空色りぼんC

□礼拝堂
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「これはエルヴィンから託されたレイス卿領地の調査報告書」


走り出した荷台の中でハンジは胸ポケットから一枚の紙を取り出す。本作戦の概要通りエレンとヒストリアがレイス家の手に渡るのなら、その行き先はレイス卿の領地と予想するのが普通だからと、農民に扮した調査兵によってレイス卿領地の潜入捜査を行なっていたらしい。

報告書の中身の殆どは、5年前にレイス家を襲ったある事件についてだった。

レイス家は子宝に恵まれ、領主は余り余って使用人との間にも子を設けた。それ自体は別に珍しいことでもなく、それ以外のところでは領主としての評判も悪くない。特に長女のフリーダは評判もよかったという。

しかし、ウォールマリアが破られたその日、世間の混乱に乗じた盗賊の襲撃によって礼拝堂は焼かれ、全壊。礼拝堂で祈りを捧げていた一家はロッドレイスを除く全員が盗賊に惨殺された。

…そしてそれは、ヒストリアの母が中央憲兵に殺される数日前のできごとだったという。


「ロッド・レイスは家族を失った直後に突然ヒストリアに接触を図った。この辺りに連中がヒストリアを求める理由があるのだろう」


一通り語ったハンジにリヴァイが「…血縁関係か」と呟いた。


「その血にタネか仕掛けがあるってのか?」

「ハンジさん、2人の居場所は?」

「そうだ、今はこのことは置いておこう。私が気になったのは礼拝堂が全壊したところにある」


ほぼ全員がハンジの言わんとしていることを理解したような表情を浮かべる一方、サシャとコニーは首を傾げる。


「礼拝堂なんて建物はまず木造づくりじゃねぇだろうな。大半は石で作られていることが多い」

『混乱に乗じた盗賊が建物を壊すような兵器を持っているとは思えないし、村人が1人も気づかなかったにも関わらず教会が全壊しているなんて状況が生まれたことの説明がつかない』

「何故ただの盗人が建物を破壊する必要があるのか?本当に盗賊の仕業であれば取るもん取ってさっさと逃げるべきだろ?」


そしてその盗賊を見たのはロッド・レイスただ1人。また彼らは自らの資産ですぐにその礼拝堂を建て直した。

何故だろう?と問いかけるハンジに全員が息を飲む。ハンジは一度ゆっくりと瞳を閉じると、息をついてから続けた。


「もはやここに巨人の存在が無かったという方が不思議なくらいだ。これが私の早合点だとしてもこんだけ怪しければ十分我々が今ここに向かう価値はあるはずだ」

「…、わかった。その礼拝堂を目指すぞ」

「「「了解!!」」」


ハンジの言っていた心当たりとはそういうことだったのか。確信がない中で妙に自身を持っていたからそれなりの根拠はあるんだろうと思っていたが、これだけ材料が揃っていたとは。

