空色りぼんC
□壁の中に潜む者
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『もう夜が明ける』
「…あぁ」
一晩中歩き続けていた私たちは最後の山を越え、麓へ辿り着いたところで馬に乗り換えシガンシナ区を目指した。その僅か数十分後に空は明るくなり始め、辺りの景色を明確に視認できるようになった。
人類最悪の日以降、人の手が一切入っていない市街地は酷く荒れている。建物は崩壊し、辛うじて建っているものも酷い損傷、…中に入ったら即崩壊してしまいそうだ。
『…っ』
視界の端から強い光が差し込んでくる。建物の陰から太陽が姿を現した。
「日が昇ってきたぞ!!」
「物陰に潜む巨人に警戒せよ!これより作戦を開始する、総員立体機動に移れ!!」
エルヴィンの指示と同時に、調査兵は一斉に立体機動に移り壁を登り始めた。まず第一に行うのはエレンの硬質化によって外門を塞ぐこと。フードを被った調査兵およそ100名が一斉に外門を目指し、敵は誰がエレンかを認識した時には既に外門は閉じられた後というわけだ。
その際、強襲を仕掛けてくるだろうライナー、ベルトルトを含む敵勢力を迎撃。勝利した暁には漸く、エレンの家の地下室をゆっくり調べられる。
敵の目的はエレンを奪うことにある。エルヴィン曰く、敵がエレンが壁を塞ぐ能力があると知っているかどうかは分からないが、我々がここに向かっていると認識した時点で壁を塞ぎに来たと判断する。そしてまずは破壊された外門を塞ぎに来ると踏んでいるはずだ。
更に我々の目的が壁の修復以外にシガンシナ区内のどこかにある地下室だということも彼らには既に伝えてある。ならば先ずは先に塞ぐ外門にエレンは必ず現れると予想されているはずだと。
そこまで予想されたうえで私たちはこれから作戦を成功させなければならない。フードで顔を隠した100人の兵士が一斉に外門に向かったとしても、壁を塞ぐ瞬間はどうしてもエレンの所在が特定されてしまう。
外門を塞げたとして、その後はどうだ?エレンを特定された後、私たちは恐らく奴らと正面戦闘となる。ライナーとベルトルトの他に一体どれだけの戦力があるかもわからない敵を相手に、こんな最果ての地で一体どう迎え打てばいいのか。
壁を上った瞬間、広がるシガンシナ区の光景に一瞬心を奪われた。…あぁ、この光景は人類最悪の日にも見た。つい数時間前に夜道を歩きながら交わした会話を思い出しながら、自らの肘に装備されているベルトに視線を落とす。
私たちには「雷槍」という切り札がある。機を狙い、使用すべきタイミングを間違えなければライナーの鎧すら吹き飛ばす強力な武器だ。
「止まるな!外門を目指ざせ!!」
故郷を前に壁上で足を止めていたエレンをリヴァイが叱咤する。…まずい、私も怒られるところだったと何事もなかったかのように駆け出し、アンカーを放つ。
周囲の兵士たちに合わせながら、中間より少し前方の位置をキープしつつ外門へ向かう。外門付近では先行していた兵士が既に所定の位置で待機し、望遠鏡で周囲の様子を観察していた。
リヴァイと私も壁上に足をつき、周囲を見渡すが…ライナーやベルトルトどころか巨人の姿すら一向に見当たらない。
『巨人が1匹もいないなんておかしすぎる、絶対に有り得ない』
「それどころかここに来て1匹も見当たらねぇ」
「やっぱりおかしいよ」とハンジの表情にも焦燥の色が浮かぶ。瞳を細めたリヴァイからも緊張感が伝わってきた。刃を握りなおすリヴァイに習い、私も刃をブレードから特殊仕様の刃に付け替える。
どこかに潜んでいるのなら人の形態のままということ。人を殺すにはこっちのほうが良い。手足にしろ首にしろ、斬り落とすにはブレードでは骨を断つことは難しい。奴らはいつ姿を現すかわからない…一瞬も気が抜けない状況が続いていく。
「ここは敵の懐ってわけだ、…だが」
「やるしかない」
ハンジが緑色の信煙弾を打ち上げる。「作戦続行に支障なし」…なんの邪魔も入っていない現状では、それ以外の判断はない。
外門直近に辿り着いたエレンが高く飛び上がり、巨人を発生させた。そのまま扉の穴に入り込み、訓練通り硬質化の能力によって穴を塞いでいく。
『よかった、訓練通りできてる』
「壁の穴を塞げなきゃ何も始まらねぇ。ユキ、周囲の警戒を怠るな。もう奴らにエレンの所在がバレた」
『わかってる。でもいいの?もう壁が塞がるのに出てくる気配もない』
「奴らの狙いは壁を塞いだエレンが疲弊したところにあるのかもしれねぇ」
雷光が収まり、巨人から出てきたエレンをミカサが壁上に連れてくる。超大型巨人によって蹴破られた扉はエレンの力によって見事に塞がれた。第一目標は成功だ。
「敵は!?」
「見えません!」
「隈なく見張れ!穴は!?」
「成功です!しっかり塞がってます!!」
「エレン、調子は!?」
「問題ありません!訓練通り次も行けます!!」
「では内門に向かう!移動時を狙われぬようしっかり顔を隠せ!」
「はっ!」
外門へ向かっていた兵士は一斉に内門へと踵を返す。すぐ目の前にはエレンとミカサ。エレンは自分が穴を塞げたことを未だに信じられないといった様子で、何度も振り返っては塞いだ穴を見ている。
「本当に塞がったのか?」
「あなたがやった」
「こうもあっさり?」
「自分を信じて」
「…あの時の穴が」と呟くエレンに、リヴァイが「まだだ」と口を挟む。
「ヤツらが健在なら何度塞いでも壁は破壊される。…わかってるな?ライナーやベルトルトら全ての敵を殺しきるまで、ウォール・マリア奪還作戦は完了しない」
「…当然、わかっています」
エレンの表情に緊張感が戻る。速度を上げて駆けていくリヴァイの背を横目に、エレンにマントを渡したために顔を晒しているミカサに自分のマントを羽織らせた。
「…!…姉御、どうして」
『使って』
「…でも」
『私が使っても体格差で直ぐにエレンじゃないことはバレる。この先も常にエレンと側にいるミカサが使ったほうが効果があるから』
わかりましたと言って頷くミカサに軽く手を振って速度を上げ、リヴァイを追う。隣に並んだところで予想通りリヴァイは怪訝そうに眉を顰めた。…言いたいことはもうわかっているので、文句を言われる前に先手を打つ。
『多少の目くらましにはなるかもしれないけど、私が使ったところで他の兵士と並べばすぐに体格差でエレンじゃないのはバレる。それよりエレンの傍にいるミカサに使ってもらったほうがいいと判断した』
ほんの僅かな間を開けて「そうだな」と返ってきた。…くそっ、自分で小さいと認めるのは不本意だが事実だから仕方ない。「そんなことない」と慰めてもらいたかったわけでもないけど、…そんなつもりじゃなかったけどあっさり認めすぎじゃない!?…いや、事実なんだけど!事実なんだけどさぁ!
