空色りぼんC
□謝罪
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市街地を離れ森を抜けると窓の外には草原が一面に広がっていた。さらさらと風に揺れる草花は夕暮れの茜色に染まり、なんとも幻想的な光景に見える。
「体調は大丈夫ですか?」
『うん、大丈夫』
「もう少しで着きます」
馬車を引く兵士と短く会話をし、再び窓の外に視線を戻す。地図では見ていたが本当に周りには建物どころか人の気配すら感じられない。
あるのは只管に広がる草原と森。本当にこんなところに私たちが拠点とする家屋があるのかどうかも疑問に思えてくる。
「中身は芋だ、お前の友達だろ」
「な…んの話ですかそれは?私はもう忘れました」
「安心しろ。あの事件を忘れることができる奴なんて同期にいねぇから」
背もたれに寄りかかり瞳を閉じたところで微かに聞こえてきた声に私は再び窓の外を覗くと、そこにはアルミン、ジャン、サシャがいた。
買い物の帰りだろうか?馬車から荷物を降ろして何かを運んでいる。その先にあるあの建物が私たちリヴァイ班が拠点とする場所だろう。
「摘み食いでもしてみろ。リヴァイ兵長にお前を食べやすい大きさに捌いてもらうからな」
「うぅ、しませんよ…」
思っていたより広いんだなと思いつつ馬車が止まるのを待っていると、そんな会話が聞こえてきて思わず笑ってしまった。やはりリヴァイがみんなの恐怖の対象であることには変わりないらしい。
「着きましたよ」
馬車が止まり、御丁寧に扉を開けてくれた兵士にありがとうと伝えると、地面に足をつけた瞬間緑の香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
「では、私はこれで。くれぐれも無理はしないでくださいね。これはリヴァイ兵長からだけではなく私たち下っ端の兵士からの頼みでもあるんですから」
『大丈夫、無理はしないよ』
そんな短い会話をしているとドガッ!という大きな音と共にゴロゴロと何かが転がり落ちる音が響いた。
「あぁ!てめぇサシャ!何やってんだ!」
「…あ、…え、…だって…嘘ですよね?」
なんだと思い視線を向ければサシャが抱えていた箱は地面に落とされ、中からは大量のジャガイモが無残に転がりそれぞれの方向へと散らばっていた。
「俺はお前が、お前の友達を落っことしたことのほうが嘘のようだよ!いいからさっさと拾えバカ女!」
「…嘘だろ、どうして」
「オイオイ、アルミンまで何言って…」
同じように口を開けた顔でこちらに視線を向ける3人に、私は一瞬どうしたらいいのかと迷ったがへらりと笑ってみせた。
『久し振り。元気にしてた?』
ひらりと手を振れば、まず初めにダッシュして駆け寄ってきたのはサシャだった。涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら私の手を握りまじまじと顔を覗き込んでくる。
「ど、どうして姉御がここに…?ほ、本当にあなた本物の姉御ですか!?」
『うん、本物』
「ーーっ!ほんとのほんとに本物なんですね!?よかったぁぁうわぁぁぁぁ!!」
『ちょっとサシャ落ち着いて…大丈夫だと思うけど一応私たちは身を隠すためにここにいるんだから』
だって、だって姉御がぁぁ!と声を上げるサシャの頭をよしよしと撫で、落ち着かせるように背中をさすってやる。
こんな時、相手のほうが身長が高いと惨めな気持ちになるのは今回目を瞑ろう。
「オイオイ嘘だろ…、どうしてあなたがここに…」
「僕たちはユキさんは壁外調査で亡くなったって聞いていたのに…」
『色々事情があって世間には私は戦死したことになってるから、このことは調査兵以外には内緒だよ』
続いて駆け寄ってきたアルミンとジャンにそう言えば、2人は互いに顔を見合わせてははっと笑った。
「本当によかったです…、ユキさんが死んだって聞いて俺…」
