空色りぼんC

□護りたい人
1ページ/1ページ





視界にぼんやりと光が入ってくる。まだ覚めない頭で周りを見渡せば部屋の中を月明かりだけが照らしていた。

『…トイレ』

今の時刻を見る気にはなれないが2、3時くらいだろう。シーツの中で繋がれている手をリヴァイを起こさないようにゆっくりと離す。離れた途端に指先が寒く感じて、リヴァイの温もりが名残惜しくなる。

床に足をつけばひんやりとした空気が足元を攫い、少し目が覚めた。振り返ってみるがリヴァイは起きていないようで安心する。

物音を立てないように部屋を出てトイレを済ませ手を洗い、水の冷たさに1人苦しんでいると影がかかった。


『…モブリット?』


振り返れば少し驚いたように目を開くモブリット。その手には桶が抱えられていた。


『エレンの様子見はハンジがしてるんじゃないの?』

「分隊長はお忙しい方ですから…今は寝てもらっています」

『…よくハンジが大人しくいうこと聞いて寝てくれたね』


実験後、目を覚まさないエレンの観察はハンジに任されていた。というかハンジが自分がやりたいと言って譲らなかったわけだが、明日王都へ行く私としては助かったというのが本音だった。

だが、そんなハンジを気遣いモブリットは彼女の代わりに今エレンの様子を見ているという。よくあのハンジが大人しくいうことを聞いたなと思っていたが相当説得に苦労したらしい。

結局、何かあったときはすぐに叩き起こしに行きますから!といって無理矢理押し通したらしいが…モブリットの苦労はやはり計り知れない。

彼のような優秀な部下がいるからハンジもここまでの功績をあげてこれたのだろうと本当に思う。


『エレンの様子に何か変化はあった?』

「いいえ、全く。大人しく寝ていますよ」

『…そう。ねぇモブリット』

「なんですか?」

『いつもありがとね、ハンジのお守りしてくれて。貴方にはエルヴィンもリヴァイも感謝してる』


そう言えばモブリットは驚いた表情を浮かべ、ぶんぶんと首を横に振った。


「いえいえ、自分なんてそんな…ただ分隊長の暴走を止めているだけですから」

『それに感謝してるんだよ。私たちもハンジにずっとついてあげられるわけじゃないし、たまに暴走するっていう欠点をもっていても優秀な兵士だから失ったら調査兵団にはとっては手痛い損害になる』


