空色りぼんC

□到達点
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エレンが駆け出した瞬間、辺り一帯は光に包まれた。細めていた瞳から見えたのは巨人化していくエレンと、そこから生まれていく硬質化された柱。

それらが天井や床に一瞬にして張り巡らされていき、気づけば崩壊しかけていた空間は形状を保ったまま崩壊も止まっていた。

激しい衝撃音と振動から未だに止まない耳鳴りと、一面を覆った光によってぼやける視界を手の甲で擦って目を凝らす。


『…助かった?』


無意識に呟いた言葉に耳元で「あぁ」と小さな返事が返される。ゆっくりと身体が離され、私はリヴァイに衝撃から護られていたんだと気づく。リヴァイの襟元は僅かに熱によって焦げたように黒くなっていた。

リヴァイは周囲を見渡して一先ず崩壊から免れたことと憲兵がいないことを確認すると、放心しているリヴァイ班に外への出口探索、そしてエレンを巨人の中から引っ張り出すよう各自に命令した。


「…一先ず崩壊からは免れた。これもエレンの巨人の力なんだろうな」

『あれだけやってもできなかった硬質化がこの窮地でできるなんてね…』

「あぁ。飛び出した瞬間、瓶を噛み砕いていたようだが、あれが関係あるのかもしれねぇ」


見事なまでに空間を埋め尽くしている柱の数々。…これらが支えとなってくれたおかげで私たちは瓦礫の下敷きになることなく全員生還することができた。…とりあえず今のところは、だが。


「それよりお前だ、傷の具合を言え」


壁を背にして座らされ、リヴァイの真剣な瞳が向けられる。頬に触れた指先がグッと張り付いていた血を拭った。


『右太ももを刺された。肩の傷も少し開いたけど、どちらも動けないほどじゃない。他は切り傷と打撲』

「足の傷は深いな…。肩当てはどうした?入れていたんだろう?」

『壊された。…まさかナイフで叩き割れるとは思わなかった』

「普通の人間じゃありえねぇが、あいつなら可能だろうな。お前が打撲と軽傷のように一括りで言った傷も重いだろう」


クソッと言ってリヴァイは私の手をとり、手の甲を自らの額に押し当てた。悔しそうに唇が噛み締められる。

その手にもう片方の手を添えると、リヴァイはゆっくりと顔を上げる。視線が合い、私は口元を緩めて笑って見せた。


『あの時、私のことを信じて行かせてくれてありがとう。…それなのに、ごめん。結局ケニーを仕留めることはできなかった』


腹部を刀で貫いたが、最後の一瞬見せた背中は立体機動で崩れ落ちる瓦礫の隙間を飛んでいた。普通の人間であれば生き残っている可能性は限りなく0に近い。…いくらあのケニーだと言っても同じだ。

…それでも完全に命を絶ったわけではない限り、生きている可能性はある。向こうに負わせた傷と一通りの戦況を伝えるとリヴァイは「そうか」と言って私の頬を撫でた。そしてもう一度「そうか」と呟く。

ケニーは、生きているかもしれないんだな。

実際に声には出さずとも、リヴァイが心の中でそう呟いたのが聞こえてきた気がした。それはもちろん「何故殺せなかったんだ」と私を責めているわけではない。

育ての親と調査兵団の敵という複雑な心境が混ざり合った感情。まだどこかで生きているかもしれないという事実が、怒りや憎しみ、警戒を生むと同時にそれ以外の感情も捨てきれずに困惑している。

どうして殺せなかったんだと自分の無力さを今更嘆いても遅い。圧倒的な実力差を前に、どう足掻いても私は完全な勝利を得ることはできなかった。…あんな捨て身の戦法を使っても尚、トドメを刺すまでには至らなかったのだから。