『心配かけてごめんね。でも、これからはリヴァイ班として一緒にいることになったから』
「本当ですか!?そうだ!早くみんなに教えてあげないと!!みなさーーーーん!」
「サシャ!だから声がでかいって!」
転がり落ちているジャガイモを器用にかわしながらサシャは玄関の中に飛び込んでいった。
…かと思うとドタバタという音と共にミカサ、ヒストリア、コニー…そしてエレンが飛び出してくる。
「本当だ!ユキさんだ!なんだお前嘘ついてんのかと思ったぜ!」
「失礼ですね!そんな嘘つきませんよ!」
「あ、姉御…」
フラリと前にいる3人を避けて出てきたミカサにぞくりと背筋が凍った。…や、やばい。
そう思った時には時既に遅し。
ミカサは駆け出すや否や思いっきり抱きついてきた。…手加減なしで。
「…姉御!」
『痛い痛い痛い!ミカサ離してお願いだから!!』
肩の傷が圧迫され激しい痛みが駆け抜ける。私の必死の訴えに気付いたのか、ジャンとアルミン、そしてエレンが3人がかりでミカサを引き剥がしてくれた。
「…何故邪魔をするの」
「馬鹿かお前は!ユキさんが怪我してたことを忘れたのか!?」
ゴチンッとエレンに頭突きされたミカサはハッとしたように目を開き「…ごめんなさい」と言いながら私の手を握った。
『いいよ大丈夫。心配かけてごめんね』
「ううん、そんなのどうってことない。姉御が生きていてくれた…それだけで私は嬉しい」
そういったミカサは握った私の手を額に当てて俯いた。前髪の隙間から覗く唇は噛み締められ、顎を伝う涙がぽたりと地面に落ちる。
小さく震えた手を握り返してゆっくりと頭を撫でてあげれば、ミカサは声をあげて泣き出してしまった。
**
***
ミカサが泣き止んだ頃、私たちはサシャが飛散させたジャガイモをみんなで集めて部屋に入った。
ハンジの言う通り104期生には私が生きているということは全く知らされてなかったようで、みんなは揃って私が生きていて本当によかったと言ってくれた。
部屋に戻ってきてからずっと私にくっついていたミカサも、夕食が終わり風呂に入るというところでみんなに剥がされ渋々シャワーを浴びに行った。
「それにしてもミカサはずっとユキさんにべったりだったな」
「本当ですよ、ずるいです。私もくっついていたかったのに。…ね、ジャン」
「ば、バッカ野郎てめぇ!んなわけねぇだろうが!」
「あれ?ジャンお前風邪引いてんのか?顔が赤いぞ?」
「お前は黙ってろコニー!」
ギャーギャーと繰り広げられる会話がとても懐かしく感じた。つい最近まであったはずなのにたった一回の壁外調査を終えただけでこんなに懐かしく感じるなんて。
つい一週間ほど前まではこんな賑やかな会話を毎日聞いていた。昼間には訓練をし、共に食事を囲み、他愛のない話をする。
そんな時間がとても楽しくて、私もリヴァイも彼らと一緒にいる時は気を緩ませていた。
そんな他愛のない日常をあのメンバーでもう一度迎えることはできない。
「あれ、姉御どこへ行くんですか?」
席を立った私にかけられたサシャからの問いに『ちょっとね』と答え私は部屋を後にした。
廊下を歩き正面玄関へ向かう。外へと通じる扉を開ければ、やはりそこにエレンはいた。
『今日はリヴァイは戻ってこないよ』
「ユキさん!」
慌てて振り返るエレンの手に握られていた箒に私は思わず笑った。旧調査兵団本部で過ごした一ヶ月間の習慣は彼の中に根深く浸透してしまったらしい。
リヴァイに怒られないようにと考え、今もここで掃除をしていたのだろう。頭につけられた三角巾も今では見慣れたものだった。
**
***
『明日も帰ってくるか分からないから、そこまで気を使わなくて大丈夫だと思うよ』
「いえ、なんとなくこれをしないと落ち着かなくて」
『そっか。なら私も手伝う』
「ええ!?何言ってるんですか、ユキさんは怪我してるんだから安静にしててください!」
『ううん、これくらいやらせて』
