空色りぼんC

□夜道
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マリアへは巨人が動かなくなる夜間に移動するため、私たち調査兵団は日没と同時に出発することとなった。壁のリフトをフル稼働させて馬を移動する中、調査兵団主力によるザックレ―総統を含めた憲兵団、駐屯兵団団長らへの挨拶も終えた。

簡略的な必要事項の確認などの事務的なこと以外、ほとんど言葉を交わすことはない。死地へ赴く我らとそれを見送る彼ら…今更互いにかけ合う言葉は少ないのだろう。


「今や君らには全人類の命運と期待がかかっている。頼んだぞ、エルヴィン」

「はい、必ずや作戦を成功させ、人類の大きな一歩といたしましょう」

「人類に勝利を」

「はっ」


窓から差し込む茜色の光は、揃って敬礼する私たちを照らしていた。こうしている私たちの中で再び壁の中に戻ってくる人間は何人だろう。私が考えているように、彼らもきっとそんな考えが頭をよぎったのだろう。

…だが、それを口にする者は当然いない。調査兵団による壁外調査とは元よりこういうものであり、今回に至っては人類と巨人の正面戦闘を前もって覚悟している。この一戦が人類の歴史を、ひいては未来を変える。


『もう殆どの準備が完了してるみたい。あとは私たちが合流するだけか』

「当たり前だ、ちんたら準備されてたんじゃ困る」


私たちが壁の下に来た時には既にカラのリフトが下で待機しており、順番待ちをしている兵士も馬もいなかった。ここから見上げても見えないが、壁の向こう側では全調査兵が待機していることだろう。

リフトが上がっていくと同時に吹き抜ける風が髪を揺らす。この時期にしては少し冷たいと感じる風に夜間のハイキングを思いため息をつく。


『夜はだいぶ寒くなりそうだね。寒いのもたくさん歩くのも嫌だなぁ、途中山もあるし』

「俺はお前が途中で居眠りしないかが心配だけどな。放っておくと歩きながらでも寝てそうだ」

『…さすがに歩きながら寝られるわけないでしょ。壁外でいつ巨人が襲ってくるかもわからないのに』

「それくらいの肝は据わっているだろう?人一倍睡眠に対する執着が強ぇし、この間は食堂からの帰り道に廊下で歩きながら寝かけてただろうが」

『…、…ばれてたの?』

「柱にぶつかりそうになっておいて、隣を歩く俺が気づかないわけないだろ」

『だったら何か話しかけてくれればよかったのに、そうしたら目だって覚めてた』

「それは思ったが、柱にぶつかることを期待していたから敢えて何も言わなかった」

『なにそれ酷くない?顔面から柱に衝突することがどれだけ痛いと思ってるの?』

「さぁな、そんな間抜けなことしたことねぇからわからねぇよ…っていうかお前はあるのか」

『……』


眉間にしわを寄せ、不貞腐れて黙り込んだユキにハンジがけらけらと笑う。


「まったく君たちって本当にさ…、これから人類の命運をかけた決戦だって言うのに何話してるのさ!…あぁー、おっかしい!」

『私だってそんなつもりなかったけどリヴァイが』

「俺がなんだ?俺はお前に親切に注意してやっただけだ」

『だからってわざわざ過去のことを今言わなくていいじゃん。だから会話が変な方向にいっちゃうんだよ』

「過去のことっていうか、一昨日のことだろ」

『だぁーーかぁーーらーーぁ!!』


詰め寄るユキの額を軽々と片手で抑えるリヴァイ。そんな2人にハンジはもちろん、エルヴィンまでもが笑みをこぼした。


「ははっ、それが君らのいいところだろう。これほど頼もしいことはない」

「いや、エルヴィン聞いてた?途中で副兵士長が居眠りこくかもとか言ってたんだよ今」

「本番はシガンシナへついてからだ、あまりずっと緊張感がもつこともないだろう。人類屈指の実力者がいつも通りでいる…それは他の団員にとっては心強いことだ」


褒められていることはわかっていても、からかわれたことに不満を持っているユキの表情は未だに不服そうに顰められている。


「ハンジさぁぁあああん!!」


そんな中、不意に聞こえてきた叫び声に視線を落とすと、わらわらと人が集まってきていた。明らかに兵士ではない彼ら民間人が集まっている光景に呆気にとられている4人に、フレーゲルは続けて声を張り上げる。