やるせない気持ちをぶつける先も暇もないまま立体機動で内門へ向かう途中、エルヴィンのいる位置から信煙弾が上がった。作戦中止を意味する、…赤だ。
「作戦中止の合図だと…?」
『ここから見た限りじゃ異変はなさそうだけど…』
「総員、壁の上に散らばって待機だ!」
ハンジの指示を受け、壁の上で待機する。
「エルヴィン、一体何故中止の合図を?」
「わからねぇ、…が、恐らく敵が未だに姿を見せないことに関係してるだろうな」
『向こうにはアルミンも残ってるはず。なにか新しい策を実行するつもりかもしれない』
私たちは壁の上を走りながら内門へ向かっていく。少しして調査兵が一斉に壁を上から下へと降りていくのが見えた。一気に下までではなく、アンカーを差して徐々に徐々に降りて行っている。
「…奴ら、何をしている?」
リヴァイが怪訝そうな声で問うのも当然だった。こちらから見たら全く何をしているのか理解できないその行動を、ハンジは「…あぁ」と何か閃いたように感嘆を漏らす。
「多分リヴァイの予想通りだよ」
「どういうことだ」
「ここまで敵が姿を現さないのはおかしすぎる。必ずどこかで私たちの行動を見ているはずなんだ。だけどその姿がどこにも見当たらないから壁を探し始めたんじゃないかな。巨人の力によって建てられたこの壁に奴らが潜んでいるとあたりをつけた」
…確かに、ここら一帯の建物やらなんやらはとっくに虱潰しに捜索したに違いない。だが、壁の中にいるだなんて考えられない。…いや、そうこちらが思っていると考えたからこそ、彼らは壁の中を選んだのかもしれない。
この壁が巨人の力で作られたということを私たちが知らないと向こうは思っているはずだ。巨人を相手にいつまでも常識に囚われているようでは勝てない。いつでも奴らは想像を遥かに超えた能力や行動で、私たちを追い詰めてきた。
内門直近の壁上についた私たちは、エルヴィンから現在の状況を手短に聞く。ハンジの予想した通り、壁の中に潜む敵を捜索している最中のようだ。この発案はアルミンらしい。
これまでの実績を考慮すれば理解できないことはないが、エルヴィンが一部とは言え指揮系統をアルミンに託すとは思わなかった。数回の戦いを経験したとはいっても、彼はまだ20にも満たない少年だ。
「聞いたな、ユキ。お前はここに残れ。俺は向こう側で待機している。奴らが現れたら殺せ、躊躇するな」
『了解』
再び駆け出したリヴァイは少し離れたところで待機する。捜索範囲は少し広い。ライナーかベルトルトか…それとも他の敵勢力かはわからないが、それらが現れた時に確実に迎撃できるように私とリヴァイが分かれて待機する。
本当にこんなところにいるのなら、間違いなく巨人ではなく人の姿のままだろう。それを瞬時に、かつ確実に息の根を止められるのはリヴァイか私のどちらかだ。敵が巨人化する前に必ず仕留める。…必ずだ。巨人化する前に仕留めることができればそれだけで大幅に有利になる。失う兵も物資もかなり抑えられるはずだ。
…躊躇うなと言われたが、その心配の必要はない。この手で彼らを殺す覚悟は当にできている…なんてことを言うことすらない。
覚悟などする必要もなく私は彼らを殺せる。なんの躊躇も躊躇いもなく首を跳ねられる自信がある。
104期生の彼らとは少しの間とはいえ、訓練時代からの絆があると思って声をかけてくれたのだろうが、リヴァイが思っているより私は常識から外れている。あなたが思うよりずっと非情で冷酷で、人間としての感性を失っている。
刃を額の前に構え、瞳を閉じて耳を澄ませる。冷たい風が耳を撫でる音と共に、足元からは調査兵らが地道にブレードで壁を叩く音が聞こえてくる。
暫くして、一人の兵士の声と共に音響弾が鳴り響いた。
「ここだ!ここに空洞があるぞ!!」
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