普段の様子からはかけ離れているが、やはりエルヴィンに次期団長の立場を任されているだけはある。ハンジのおかげで私たちは再び動き出すことができる。


リヴァイやサシャ、ジャンらが馬を牽引するなかで荷台に乗せてもらえるという高待遇を受けている私は背を壁につけ、空を見上げた。

ガタガタと視界が揺れながらではあるが、そこには満点の星空が広がっていた。満月とは程遠い、頼りないほど細い三日月が雲に半分隠されている。

中央憲兵の拠点を攻め落とした時には既に夜も深くなっていたはず。懐中時計を確認してみれば日付はとっくに変わっていた。


『ところでハンジ、絞首台寸前まで行ったエルヴィンはいつ動き出すの?その報告書を託したってことは解放されたエルヴィンも礼拝堂にくるんでしょ?』

「夜が明ける頃にはレイス家の領地に兵団が送り込まれるはずだ」

「夜が明ける頃だと?それまでレイスが待ってくれているとでもいうのか?」

「待ってくれないだろうね、だから私たちが急がないとエレンが食われるかもしれない」


夜明けまでにはまだそれなりに時間がある。…そりゃそうか、一度は絞首刑になりやっとの思いで解放されたのだ。

エルヴィンの事だから迅速に行動にうつっているところだろうが、王都からこんな田舎の礼拝堂まで来るのに時間がかかって当然。…逆に夜明けには着くのかと驚きすらある。


「ところでリヴァイ、君たちがさっき制圧した中央憲兵の拠点には対人制圧部隊はいたかい?」

「いや、いなかった。いたのはろくに戦えもしない飾りだけの兵士と使用人だけだ」


何も知らない使用人達もいた、…その言葉に104期生の表情が曇る。相手が明確な敵であったなら「しょうがない」と言い聞かせられたが、自分が傷つけたのが一般人であったかもしれないと思うとその罪悪感は大きい。

彼らもある程度の覚悟は決まっていたはずだが、それは相手が敵だからだ。敵の拠点で目の前にいる人間が兵士かそうでないかなんて考えている暇はないのだから、仕方のないことだと割り切るには時間がかかるのだろう。


「そうか」とハンジは呟き顎に手を添え、何かを考える素振りをする。「だったらなんだ」とリヴァイはもったいぶるハンジを急かした。


『対人制圧部隊はエレンとヒストリアのところにいるんでしょ?だったら、あの場にいなかったのは何も不思議なことじゃない』

「そうなんだけどさ、彼らが奥に引っ込んだということは立体機動の性能を十分に発揮できる空間があるからなんじゃないかと思うんだ」


対人制圧部隊は奇妙な立体機動装置を使用していた。彼らの強みがあの装置であるなら、エレンとヒストリアを連れ込むのは彼らの立体機動を生かす空間に違いない…。


「つまり礼拝堂にそういう空間があるかもしれねぇと」

「その周囲か建物の中かは分からない。そんな空間であるなら町の小さな礼拝堂に収まるわけないから、もしかしたら地下かもしれない…そこは分からないけど」

『市街地で追ってきただけでも20人近くはいた、…あれより多いと考えるべきだと思う。彼らにとってエレンとヒストリアを護る以上に重要なことはないだろうから』

「なんにしろ数で劣るこちらにとっては好都合だ。複雑な地形は単純な正面衝突を避けられるし、立体機動を生かせる空間を喜べるのは私たちだって同じだ」


相手は全戦力を揃えて私たちを迎えようとしているはず。当然、エレンとヒストリアがこちらの予測通り礼拝堂にいてくれればの話だが…。

全戦力で迎え撃って来るということは当然ケニーもそこにいる。今度こそ中央憲兵との全面戦争だ。全戦力が揃っているのなら、制圧する絶好のチャンスとなる。


「煙幕、…なんてどうでしょうか」


小さな沈黙が落ちた時、アルミンが恐る恐ると言ったように口を開いた。「煙幕?」とハンジが反芻する。


「ハンジさんが言った通り複雑な地形であるなら有効だと思います。銃を使った遠距離攻撃を回避することもできるし、近接でしか戦えない僕らも煙に紛れて忍び寄ることができる」

「煙幕か、いいアイディアだよアルミン。信煙弾も使えそうだ。アルミンは信煙弾、サシャは弓を使って我々を援護してくれ」


そうと決まったところで私たちは寄り道をし、信煙弾と樽、ガス管、荷運び用の車輪を調達。馬車を止め、倉庫からマルロとヒッチがそれらを運び出している合間に、リヴァイは馬を降り荷台へと腰を下ろした。

何を言わずとも、それを合図に全員が荷台に集まる。リヴァイは「いいかお前ら、よく聞け」と口を開いた。


「向こうには切り裂きケニーがいる。お前らみたいな餓鬼は知らねぇだろうが、少し前まで都の殺人鬼として都市伝説にもなった奴だ」

「み、都の殺人鬼って…でもそれって都市伝説なんですよね?」

「いや、奴は実際自分を捕らえようとした憲兵を殺しまくっている。その都市伝説は全て本当のことだ」


ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。実際彼らは凶悪犯を目にしたことはないだろうから、恐れを抱いて当然。殺人鬼は目的のためなら、…いや、目的なんてなくとも簡単に人を殺す。

