空色りぼんC
□約束
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調査兵団本部を後にする際、自分と一緒にいるところを見られるといらぬ憶測を立てられ私の存在がバレる可能性があるからと別々に行動した。
私はここに来る時と同様、何かの商人になりきって見張りの兵とわざとらしい会話をし、会釈をして立ち去る。
少し離れたところまでいけば昨日と同じように一般人に扮した調査兵に馬車で送ってもらう。
リヴァイは少し遅れて本部を出発し、馬で遠回りをしながら来ると言っていた。足を怪我してるくせに馬に乗っていいのかと言ってみるも問題ないと即答された。
確かに最近足を庇いながら歩くことはなくなったが、少し前までは腫れていたのだ。痛みがないはずはないのに本当に大丈夫なんだろうか。
[巨人の正体は、人間だった…と。]
巨人の正体は人間…まだ憶測の域から出ていない話だが、実際エレンのような人間がいるのだから可能性としてはありえない話ではない。
でも、どうやって巨人となったのか?普通の巨人とエレンたちのような巨人との違いは何なのか?
ピクシス司令も言っていたように巨人の正体の憶測がたったからといって、今はまだ何も動くことはできない。
依然、私たちは牙の生えない捕食対象のまま。それを解き明かすまでにはまだまだ時間と兵力が必要になるのだと思う。
全てを知り尽くす何かから情報を掠め取るために、次は何人の兵士が死ぬのだろうか。考えるだけで憂鬱になる話だ。
**
***
ユキを見送り自分の馬を用意して待機していれば、一台の馬車が俺の横で止まった。
なんだ?と思い振り返れば、開いた扉から出てきたのはピクシス司令だった。
「まだ出発していなくてよかった」
「…何の用だ?用件ならさっき全て話し終えたはずだが」
「そうじゃのう。だが、もし機会があれば君に個人的に話したいことがあった」
リヴァイは瞳を細める。その無言を拒否ではないと受け取ったピクシスは言葉を選ぶように続けた。
「お主に言葉をかける権利などわしにありはしないじゃろう。だが、これだけは言わせてくれ」
落とされた声は威圧さえ帯び、
司令としての威厳を思わせる。
「エルヴィンがあのような状態の今、お主がいなければ調査兵団は瞬く間に戦力を弱体化させ滅びるだろう。大きな戦力を失って厳しいだろうが、期待しておるよ」
大きな戦力。それは言われなくともユキのことだとわかった。
ピクシス司令にもユキが生きているということは伝えていない。自分の忠臣を失った俺に念押しをしにきたつもりらしい。…いや、慰めかもしれない。
新たな目標と使命を提示することによって立ち止まることを許そうとしない。それは一見厳しいようにも感じるが、そうやって背中を押す優しさを俺は知っている。
同じようにユキにも前を向いて歩いていろと背中を押された。それは大きな不安を抱える人間にとって周りの人間がしてやれる最大限の優しさだ。
「リヴァイ兵長、エルヴィン団長がお呼びです」
そう報告しに来た兵士にピクシスは「なんじゃ、エルヴィンも儂と同じでお主に話し足りんことがあったんじゃのう」と言った。
ピクシス司令はユキを気に入っていたと聞いたことがある。駐屯兵団に勧誘までしたらしい。
「最善を尽くそう」
と返せば、ピクシスは「幸運を祈っておるよ」と言った。実は生きている…それは絶対に口にしていいことではなく、また勘づかれてもいけない。
こういったとき元々無表情な自分に感謝する。口から出る言葉さえ選んでおけば、ついうっかりということになることはない。
**
***
「なんだ、まだ話し足りないことがあったのか?」
先ほどあとにしたばかりの扉を開ければ、出て行った時と同じ体勢、変わらぬベッドの上にいるエルヴィンは「悪いな」と言う。
「お前に聞こうと思っていたことがあったんだ」
「…お前がそうやって改めて話を切り出す時は、大抵いい話じゃねぇんだが」
「今回ばかりはただの質問だ。…お前はユキと結婚しないのか?」
「は?」
唐突な質問にエルヴィンを睨みつければ、奴は至って真面目な表情をしていた。先ほど巨人の話をしていた時とほとんど変わらないほどだ。
「腕を食われて頭のネジまで吹っ飛んじまったのか?エルヴィン、お前は今人のそんな下らん心配をしている時ではないと思うが。今がどんな状況か…つい数十分前に話していただろう」
「あぁ、だからこそだ。こんな状況だからこそ、これから争いが過激化していくだろう今だからこそ聞きたかった。リヴァイ、お前はユキとこれから先も共にいるつもりだろう?」
それはもう自分の中で決めてあることだった。「結婚」という具体的な言葉はまだ出していないが、ユキとはこれから先も共に生きていこうと誓った。死の誓いまでした。
俺たちはこれからも共にあり続けるだろう。この世界がどんな風に変わろうと、これだけは絶対に変わらない。
質問に答えないでいるとそれを肯定ととったのか、エルヴィンは「そうか」と続けた。
「戦いが終わってからと思っているのか?世間にも俺たちにも遠慮することはない。誰がなんと言おうとこれだけは2人の問題だ」
「それはとっといてやるよ」
「…どういうことだ?」
「そういう約束をしておけば俺たちが途中で戦いをほったらかすかもしれないなんて下らん心配がなくなるだろう?」