「ウォール・マリアを取り返してくれぇぇ!人類の未来を任せたぞぉぉぉ!!」

「リヴァイ兵長!この街を救ってくれてありがとう!全員無事に帰って来てくれよ!でも領土は取り返してくれぇぇ!!」


次々と沸き起こる歓声に「勝手をいいやがる」とリヴァイはため息交じりに呟く。


「…まぁ、あれだけ騒いだらばれるよね」

「それがリーブス商会から肉を取り寄せたもので」

「…フレーゲルめ」

『この町の人たちにとってリヴァイは英雄だね。…あーぁ、屋根にまで上ってる人もいる。落ちなきゃいいけど』

「不吉なことを言うな。…奴ら上にいる俺たちしか目に入ってねぇから、本当にやりかねない」


調査兵団の壁外調査といえば、ろくに成果も持ち帰らず税だけを食いつぶす愚かな所業だと忌み嫌われるのが当然だった。人類のために命を懸けた兵士に対し「壁の外に出るからそうなるんだ」「愚かな奴め」という言葉ばかりがかけられていたというのに…。

調査兵団の出発にこれだけ多くの人が集まり、激励と歓声が飛び交っている状況に、古株の兵士らは情けなく口を半分開けたままその光景を見下ろしていた。


「調査兵団がこれだけ歓迎されるのはいつ以来だ?」

「…さてなぁ」

「そんなときがあったのか?」


私が来た時には既に歓迎されることなどなかったが、…エルヴィンたちは「調査兵団が歓迎されていた時代」とやらを知っているのだろうかと思っていると「私の知る限りでは初めてだ」とエルヴィンが呟いた。…と、同時に口元が僅かに吊り上がる。


「うぉぉぉおおおおお!!!」


突然の叫び声と真っすぐに突き上げられた左手に、目を見開き全員がエルヴィンに注目する。


「ウォール・マリア最終奪還作戦開始ッ!!」


調査兵団が初めて人々に認められた瞬間に高揚したのはエルヴィンだけではない。恐らく全兵士が感銘を受けたのだろう。それは古株の兵士でも、他兵団から集まった新兵士も変わりはない。


『やる気出てきたね』

「これじゃ何も持ち帰れませんでしたで帰れねぇぞ」


エルヴィンの号令と共に作戦は開始された。完全に日が沈むまでは只管壁を背に駆けていく。太陽は沈み始め、その半分が姿を隠していた。



**
***



完全に陽が落ちてからというもの、調査兵団は馬を降りてシガンシナ区へと向かっていた。当然のごとく辺りは静まり返り、光は兵士等が持つ巨人の鉱石によるもののみ。新月の山道はそれなりに堪える。

今日のルート開拓にあたった兵士や、俺やユキのように夜目に慣れている者を除き、大半がこの暗闇に苦戦していた。


−―ズザザッ!


「わわ…っ!」

「オイ」

「す、すみません」


足を滑らせる兵士に「足元をもっと照らせ」と指示をする。…まぁ、新月の暗闇の中では無理もないが、目的地に着く前にこんなところで間抜けに負傷されても困る。


『そんなあからさまにチラチラ振り返られたら気が散るんだけど』

「いやぁ、ユキが立ち寝…いや、歩き寝してないか見張ってるんだよ。あとちょっとの期待もある」

『だからしないって言ってるでしょうが。むしろここまで夜中になれば逆に目も覚める。私が眠くなるのは昼間だから』

「じゃぁシガンシナについてからのほうが危ないじゃん」


「頼むよ副兵士長」と言うハンジに『頼まれた』となんとも緊張感のない返事。夜は動かないと推測されるが、暗闇に包まれたこの空間ではいつ巨人と遭遇するかわからない。

そんな緊張感の中、何呑気に話し込んでいるんだくだらない。どこにいても相変わらずだなこいつらは。


隣を歩くユキに視線を向ければ、慣れていないであろう山道でも普通の顔をして歩いていた。正直、この体力を必要とする夜間進行に関して一番の心配は体力の人一倍少ないユキだったのだが…今のところ問題なさそうだ。馬を他の兵士に託したのは正解だったらしい。