…どれだけ足掻いても敵わないものがこの世には存在する。…でも、どうしても私の手で終わらせたかったのに。こんな複雑な思いをだらだらと長続きさせたくなかったのに。


「エレン!」と叫ぶミカサの声でハッと現実に引き戻される。見上げれば巨人の頸からエレンが引っ張り出されているところで、リヴァイも意識をこちらに戻したようだった。

首に巻かれたスカーフを取り、私の足にキツく巻いて手早く止血をする。あまりにキツく締めるものだから『痛い!』と言えば「当然だ」と睨まれ一蹴される。

さっきまであれだけ心配そうにしてくれたくせに、もう1人で突っ込んで行った私へのお咎めモードに入ったのか。…怒ることなんて覚悟の上だけど。

かと思えば、そっと私の足を撫でたリヴァイがボソッと「悪かったな」と呟く。怒っていると思ってたからキョトンとすれば少し視線を下げ、思いつめたような表情を浮かべていた。


「あのとき俺は撤退しろと言ったが、お前が追ってくれなければそのままケニーは野放しになっていた。俺たちがこうしてここで生きていることもなかったかもしれない」


助かった、と続けるリヴァイは恐らく撤退しろと言った自分の考えとは逆に、私がケニーをあの場で逃してはいけないと判断し、強引に追ったのだと思っているのだろう。

今後の調査兵団のために、…この戦争を生き残るために。

…だが、私はそんな大層な理由でケニーを強引に追ったわけじゃない。…ただ個人的な理由で深追いしただけだ。調査兵団もこの世界のことも全部二の次に考えていたような、どうしようもない行動。ただリヴァイのことだけを考えて、自分勝手に起こした行動だった。

そしてあなたに伝えるべきなのか伝えないべきなのか、…伝えるならどうやって伝えればいいのかの結論もでていない。

ケニーがリヴァイの前から姿を消した理由、彼がリヴァイに抱いていた想い、…彼はリヴァイの母親の兄であり血縁者であるということ。

どう答えていいかわからず私は『うん』と一度だけ頷いた。そのタイミングでサシャが「兵長ー!出口を確保しました!」と天井から叫びリヴァイが「よくやった」と返して立ち上がる。

声の方を見れば確かに天井に穴が空いていた。偶然空いていたのかコニーとサシャが開けたのかはわからないがこれで外に出られそうだ。


「あ、エレン!無事にほじくり出せたんですね!」


駆け寄ってくるサシャにジャンが「工事が必要だったがな」と答える。


「おかげでみんな助かりました!正直言うとあなたが泣き喚きながら気持ち悪い走り方で飛び出したあの瞬間は…もうこれはダメだ終わりだ終わりだこのおばんげねぇ奴はしゃんとしないや…本当メソメソしてからこんハナ垂れが…と思いましたよ」


…方言出てるぞおい、と言おうとしたが今までも数回しか聞いたことがないサシャの方言に思わず緊張が緩む。あの瞬間は本当に全員まとめて命の危機に陥った。

私たちがここに立っていることは奇跡に近い。エレンが今までできなかった硬質化をこのタイミングで発動させ、それを使役し、崩壊を防いだ…そんな奇跡があったから私たちは今も生きてここに立っている。


『サシャ、さっきは護ってくれてありがとう』

「姉御ぉぉ!!姉御も姉御もですよ!急にいなくなったと思ったら兵長にぼろぼろの状態で連れて帰って来たときはどうしようかと…!血だってこんなにぃぃぃ!!」


目の前でわんわんと泣き喚くサシャの頭を宥めるように撫でてやる。心配させて悪かったなと思いつつ、余計な口を挟んでしまったなと息をつく。

それにしても巨人化したまま残されているエレンの巨人、…そして彼から生み出された支柱。この空間を形成していた淡く光る壁と同じようにぼんやりと光をまとっているそれに息を飲む。

「…これは」と呟いたエレンにリヴァイが「硬質化ってやつだろ」と答えた。


「お前を巨人から切り離してもこの巨人は消えてねぇ。…結構なことじゃねぇか」

「…あ!あの瓶は!?…そうだ、オレとっさに「ヨロイ」の瓶を飲んで巨人に…」

「ロッド・レイスの鞄を見つけたけど…」


そう言ってヒストリアは焼けてボロボロになった布切れを差し出す。とても鞄だったとは思えないほど焼け焦げ、半分以上が消失しているそれは当然中身などあるはずもない。


「…あ」

「鞄の中も…飛び散った他の容器も…潰れたり蒸発したりしてもう残ってない」

「…そんな」

「…いや、まだ他の場所にあるかもしれない。この瓶の中身を摂り入れたお前はこれまでどうしてもできなかった硬質化の力を使って、天井を支え崩落を防ぎ、俺たちを熱と岩盤から守った」