少しの沈黙のあと、
エルヴィンは呆れたように笑う。
「あぁ、本当にお前たちらしくてありがたいよ。私はもしかしたらそんな下らない心配をしていたのかもしれない」
「わざわざ呼び戻しておいてこれだけか?」
「あぁ、これだけだ。」
「勘弁してくれ。俺は寝飽きたお前の暇に付き合うほどお人好しじゃない」
「そうだろうな」
もう行くぞ、といい扉を開ける。
**
***
暫くして馬車はリヴァイ班の元へ到着し、ここまで送ってくれた兵士にお礼を言って裏口へ回ればリヴァイの馬は既に繋がれており先に戻っていることがわかった。
いくら先に出ていようが馬車よりは単身馬で駆けてくるほうが圧倒的に早いか…と思いながら扉を開けると、部屋の中は何故か凍りついたように冷たい空気で満たされていた。
なんだ、この空気は。
104期のほぼ全員が冷や汗を流し、口を固く結んで身体を縮こませている。
しかし、その中心にいる人物を見てしまえば状況を理解するのは容易かった。
「時間は充分にあったはずだが。」
テーブルに滑らせた指を見たリヴァイの鋭い視線。それに怯える104期生。……要は部屋がリヴァイの満足のいく清掃がされていなかったということだ。
バタンと扉を閉めればその音に反応した104期生のみんなの視線が一気に集中する。「助けて!!」…目は口ほどに物を言うというが、こんなにハッキリと全員の気持ちを汲み取ったのは初めてだ。
「お前らは余程なめた掃除をしていたようだが」
まるで、今にでも掃除を始めろとでもいい出しそうなリヴァイに向かって口を開こうとしたが、予想に反してリヴァイは「まぁいい」と続けた。
「飯を並べる前にテーブルを拭いておけ。その他のことは明日ユキとやらせる」
…あぁ、そうですか。
明日の予定は特に言われていなかったが、今決まったらしい。文句はないので黙っていると、リヴァイはそれだけを言い残し部屋へと戻っていった。
それは本当に珍しいことで、私はてっきり「今から掃除しろ」と当然のように言うかと思っていた。
「だから言っただろうが!こんなんじゃリヴァイ兵長は満足しねぇんだよ!って言うかお前が部屋に入る時泥を落とさねぇから、それを片付けてたせいで俺は手が回らなかったんだぞ!?」
「あぁ!?てめぇなに人のせいにしてやがるんだ!」
「事実だろうが!」
帰ってくるなり早々に始まったエレンとジャンの言い争い。これは放っておくことにしようと思っていると、ミカサやアルミンから「おかえりなさい」と言われた。
『ただいま』
一応何事もなかったか聞くと、特に異変はなかったらしい。夕飯の支度ももうそろそろ終わるのかいい匂いが鼻腔をくすぐった。
このリヴァイが舌打ちをしそうなほど賑やかな空間にコニーがいないのは、当然のことだろう。きっと私なんかより同期生のほうが彼の心の支えとなるだろうと、私は敢えて口には出さないでおいた。
「姉御、これを使って欲しい」
『…何?これ』
ミカサに渡されたのは手のひらにギリギリ納まるくらいの瓶容器。軽く振ってみれば「とぷん」とただの水にしては少し重そうな液体が波打った。
「今日少し遠くまで行ってそれを採ってきた…姉御の怪我に効くってヒストリアが教えてくれた」
『ヒストリアが?』
瓶の中身を少しとって見てみれば、薬草のようなものをすり潰して作ったらしい新鮮な葉の匂いがした。
鍋をかきまわしながらヒストリアは俯く。
「薪を拾っていた時に見つけたの」
『ありがとう。大切に使わせてもらう』
結局ヒストリアはこくりと頷いただけで、他に特になにも言うことはなかった。あの壁外調査でユミルと離れる前とは随分変わってしまったが、垣間見えた優しさに少し安心した。
**
***
食事を終え、シャワーを浴び終えた私はベッドに腰かけシャツを脱ぐ。傷口はある程度塞がったといっても出血はしていないというくらいで、少し力を加えればすぐに裂けてしまいそうなほどもろい。
先ほどミカサにもらったビンを引き出しから取り出し、これを塗ったら包帯を巻きなおそうと少し焦りながらビンの蓋を開けた。
なんで急いでいるかというと、シャワーを浴びにいっているリヴァイが帰ってくる前に済ませたいからだった。もう何度も身体を重ねているとはいえシャツを脱いでいる姿を見られるのは恥ずかしいし、…それにリヴァイに傷を見られたくない。
意識しないようにと気を張っているつもりでも、やはり無意識に怪我を庇ってしまうときはいくらでもある。私がそういう素振りを見せるたび、リヴァイは悲しそうな顔をしていた。
その表情を見る度に私の胸は締め付けられたように苦しくなる。もうあんな表情はさせたくない。
きゅぽんと蓋を開け、指で掬うとなんだか懐かしい感じがして改めてそのにおいを嗅いでみると、昔自分も使ったことのある薬草の臭いだった。
地下のゴロツキになる前、薬なんて高価なものが買えなかったときはこの薬草を自分ですりつぶして治療していた。その辺の薬なんかよりよっぽど治りが早く、好きなものを買えるくらい余裕がでてからもこれを使っていたような気がする。
『…なんか懐かしいな』
なんて思いながら改めて瓶の中から人差し指と中指で掬い取ったとき、ガチャリと扉が開いた音がした。
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