空色りぼんC
□甘い余韻
1ページ/1ページ
安いよー安いよ!おお、饅頭3つだね?まいど!
そっちの奥さんは5つかい?
包んでやるからちょっと待ってくれ。
旦那は2つだね。奥さんのご機嫌取りかい?そういうのも偶には必要だよ、夫婦円満のコツってやつさ。
…あれ?このお代は誰が置いたんだ?
え?あんたじゃない?旦那でもない?
じゃぁ誰が置いてったんだ?
『おいしい』
饅頭屋の店主が困惑しているのを他所に、お代をカウンターに置き勝手に商品を1つ取っていったユキはもぐもぐと口を動かす。
ちゃんとお金は払ったし、
盗んだわけじゃないから問題ない。
あそこの店主は忙しくなると饅頭を包む自分の手元しか見なくなるから、お金を置いて饅頭を掻っさらうのは簡単だ。
こうして髪と顔を隠している今では普通に買ってもわからないだろうが、念には念をというやつだ。
それにしても、やっぱりここの饅頭はおいしい。前にリヴァイに見せたら心底嫌そうな顔をしていたが、きっとこの皮の薄さと反比例するあんこの多さが気にくわないんだろう。
私は好きだけど。
辺りを見渡せば、シーナ内は少しざわざわとしていた。地下に避難させたローゼの人間が大移動をした直後だからだろう。
昨日歩いた時より人口密度はかなり減り、手持ち無沙汰に往来を練り歩く人間にも統一性が現れてきた。
ローゼの避難民が入り混じっていない貴族の気品溢れる服装。主張の激しい香水の香り、鼻に付く態度…これでこそシーナというものだ。
「やっと避難民もローゼに戻ったか」
「あぁ、漸く安全確認ができたらしい」
「お前聞いたか?避難民を地下に押し込めたせいで、地下に放り込んでた不法住民が憲兵団とどんぱちやったらしい。その一件だけで済んだみたいだが、あのまま避難を続けていたらどうなるかわかったものじゃなかった」
「怖い怖い。全く、私たちにまで迷惑をかけないでほしいな」
けらけらと呑気な笑い声。地下街に住まう人間は断じてお前らに放り込まれて住んでいるわけではないが…、やっぱりハンジの言う通り衝突は起こったらしい。
まぁ、一件だけならよかったが、そのまま避難生活を続けさせていれば地下街の人間だけではなく、ローゼ、シーナの人間を含む人間同士の争いが起きていたのかもしれない。
シーナにいる人間でさえ、ローゼが巨人の領域になりそうになったこの危機的状況を他人事のようにしか捉えていないのだから。
次は自分たちの番だと考えないのだろうか。2枚も壁が壊されて、それでもここは安全だと信じきっている奴らのお気楽さにはため息しかでない。
私は最後の一口を口の中へ放り込み、包装紙を近くのごみ箱に捨てた。これでお腹いっぱい、満足満足。
懐中時計を見ればそろそろ3時になろうとしている。そろそろだろうと、私は踵を返し調査兵団本部へ向かった。
**
***
「遅い」
『え』
着いて早々、本部で待機していたリヴァイは腕を組み不機嫌そうに言った。
あれ、だって司令が来るのは夕方だからその時間に間に合えばいいって言わなかった?…と言えば「やることもなく暇してたんだろう?だったら早く来い」と言われた。…なんて理不尽なんだろう。
でも、ここで反論をしようとも思えずはいはいと答えると、一度背を向け歩き始めたリヴァイが改めて振り返った。
『…?…リヴァイ?』
「…お前」
こちらを見下ろすリヴァイの眉間にみるみる皺が寄せられていく。…私何かしたっけ…と考えているとハンカチを取り出したリヴァイはそのままガッシガシと私の頬を拭いた。
「お前、買い食いしただろう」
『…』
ばれた。あの店の饅頭は規格外にでかい。頬にあんこがついていたのかもしれない。
『…食べました』
「遅れてきた理由はそれか?ふらふら街をほっつき歩いたんじゃねぇだろうな」
『…』
「…てめぇ」
『大丈夫だって!どっからどう見てもばれないようにちゃんと隠してるでしょ!?』
ジリジリと圧力をかけられ、私は自分の服装を見せるように両手を広げてみせる。以前、私用で街に繰り出していたような適当な変装じゃない。
髪も瞳もフードで完璧に隠し、普通の町娘と同じ服装をしている。
「…ふん、まぁいい。そろそろピクシス司令が来る。エルヴィンがお前に会いたがっていたがその時間もない。お前は隣室で待機だ」
『もう来るの?思ってたより早いんだね』
「あぁ、何事も早くやるに越したことはない。」
再び背を向け歩き出したリヴァイの後を追う。調査兵団本部は皆ローゼの調査に赴いているのかガランとしていた。
先の壁外調査とシーナでの女型巨人の捕獲。そしてエレン奪還の際に大分削られてしまったのが大きいのだろうが。
「クソメガネがラガコ村を調査しに行ってるのは知ってるな?」
『うん、二ファがコニーを迎えに来た』
「そのラガコ村だが、今回壁内に発生した巨人はラガコ村の住人かもしれないらしい」
『…え?』
「あくまでクソメガネの仮説で、それを確かめに今調査に向かっている」
リヴァイからの言葉に思わず間抜けな声を出す。巨人が、ラガコ村の住民?