お前にそんな教養があるとは思えねぇが、…お前は一瞬でこれだけの建物を発想し生み出した。…まったくデタラメだがあの壁も実際にこうして建ったんだろう。

つまりこれでウォール・マリアの穴を塞ぐことが可能になった。


リヴァイはエレンの元へ足を進め、彼の前に膝をつく。


「敵も味方も大勢死んで散々遠回りした…不細工な格好だったが、俺たちは無様にもこの到達点に辿り着いた」


エレンが巨人の力を得てからこれまで、中央憲兵を含む憲兵や民衆から散々な扱いを受けてきた。今、この瞬間に辿り着くまでに死んだ仲間の数は計り知れない。

後ろを振り返れば、私たちの通ってきた道は仲間や敵の死体で埋め尽くされている。巨人に喰われた者もいれば、人の手によって殺された者もいる。…だが、漸くウォール・マリアを塞ぐ…その大望に向けての兆しが見えた。

漸く、…漸くだ。


「…ところであの巨人は」


…あ、と誰かが思い出したかのように呟いたとき「兵長大変です!早くきてください!」と天井からコニーの叫び声が響いた。


「…そうだな、まずはここを出てからだ」


各自立体機動を構え、装備のないエレンとヒストリア、そして負傷者のハンジが順番に抱えられながら登っていく。


『…っ!…けほっ、…けほっ…ッ』

「ユキ!?」


立ち上がろうとした瞬間、強烈な吐き気と共に膝から崩れ落ちれば、口を抑えていた自分の左手は真っ赤に染まっていた。

リヴァイが駆け寄って来たのをぼんやりと感じるが、起き上がることもできずに血を吐き続ける。

さっきまで張っていた気が抜けたからか、殴られた箇所が燃えるように熱くなっていく。泣きそうなくらい痛い。視界が霞む…意識が飛びそうだ。

あのケニーの拳をまともにくらったんだから、こうなって当然か…。身体を支えていた右腕の力が抜けて崩れ落ちる私をリヴァイが支える。

まだロッドレイスが残っているのに…戦いはまだ終わってないのに。


「…クソッ!しっかりしろ!…ユキ!」

『…けほっ!…ハァ、ハァ…ごめん、気が抜けちゃったかも…』

「ケニーと戦ったんだ…当たり前だろう」


リヴァイの手が私の背中をさする。こんなに血を吐いたのは女型の巨人との戦闘以来だ。

だが、それもすぐに落ち着き口元を服の裾で拭う。痛みはあるが吐血は収まった。リヴァイを見上げれば心配そうな表情で私を見つめている。


『ケニーは「殺す気で殴った」って言ったけど、それを何回も受けてこれなら手加減されてたのかもね……』

「…っ、もう喋るな。ひとまず上へ運ぶ。お前は荷台で休んでろ」


ぎゅっと私を優しく抱きしめたリヴァイの、苦しそうな声が耳元で零れる。みんなが向かっていった天上を見れば、とっくに登り切ったのかみんなの姿は見えない。


『…うん、でもみんなに今のことは内緒にしといてね。心配かけたくないから』

「あぁ、分かった。…お前も強がりだな」

『副兵士長としての意地みたいなもんだよ』


「そうか」と言って笑っていたが、その表情は苦しさと悲しさが入り混じったような複雑な表情をしていた。ゆっくりと抱き抱えられた私はそのまま首筋に顔を寄せる。リヴァイの体温と存在を確かめるように腕を回せば目頭が熱くなった。

傷の痛みからでも生還できた喜びからでもない。…いろんな思いがこみ上げてきてどうしようもなく苦しい。最後の一瞬に見せたケニーの表情が忘れられず、それを伝えられないもどかしさとリヴァイのことを思うと泣きそうになる。


グンっと身体がワイヤーに引っ張られ、上昇する。身体に回された手が、ぽんぽんと私を撫でた。



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