それだけの実力を備え、積み上げてきた経験や知識はどんな状況においても凶器となる。恐怖を感じている間に首と胴体が離れていることだってありえる話だ。


「切り裂きケニー、奴がいればそれが一番の脅威になる。脅威の度合いで言えば敵に俺がいると思え。…いや、あの武器がある分俺より厄介だ」


じゃぁ無理ですよ私たちじゃ…とサシャは半分諦めたように呟く。そんな中、アルミンが「でも兵長の話を聞く限り弱点がないって訳でもないと思うな」と言った。ハンジが頷く。


「切り裂きケニーは置いておいて、その周りの奴らに関していえば、訓練は積んでても実戦経験は昨日が初なら尚更だ。なにせユキ1人で1小隊全滅させたっていうしね。…ってまぁユキみたいな反則的に強い人間を基準に考えてもしょうがないんだけど」

『私が勝てたのは奇襲を確信して油断してる奴らに、奇襲し返せたからってのが大きい。でも実戦はまるで初めてだったと思うよ』


よく訓練を受けているという印象は受けたが、実戦では訓練通りにいかないことが殆どだ。奴らの動きは習ったことをそのまま反芻しているような硬い動きが目立っていたし、私が地下通路に入った途端に統率が乱れた。

個々の実力はそれなりにあったが、まるで戦いに対する慣れがなく、圧倒的に経験がないのが明らかだった。地下街のチンピラと圧倒的に違うと感じた違和感は経験の差だろう。


『だからこそあの程度の時間で対処することができた。もし調査兵みたいなのが相手だったら1人で対応なんてできなかっただろうし』

「よく言うよ、君は自分が化け物だってことをもっと理解したほうがいいね」


ケラケラと笑うハンジを軽く睨みつければ、ごめんごめんと全く誠意のない謝罪が返ってくる。実際、私の戦果を聞いた104期生は言葉を失っていたとハンジは出発前に言っていたから、あまり強くは言えないが。


「それこそ、相手はお前がいることを知らずに俺だけを食い止めようとしていたから油断も生まれたんだろ。こそこそ隠れてた甲斐があったじゃねぇか」

『報われたようだけど、これから先もでしょ』

「まだ辛抱は続くねぇ」


未だにケラケラと笑うハンジの頭に納刀したままの鞘を振り下ろせば、ゴッと鈍い音が響いた。「痛いよユキ!酷いじゃないか!」と立ち上がるハンジを「まぁまぁ」と周りが宥める。


「ハンジの言う「立体機動を生かせる空間」ってのがあると仮定して、煙幕と信煙弾を使い目くらましをした後で俺とこいつがまず飛び出す」


リヴァイはミカサに視線を向けながら言い、ミカサは「はい」と言って頷く。


「俺が敵の数と位置を把握し伝達。指示をする」

「異論はないよ」


真っ先に飛び出す危険な役目。…リヴァイがいくのはわかっていたが、共に行くのは私かと思っていただけに拍子抜けする。

まだ私は裏方か。…そう思っているとリヴァイと視線が交わった。


「ユキ、お前はまだ身を隠せ。ハンジたちと共に煙幕に隠れながら後方支援だ」

『了解』

「ただ、ケニーがいた場合は別だ。こちらも全力で行く必要があるからな…、むしろここまでコソコソ隠れていたのは中央憲兵との全面対決の場のためだ」


リヴァイの瞳が細められ、拳に力が込められる。きっとあれは無意識なのだろう…なのにギリギリと音を立てるほどに力が込められていく。


「奴は俺とお前で叩くぞ」


一層低い声で発せられた声。殺気を滲ませた瞳を向けるリヴァイに、私は小さく口元を緩めてみせた。


『了解』



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