確かにラガコ村の住民は巨人発生後行方不明になり、村にも血痕や死体のようなものは見られなかった。
それにしてもそんなことがあり得るのだろうか?人間が巨人になるなんてそんなことが…。
『…』
いや、あり得る。エレンもアニも、そしてライナーとベルトルト、ユミルも巨人になれるのだから人間が巨人になるなんてあり得ない…なんていう定説はとっくの昔に覆された。
『…だとしても、いったいどうして急に…』
「それは分からん」
『…でも、もし本当にそうだとしたら私達が今まで殺してきた巨人は…』
ーー…人間だった?
私もリヴァイも互いにその言葉の先を敢えて言おうとしなかった。カツコツと靴音だけが通路に響く。
だからと言って自分の手が汚れてしまったのではないかという恐怖に身体を震わせるほど私達の手は綺麗ではないが。
「あの文書はちゃんと始末したか?」
ふと零された問いかけに思わずビクリと身体が震える。私は胸ポケットに一瞬視線を落とし、口を開いた。
『…してない』
「早く処分しておけ。万が一、情報が漏れたら面倒なことになる」
ピクシス司令とエルヴィンが会合するのが公にされていないことくらい分かってる。エルヴィンがある程度回復したという情報もまだ公開されていない。
だから、万が一私があの文書を落っことしたり奪われたりしたら面倒なことになることくらいは分かっているけれど。
『…だってリヴァイが初めてくれた文書じゃない』
ふてくされたように呟けば、リヴァイは足を止めて振り返った。
リヴァイはいつも私に対しては言伝でしか伝えてこない。あれがただの報告用の文書だと分かっていても、ちゃんと書面で渡してくれるのは初めてだった。
それが本当は嬉しかったことなんてリヴァイにはわからないだろうけど。
「今も持っているのか?」
『もってる』
出せ、と言われ渋々胸ポケットから文書を取り出せば、リヴァイはそれを迷うことなく照明の松明にくべて燃やした。
「こんなもん、欲しけりゃいくらでも書いてやる。だからそんな顔するな」
やっぱり表情に出ていたのだろう。リヴァイはそう言うと私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
『ごめん、捨てなきゃいけないのはわかってた』
「わかってたならそれでいい。俺は文書を書くのは得意じゃねぇ」
『知ってる』
思わず笑えば、リヴァイは呆れたように小さく笑った。
『ねぇ、リヴァイ。向こうでの部屋のことだけど、ベッドが足りないから昨日リヴァイのを使わせてもらったよ』
「あぁ、元々お前は俺のところで寝かせるつもりだった」
『今日は戻って来られそうなの?』
「そうだな」
『104期生にはなんて言おうか』
私も怪我をしているし何かあることはないが、一応上司が二人同じ部屋で寝るというのはどうなんだろうと言えば「別に何も言うことはねぇだろ」とあっさり返された。
…まぁ、うん…しょうがないよね。部屋数もないしベッドも限られてるし、別にいっか今更。
リヴァイが鍵を開け扉を開く。
エルヴィンの隣室も構造は同じでベッドとテーブル、椅子が幾つか置いてあった。
壁に耳をつければ向こうの会話も聞こえるだろう。
「何かあったら廊下にいる兵士を呼べ。待機しているのは調査兵だ」
『わかった。ちゃんと寝ないように頑張る』
「当たり前だ」
ベッドにごろりと寝転がれば「ちゃんと起きてろ」と起き上がらされた。残念。
『ええー、ピクシス司令が来るまでだからい…』
しかし、そんな文句は許されずリヴァイの唇によって口を塞がれる。
ゆっくりと離されたときに交わった視線。少し恥ずかしくなって俯いた私を掬いあげるように、下から再び唇を重ねた。
「終わったら迎えに来る」
『うん』
触れるだけの優しいキス。
そんな甘い余韻を残して、
リヴァイは部屋を出て行った。
next