空色りぼんB

□消えた空色
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調査兵団に来るまでは、自分の命を賭してまで護りたい者なんて1つもなかった。

自分の命が可愛いわけではなかったが、誰かの為にわざわざ重い腰を上げて刃を取る気にもなれない。地下街には他人の為に武器をとる酔狂な人間は1人もいなかった。


そんなどうしようもなかった私も調査兵団に来てから自分の中の常識と価値観をひっくり返され、仲間意識をもつようになる。

中でも彼らは特別だった。他兵士より長い時間を共にし、1つの任務を共に背負った。命をかけてでも絶対に護りたいと思えた仲間だった。


パチパチと小さな音を立てながら、白い小皿の上で燻る炎が一枚の紙切れを燃やしていく。普段は迷信など信じるタチではないが、彼らの墓にも赴けない今は迷信に頼るしかない。

彼らに向けた感謝と謝罪の言葉をどうか届けてくれと…祈る。


炎は徐々に小さくなっていき、やがて消えた。



**
***



ユキのマントが風に揺れる。同じようにいつも彼女の黒髪の上で揺れていた空色のりぼんは今はない。

彼女の代名詞でもある空色のりぼんを今のこの状況で踊らせるほど、ユキは馬鹿ではなかった。ユキは椅子に腰掛け『さっきモブリットから聞いたよ』と口を開く。


『ニックとエレンと、ヒストリアのこと。それから第四分隊は明日からローゼに行くんだってね』

「あぁ、そうなんだ。ローゼの安全確認には他兵団も協力的でさ、残念なことに私はまだ暫くここで留守番だけど」


あれだけ大騒動が起こった後なら普通の人間なら行きたくないだろうが、ハンジは本当に残念そうに呟く。


「ローゼの人間も地下に収容されてるし、こんないつ炎上するか分からないところにはあんまりいたくないなぁ」

『地下街の人間は黙っていないだろうし、備蓄もあまりないしね。備蓄はどれくらいもつの?』

「一週間が限界」

『それまでにローゼの安全を確認するのは無理だね』

「だから嫌なんだ」


ただでさえ自分の住処を奪われた不安を抱え、更に食料までそこを尽きたなんてことになれば人間同士の争いが勃発するのは避けられない。

かといってどれだけ急いでローゼの確認をしようとも、トロスト区のような狭い1箇所ではなくローゼ全体となれば1週間で確認するのは不可能だ。

この辺は他兵団がどう対処するか見ものと言ったところだろう。


「…モブリットのところに行ったんだね」

『あの場では聞けそうにもなかったから』


そう言うとハンジは困ったように表情を歪める。心配そうにこちらを見上げる表情はもう見慣れてしまった。


「…大丈夫?…ユキ」

『大丈夫だよ、嘘とかじゃなく本当に』

「…」

『リヴァイになんて言われようと調査兵団を辞める気も、この状況をほったらかすつもりもない』


尚も少し困惑したような表情を浮かべるハンジに、私は『まさか辞めるとか言い出すとでも思った?』と問う。ハンジは頷いた。


「リヴァイにああやって言われちゃね…ユキはリヴァイの言うことは結構聞くから」

『それなりに傷つきもしたけど、だからって真に受けはしないよ。リヴァイにああやって言わせたのは私のせいだから』


リヴァイを1人、
追い詰めさせてしまった。

リヴァイが自分を戦場から遠ざけようとするのもリヴァイ班に入れていないのも当然の事だと言えば、私がリヴァイ班のメンバーの事を知っていたのが意外だったのか目をパチクリと瞬かせた。


「知ってたの?」

『優秀な部下が見せてくれたよ』

「…そう」


言葉を濁らせるハンジは、恐らく「見せるな」と言っておけば良かったと思っているだろう。

皿に乗った僅かな灰を指で摘み、私は言った。


『リヴァイは私が説得する。だからハンジはこっちのことは気にしないで、エルヴィンの代わりを務めてよ』


(…あぁ、モブリットが言った通りだ)

と、ハンジは思った。

心配する必要なんかない。
彼女も成長していると。

以前のユキだったら、1人で悩んで苦しんでいただろう。そしてきっと調査兵団を辞めると言っていた…いや、何も言わずに姿を消していたかもしれない。

それがどうだ。今のユキに迷いは一切なく、いつもと変わらず凛とした瞳は真っ直ぐに前を見据えている。


一度ユキという最も愛する人間を失う恐怖を知ってしまったリヴァイは今、柄にもなく臆病になっている。

今度は本当にユキが自分の側からいなくなってしまったら。…また自分のせいで護れなかったらと恐怖に怯えている。


だが、ユキは一度死というものを味わい、その恐怖を通して以前からあった決意が形をもってより強固なものとなった。


失いたくないために遠避けようとするリヴァイと、失わないために戦おうとするユキ。

後悔し、自分を責め、嘆き悲しんだ2人はもう失いたくないと同じ気持ちを抱きながらも別々の答えを導き出した。


『とりあえず今日はここで寝ることにしたから何かあったらモブリット伝いで伝えて。リヴァイを説得するまではハンジと直接話すことを良くは思わないだろうし、モブリットには仲介役をよろしくってさっきお願いもしておいたから』