「そういえばユキ、シガンシナは初めてじゃないよね。何回目?」

『2回目。…って言っても前は人生で初めて王都から出た記念の観光旅行なのに、壁は壊されるわ巨人はわんさか入ってくるわ散々な目に遭った』

「お前がシガンシナにいたのは観光旅行なんかじゃねぇだろ」

『あの時の報酬は弾んだなぁ、…それを使う前に捕まったんだけど』

「それは災難だったな」

『捕まえた本人に言われたくない』

「確かに人類史にとっても最悪な出来事が起こった場所だけど、君らにとっては2人が奇跡的に出会った場所だとも言えるんじゃない?」



俺たちが奇跡的に出会った場所か、…なるほどそう言われてみればそうだ。兵士でもない女が、…しかもどこからどうみてもか弱そうな小柄な女が巨人の首を一太刀で斬り落としたあの光景は、今でも瞼の裏に焼き付いている。

初めてユキを見た時は驚きばかりがあったが、それと同時に空を舞うユキを綺麗だとも思った。年端もいかない小柄な女。…にも関わらずあっさりと巨人の首を斬り飛ばした姿は、現実には存在しないもののようにすら思え、雲一つない青空を背に黒髪を靡かせる姿に引き込まれた。

振り返った瞬間、こちらに向けられた黒瞳に息を飲んだことを今でも鮮明に覚えている。…今更だが、俺はいわゆる一目ぼれというやつでもあったのかもしれない。

それが今では俺の妻になっているとはな。…本当に人生は何があるか分かったものじゃない。


『…ん?』

「なんでもねぇ」


隣を見ればユキが小首を傾げてくる。そういえばユキが俺を初めて見たときはどう思ったのかを聞いたことがない。…向こうから話してこないということは聞かないほうがいいか?

俺を初めて見たときにユキは顔を引きつらせながら後退して、直後には全速力で逃げやがったしな…。いや、でも気になる。この戦いが終わって無事壁内に戻ったら聞くことにしよう。

今すぐ聞きたいが、それにはクソメガネと他の兵士が邪魔だ。


「…ッ!」


突然、背筋を寒気が走った。反射的にアンカーに手をかけ左方向に体を向ければ、同時にユキも刃を引き抜いていた。俺たち2人の行動に真後ろにいたジャンが咄嗟にライトを向ければ、暗闇の先に巨人の横顔が浮かび上がる。


「左に巨人!全体停止!周囲を照らせ!!」


ハンジが声を上げ、隊列が停止する。しかし巨人は瞳を半開きにした間抜け顔を晒したままピクリとも動かない。「大丈夫、ぐっすり寝ているみたいだ」というハンジの言葉と共に周りの兵士は安堵のため息をついて進行を再開する。

未だに刃に手をかけたまま注意深く巨人に視線を送るユキは、俺が「行くぞ」と声をかけて漸くゆっくりと刃を鞘に納めた。


『こんなに近づかないと気づけないなんて』

「あぁ、あいつはたまたま「月光の巨人」じゃなかっただけかもしれねぇ。気は抜けないな」

「それにしても2人とも気づくのが早いねぇ、さすが人類最強の兵士長様と副兵士長様。2人が近くにいてよかったよ、心底心強いけど同時にあんな反応されたら怖いんだけど」


「やめてよもう」とけらけらと笑って見せるハンジにユキが『お前もちゃんと見張ってろ』と横腹を手刀で打った。だが、再び歩き出したユキの表情は先ほどよりも固くなっている。

巨人が発見できる距離を改めて自覚し、緊張しているのだろう。実際にあの巨人が月光の巨人で襲い掛かってきていたら…、あの距離では確実に対応が遅れていた。


「麓はまだか?夜が明けちまうぞ」

「この山さえ越えたら麓はすぐそこだ」

 
…クソッ、まだ上り始めたばかりだぞ。隣のユキを見れば頬に一筋の汗が伝っていた。俺の視線に気づいたユキが大丈夫だと言うように力強く頷く。

夜が明けるまでもうそれほど時間がない。人類の命運をかけた一戦も、シガンシナ区へ辿り着かなければ始まらない。



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