だから、貴方には感謝してる。

そう続ければモブリットは照れ臭そうに「ありがとうございます」と言った。


『本当、尊敬するよ…きっと調査兵団の中での一番の功労者じゃないかな…』

「そう言ってくれますけど、私からしたら貴女も功労者だと思いますよ。私と同じ意味で」

『…?どういうこと?』

「優秀だけど少し変わった上司をもっている同士じゃないですか」


それがリヴァイのことだと分かると私は思わず声をあげて笑ってしまった。確かにモブリットの言う通りだ。

優秀で、誰からも尊敬されているのに変わっている上司に仕えている。そう考えればモブリットも私も同じ境遇に立たされた似た者同士。

ハンジと同じ扱いをされたとリヴァイが聞いたらきっと怒るだろうなと思いながら、私は手を拭いて立ち上がる。


『モブリットはまだ戻らないの?』

「今は私の代わりに彼を見てくれるという兵士がいるので」


私は首を傾げる。モブリットが「兵士」と言ったということはまずハンジではない。彼はハンジのことは「分隊長」というからだ。

だとしたら、誰だろう。その疑問は少し考えたあとすぐに理解した。


**
***


薄暗い階段を上がり、ドアの隙間から明かりが零れている扉を開ければそこにはベッドで眠るエレンとその様子を心配そうに見守るミカサがいた。

不安でいっぱいいっぱいといった声が聞こえてきそうなほど弱々しい背中がくるりと振り返り、視線が合うとミカサは「姉御」と口を開いた。


『起きないね』

「…はい」


椅子を引っ張り出し、ミカサの隣に並べて座る。眠り続けるエレンは巨人から引き剥がしたときよりマシになっていたがまだ完璧には戻っていない。…もちろん顔のことだ。

たが、間違いなく徐々に回復はしてきている。ということはやはり元に戻るのだろう。ハンジは首の皮一枚繋がったというところかもしれない。


隣に座るミカサの手が膝の上でギュッと拳を握った。髪の隙間から覗く瞳は不安の色を灯し不安定に揺れている…普段の彼女からは想像できないほど弱々しい姿だった。

エレンが心配で仕方ないのだろう。噛み締められた唇は口から零れそうになる弱音を必死に抑えているようにも見えた。


『男の人ってどうしてそうなんだろうね』


え?…と視線を上げたミカサの瞳と視線が交わる。


『肝心なことは自分一人で背負いこんで、一人で勝手に決めて行ってしまう。側にいたくて力になりたいと思うこっちの気持ちなんて考えてないんだもの』

「…、…エレンは昔からそう。いつも自分で勝手に決めて無茶して、私を置いて行ってしまう」


沈黙が落ちる。ミカサは言葉を選ぶようにグッと一度強く唇を噛みしめ、ゆっくりと続けた。


「私は不安でしょうがない。エレンは私が到底及ばない場所にいて、いくら追いかけても手を伸ばしても届かないところにいる」


力になれない自分が情けない。どうしようもないことだと分かっていても苦しい。

エレンの力になりたいのに。
エレンを守りたいのに。
エレンの側にいたいだけなのに。


「いつか離れてしまうような気がする。私の手の届かないところにいってしまうようで…怖い」


ぽつり、ぽつりと零される声は耳を澄まさなければ聞こえないほどか細く、苦しそうに絞り出された。

大切な人を護りたいのに、その人を取り巻く力があまりにも強大すぎて自分には敵わない。

今まではなんとか護ることができたが、これから先はどうなるか分からない。どれだけ優れた技術と実力を持っていてもそれは所詮人としての力。巨人の圧倒的な力には及ばない。

この世で最も大事な人と一緒にいたいだけなのに、世界がそれを許さない…本当に残酷な世界だ。


『エレンはミカサを置いていったりしないよ』

「私はそう思わない…今日だって私は何もできなかった。苦しんでいるエレンを見ていることしかできなかった」

『大切な人のためにできることなんてほとんどない。やりたいことは沢山あっても、自分一人の力で叶うことはほんの一握りだけ』


大切な人を護りたい。
安心して暮らせる世界にしたい。

だけど、そのためにやらなければいけないことが多すぎて、しかも自分の力では到底叶えることはできない。

女型の巨人から情報を聞き出し、ウォール教の人間から壁の秘密を聞き出し、巨人に支配されたこの世界の謎を解き明かす。

そして鎧の巨人、超大型巨人を含めた全ての巨人を壊滅させる。

これができればミカサの願いも私の願いも叶うだろう。だが、そんなことが簡単にできるはずもなく、これを実現するために私たちは今まさにもがき苦しんでいる。


『ミカサは自分にしかできないことをすればいいと思う』

「私にしかできないこと?」

『側にいてあげること』


そう言えば、ミカサは少し驚いたように目を開いた。


『真っ直ぐに突っ走っていくエレンにしがみついて側にいてあげる。それで帰ってきたときには頑張ったね、おかえりって迎えてあげる。エレンは絶対に言わないと思うけど、それってすごく幸せなことだと思う』