「…そう、うん。そうだね。そうするよ。それよりこの部屋のどこで寝るつもり?まさかそこのソファで寝るの?」

『まさか部屋の主であるエルヴィンをベッドから追い出すわけにもいかないしね』

「そういうユキだって普通に立って歩いているけど、一応重症の怪我人なんだよ?まぁ、ソファで寝たところでユキなら全然狭くなさそうだけど」


そういうハンジに一言余計だと吐き捨てふぅと皿の上に僅かに残った灰を吹けば、それらは風に乗って夜空に舞い上がりあっという間に消えていった。

とても綺麗な夜空だと思った。星が瞬き、澄んだ空気のせいかどこまでも広がる夜空が一望できる。

いつかリヴァイと一緒に見上げた空はこんな風に綺麗な星空で、あれは確か壁外調査中の見張り台だった。マリアが崩壊する前の壁外調査では壁が邪魔をすることなくどこまでも広がる星空が見れたんだとリヴァイは思い出すように語っていた。

そのとき、空を見上げていたリヴァイの瞳があまりにも悲しそうな色を灯していて、私はそれ以上何かを聞くこともできずにただ黙って二人で時間まで空を見上げた。


そんな些細な思い出だって私にとっては大切な宝物。何にも変えがたい、私とリヴァイだけが共有している思い出。

これからもそんな些細な思い出をリヴァイと一緒に積み上げていけたらいいねと約束をした。平和ボケするような世界で一緒に過ごしていこうと。

そのためにはどんなに辛いことがあろうが、どれだけこの残酷な世界に翻弄されようが私たちは共に戦うと誓った。戦わなければこの世界に平和なんてものは一生訪れない。


一緒に過ごしていく未来を、
リヴァイだけには背負わせない。

2人の未来は、
2人で掴み取る。


コトンと小皿をテーブルへ置けば「そういえば」とハンジは思い出したように口を開いた。


「リヴァイにはここにいること言ってあるの?」

『何も言ってない。本当はリヴァイの部屋で寝起きしようとも考えたんだけど、今日の今日で話し合いして上手くいくとも思えなくて』

「そのへんのタイミングはユキ以上にわかる人間なんていないからね…ユキに任せるよ」

『ありがとう』

「お礼を言うのはこっちのほうさ。ユキ
、改めて言うのもなんだけど今言うべきだと思ったから言うよ」


改まった表情で言うハンジに先を促すと、ハンジはいつもの笑みを浮かべて言った。


「今まで私たちの為に力を貸してくれてありがとう。本当に、本当に感謝しているんだ。我侭は十分承知だけどこれからも力を貸してほしい」

『ここまできたら最後まで付き合うよ。それに私もみんなには感謝してる。私を親友って呼んでくれる人になんてあのまま地下街にいたら一生で会えなかっただろうから』

「う、うぅっ…ユキーーッ!大好きだぁぁ!!」


泣き叫びながら抱きつこうと飛び込んできたハンジを間一髪で避ける。ガシャンとテーブルに突っ込んだハンジが起き上がったタイミングで口を両手で塞げば「酷いよユキ!」と恐らく言ったであろう篭った声と瞳が向けられる。


『調子にのるのはいいけど、ここはエルヴィンの病室だってことと私は怪我人なんだってことを忘れないでくれる?ちなみにお前も怪我人だろうが』


悪化させたりでもしたらまたモブリットに怒られるぞと付け加えれば、ハンジは「そうだった」と舌を出した。

…こいつは本当に何を考えているんだ。

暫くいつものように説教をしてやってから、ハンジはエルヴィンの様子を確認して自室へ戻っていった。

やっと静かになったと備え付けの簡易椅子に腰を下ろしエルヴィンの顔を覗き込めば、あれだけ騒がしかった(本当に申し訳ない)にも関わらずぐっすりと眠っている。

エルヴィンがいつものように元気に団長をやっていてくれたら、リヴァイのこともあっという間に丸く治めてくれただろうか。

…いや、他人に頼ってはだめだ。
これは私とリヴァイの問題。

恐らく今のリヴァイは例えエルヴィンの言葉であっても聞かないだろう。この問題を解決できるのは私とリヴァイだけ。他の人間が解決できることではないんだと思う。

こういうとき、ミケだったらあの大きな手で私の頭を撫でてくれていたかもしれない。何も言わずにいつものように、ただただ優しく撫でる…たったそれだけの行為に勇気をもらっていたのに。

今も捜索が行われてはいるが、巨人が出現した領域で行方不明になった彼にはもう…。


『早く起きてよ、エルヴィン。あなたがいないとハンジが真面目に団長なんてやっちゃって、きっとそんな日が続いたらハンジがおかしくなると思う。それに私たちの調子も狂う。』


夜風がカーテンを揺らす。
深緑色のフードの裾が靡く。


『帰ってきたら一緒に飲もうって約束…まさか破るつもりじゃないよね?目が覚めたところで互いの傷が落ち着くまでは暫くお預けだけど…私も楽しみにしてるんだから』

だから、絶対目覚めてよ。


念押しするように呟いた言葉が静かな部屋に響き、そしてまた静寂が訪れる。

少しも反応を見せてくれないエルヴィンに背を向け、私は備え付けてあった予備の毛布を引っ張り出してソファに横になった。



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