破壊力を持っていて、リヴァイは歯を噛み締め必死に理性を繋ぎ止めた。
「…っ、…なんってツラだてめぇ…」
『…ごめん、』
「情けねぇ奴だな」
”…チッ”と小さく舌打ちをされ、再び抱え上げられて立たされる。
初めてリヴァイと深いキスをしたとは言え、まさかこんな風になるとは思わなかった。
キスをしたことは今まで何度もある。だが、それは無理矢理押さえ付けられ、ただただ強引に性欲をぶつけられるだけのものだった。
しかし、今のキスは添えられた手も重ねられる唇も暖かく…絡められる舌は私の舌を愛しむようにゆっくりと掬い取り、蕩けるような感覚に襲われた。
暖かな感触と、その相手がリヴァイという事に心臓は煩く鼓動を刻み、胸は締め付けられるように苦しくなる。
こんな感覚初めてでどうしていいか分からなかった。呆れたように笑われては恥ずかしすぎて肩を縮こませて俯くしかない。
「行くぞ」
ぽんっと頭を撫でられ、私は扉を出て行くリヴァイについていった。