そう言ったユキさんは俺の制止なんて全く聞かずに、壁に立てかけてあった箒をとった。
死んだと知らされていたユキさんは今日、突然現れた。以前と同じように掴み所のない笑みを浮かべてごめんねと笑いながら。
その瞬間、息が止まるかと思った。サシャとミカサが泣いて喜んでいたように俺も人目を気にせず泣きたかった。
これから調査兵団は国や他の団体と敵対することになるかもしれない。だから、その時に動ける兵士が必要だからとユキさんは死んだことにされたらしい。
まさか死んだ人間がもう一度現れるとは誰も思わない。実際、俺たちですらそうだったのだから。
俺が初めて恋をした人。その人は俺を護ろうとしてあの時、一人で女型の巨人に立ち向かっていった。
あの背中を最後にもう二度と会えないんだと思っていた。俺のせいで、俺が選択を間違えたせいでみんなは死んだ。
俺のために、俺がどうしようもない奴だったばっかりに。
「あのっ、ユキさん…あの時は本当に…すみま」
『エレン』
俺の言葉を遮ったユキさんはゆっくりと振り返ると、そのまま俺に向かって頭を下げた。
一瞬何が起こったのかわからなかった。しかし、自分の目は間違いなく俺に向かって頭を下げているユキさんを映している。
「え、ちょ、ちょっと!?やめてくださいよ!…どうしてユキさんが頭を下げて…」
『ごめんね、エレン』
「…え?」
ますます意味がわからない。しかし、ユキさんはそのまま続けた。
『あの時、エレンを護るのが私たちの役目だった。それなのに私たちはエレンを護りきれずに一度は女型の巨人の手に渡してしまった。…謝って許されることじゃないってわかってるけど、本当にごめん』
「だってそれはしょうがなかったことじゃないですか…調査兵団中枢の力をもってしても拘束できなかった女型の巨人をたった数人で相手するなんて…」
『どんな状況であれ、しょうがないは許されない。私はみんなを護れなかった…それは班の指揮を任されていた私の責任なの』
エルヴィン団長をはじめとする調査兵団中枢の拘束から逃れてきた女型の巨人…そんなものを相手にたった少人数でリヴァイ班は戦った。
結果は惨敗。巨人化した俺でもアニを倒すことはできず、結果攫われかけた俺はリヴァイ兵長とミカサに助けられた。
もしそのまま攫われていたら…、おそらく取り返しのつかない事態になっていたのだろう。調査兵団としての使命に失敗は許されない。
その結果は全人類の命運に関わってくる…。
俺は自分に向かって頭を下げるユキさんに何も言うことができなかった。
リヴァイ兵長が抱えてきた彼女は相当な重症だったという。だからこそ、死んだというあの報告に疑う人は誰一人としていなかった。
そんな怪我までしたのにも関わらず、この人は俺を責めようとしない。あの時、早く巨人化してくれていれば…私たちと一緒に戦ってくれていれば…。
そんなことは一言も言わず自分の責任だという彼女に心が痛んだ。
あの場で誰か一人が悪いなんてことはあるはずもないのに。
「…頭をあげてください、ユキさん…俺のほうこそ申し訳ありませんでした。俺、もっと強くなります」
ゆっくりと頭を上げたユキさんと視線が交わる。…あぁ、やっぱりこの人の目は綺麗だ。
意志のこもったまっすぐな瞳。
本当に吸い込まれそうな感覚になる。
「みんなを護れるくらいに強くなります。人類の希望になれるように、…自分の仲間を護れるくらいに。」
うん、とユキさんは頷く。
『またエレンを護ることになるだろうけど、今度こそあなたを護りきってみせるから』
「はい。俺ももう迷ったり情けない姿は見せません」
思わず手を出してしまった自分に、何で俺は握手なんて求めてるんだ?と思い慌てて引っ込めようとしたが、ユキさんは笑って俺の手を握ってくれた。
ふかふかとした小さな手がとても暖かかったことを、俺は今でも鮮明に覚えている。
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