この残酷な世界で、自分でもわからない力に悩まされて振り回されて苦しんでる。そんなエレンにとって心から信頼しているミカサの存在はなくてはならないものだろう。

振り返れば必ずミカサがいる。自分を大切に思ってくれる家族がいる。帰る場所がある。

たったそれだけのことが生きていく上で心の支えとなる。どれだけ強い人間でも、心の支えがなければ生きていくことはできない。

ましてや彼のように常に追い詰められるような立場にある人間なら尚更だ。


『口では言わないかもしれないけど、エレンはきっとミカサに感謝してるよ。ミカサが側にいて本当に助かってると思う』

「そんなこと一言も言ってくれないし、言ってくれたこともない…」

『それはエレンの性格だね。…というより男の人なんてみんなそういうものじゃない?黙ってても分かるだろって思ってるんだよきっと』


そういうもの?というミカサにユキはそうだよ、とため息をつきながら頷く。

リヴァイだってそうだ。言葉にしてくれないから、こちらが不安に思っていることを彼らはわかっていない。

信頼しているから側においているんだろうと当たり前のように言ってくる。使えないと思ったらとっくに追い払っていると昔言われたことを思い出して思わず苦笑した。


『口に出してくれなきゃわからないよね。でも、追い払わないってことは必要だかららしいよ』

「…私には分からない。必要なら必要だと言って欲しい」

『同感』


ケラケラと笑えば、ミカサも少し表情を緩めた。


『ミカサが側にいるから、エレンは真っ直ぐ自分のやるべきことをしようって努力できるんだと思う。見てる方からすると心配で仕方ないけどね』

「姉御も不安になったり怖くなったりすることあるの?」

『もちろんあるよ。隣を歩いているつもりだったのにいつの間にか背中しか見えなくなってる。怖いと本当に思う』


どれだけ追いつこうとしても追いつけない。不安と恐怖で心がいっぱいになって足を止めてしまいそうになることも何度もあった。

同じ人間ではないから、彼の苦しみや考えてることを全て理解することはできない。彼が背負う責任や重圧も自分は想像することしかできない。


「なら、どうして姉御は大丈夫なの?私は姉御が苦しんでたり悲しんでいたりするところを見たことがない」

『強がって隠しているだけ。でも、そうやって必死に追いかけてたら振り返ってくれる。ちゃんと止まって手を差し伸べてくれるのが分かってるから頑張れる』


エレンだってそうでしょう?…と問えばミカサはこくりと頷いた。


『どんなに離れそうになっても、結局はミカサのところに戻ってきてくれた。これからもきっとそう』


こんなに残酷な世界でも、護りたい人がいる。ずっと側にいたいと思える人がいる。それは本当に素晴らしい。

人類のためにと強大な力に立ち向かう人間。そんな彼らを必死に追いかけながら背中を護り、支える人間。

調査兵団はそんな人間の集まりなのだと思うと可笑しくなった。護り、護られ、互いの身を案じながら更に危険な地へと足を進めていく。はたから見ればどれだけ滑稽な集団なんだろう。


『大切な人のためなら、どんなに辛くても苦しくても乗り越えられる。その途中にある苦労を差し引いても一緒にいることの方が幸せだから』


うん、とミカサは力強く頷く。ユキが頭を撫でてやると、ミカサはユキに抱きついた。

ぎゃぁぁ苦しい!という声が扉の向こう側から聞こえてくる廊下で、ハンジは隣に立つリヴァイに向かって小さく口を開いた。


「本当に愛されているねぇ、君は。」


リヴァイは何も応えることなく、ただ廊下の先にある暗闇に視線を向けていた。

エレンの様子が気になって目が覚めてしまったハンジと、なかなか戻ってこないユキの様子を見に来たリヴァイが遭遇したのが数分前。そのまま部屋に入るに入れず、桶の水を取り替え戻ってきたモブリットと合流した3人は廊下で立ち聞きしていたのだった。

彼はハンジを見つけるや否や「戻ってください」と言おうと思っていたが、静かに部屋の声に聞き入る2人に声を出せずにいた。

普段弱音を口にしないユキが零した言葉。恋人として、そして兵士長と副兵士長として彼女はいつも不安を抱えながら自分についてきてくれていたのだ。

それがどうしようもなくいじらしく、愛しく思う。側にいたいと、何よりも大切な人だと前にも言われた言葉にも関わらず胸が熱くなる。思わず涙がでそうになった。

ユキがミカサに言ったように、自分はユキがいるから兵士長として歩み続けることができている。振り返れば必ずユキがいると知っているから踏み出せる。

どんな人間にも支えはなくてはならないもので、それはエルヴィンもハンジも俺自身も変わらない。それぞれに支えてくれる人間がいるから俺たちは迷わず突き進むことができる。


「言葉に出さないと分からない…本当にそう思うなぁ私は。ユキも君に対して不服に思っていることもあるんだねぇ…ちゃんと言ってあげなきゃ〜」

「黙れクソメガネ。俺はお前ほど部下をこき使っていないし迷惑もかけていない」

「いーや、大して変わらないね。リヴァイも私と同じで変わった性格で周りの人間を困らせているはずさ」


自覚があったのか、とモブリットは思いながら口を開くことはしなかった。ついさっきまで自分の上司とリヴァイを「変わった上司」と一緒にしていたことも、もちろん口が裂けても言うつもりはなかった。

扉に背を預けるリヴァイに視線を向ける。耳を澄ませ、瞳を閉じる彼はとても幸せそうに小さく口元を上げていた。



next

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