空色りぼんC

□最後の策
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「…エルヴィン、何か策はあるか?」


リヴァイの問いにエルヴィンは口を開かない。…私たちは負けるのか?ここでもう終わりなのか?こんなにもあっけなく?


[今や君らには全人類の命運と期待がかかっている]


私たちが負ければ人類に未来はない。後に引くことは許されない。…でも、ここから逆転する方法はもうないのだろう。大敗北だ。打つ手を全て奪われ、反撃の手立てさえない。


[最期まで2人で戦おう、どちらかの命が尽きるその時まで]


『…っ』

ここまでなのか?
私たちは本当に…っ


[巨人のいなくなった平和な世界でリヴァイと一緒に暮らしたい。命の危険に脅かされることなく普通の暮らしをしたい]

[これから先どんな未来が待っているか分からない。それでも俺はこの先何があろうとお前と共にありたいと思っている。…ユキ、これから先も俺と共に生きてくれ]



左手にある指輪が太陽の光を反射して光る。私たちはもう壁の中に戻ることはできないのか?…もう二度とリヴァイと2人で朝を迎えることはできないのか?

執務室で他愛のない会話をすることも、紅茶を飲むことも、隣を並んで歩くことも…。もう二度とそれを叶えることなく、私たちはここで死ぬのか…?


[約束しよう!俺は必ず巨人を絶滅させる!!]


これまでの戦いで命を落としてきた仲間の死を無駄にして、託された意思も願いも叶えられずに…私たちはここで負けるのか?


砲撃とは別の衝撃音に壁上を見上げれば、エレンと思われる巨人が壁上で仰向けに倒れているのが見えた。


「…オイ、あれはエレンか?…壁の上まで吹っ飛ばされたってわけか…超大型巨人に」


絶望的な状況は向こうも同じだ。どちらも増援は期待できない。


「獣はここらにアタリをつけたみてぇだな、ここもすぐに蜂の巣になる」


獣からの砲撃はすぐそこまで迫ってきている。このまま悠長に話している暇はない。だが、依然として口を開こうとしないエルヴィンにリヴァイが続けて口を開く。


「…エルヴィン、反撃の手数が何も残されてねぇって言うんなら敗走の準備をするぞ。あそこで伸びてるエレンを起こしてこい。そのエレンにお前と何人かを乗せて逃げろ、少しでも生存者を残す」


状況はもうそこまで来ている。エルヴィンとエレンを含めた何人かを生き残らせることしかできない。…いや、それすらもうできないのかもしれない。

その状況を作り出してしまった責任はここにいる全調査兵にある。…が、今はなんとしてもエルヴィンとエレンを逃さなくてはとリヴァイは考えている。自分が助かるつもりはもうないのだろうと、話しぶりからもわかった。


「新兵らとハンジ班の生き残りが馬で一斉に駆けて帰路を目指す。それを囮にしてエルヴィンたちを乗せたエレンが駆けるのはどうだ?」

「リヴァイ、ユキ…お前たちはどうする」

「獣は俺達の相手だ、奴を引き付けて…」

「無理だ、近づくことすらできない」

「だろうな。だが、お前とエレンが生きて帰ればまだ望みはある」


調査兵団の全兵力と他兵団から集めた兵士をも集結させ、挑んだ戦い。それでもこの圧倒的な戦力差によって私たちは巨人側に敗北した。…エルヴィンとエレンが生きて戻ったとして他に手があるとは正直思えない。

…だが、彼ら2人がここで死ぬよりは希望があると、…思うしかないのだろう。そうでなければ私たちが命を賭して戦う理由が無くなってしまう。もう自分すらも詭弁で騙すしかなくなってしまったということか。


…あぁ、なんて私は情けないんだろう。

調査兵として戦いの中で命を落とす覚悟はしているはずだった。ここで怖気づくことなど許されない。これまで共に戦ってきた仲間と、先に死んでいった仲間の前でみじめな姿は見せられない。

このウォール・マリア奪還作戦に参加するにあたって必ず勝利し、壁の中に戻ることができるとは限らないことくらい分かっていた。

リヴァイと婚姻を結んだ後も兵士長と副兵士長として在り続けるというのは、それも含めて2人で覚悟したことだ。これまでの戦いで命を落とした仲間に報いるため…彼らが命を賭して繋いでくれた道を、…彼らが残した意思を、私たちは叶えるために剣を取り続けた。

この戦いに勝利して世界の真相を明らかにさせ、人類が真の平和を手に入れるために。

…なのに、いざ敗北を突き付けられてこのざまだ。死にたくない。まだ生きていたいと叫びそうになる。好き放題泣き叫んでいる新兵らに同情する。…私も、生きたいよ。


「君らはそれでいいのか?」


少しの沈黙の後、エルヴィンの問いにリヴァイも私も「は?」と返す。


「君らはそれでいいのかと聞いている。…ユキ、君はリヴァイと「普通の生活をする」という夢のために戦ってきたんだろう?それは譲れないものではなかったのか?」

『…、…なぜ今そんなことを言うの。こんな状況で反撃する手立てもないのに。』


譲れないに決まってる。
死にたくないに決まってる。

何度も私たちは普通の生活を夢見てきたんだ。地下で地を這いつくばりながら、血と硝煙に塗れた手で生き延びてきた。希望も光もない世界で漸く手に入れた幸せをここで手放したくない。漸く手に入れたのに…これからも2人で歩んでいこうと誓ったばかりなのに。

だが、状況は最悪でもう逃げることすらできないところまで追い込まれた。なのにまだ「それでいいのか」なんて聞くのはどうかしている。震える手を抑え込み、一度深く息を吸って冷静を保つ。

再び見上げたエルヴィンの瞳は真っすぐに私たちに向けられていた。だが、その瞳はいつものように強い意志も込められていなければ、光さえも消えかかっている。そんな表情をしておきながら、一体私にどんな答えを求めていると言うんだ。

言葉に詰まる私に代わり、リヴァイが口を開いた。


「既に状況はそういう段階にあると思わないか?大敗北だ。…正直言って、俺はもう誰も生きて帰れないとすら思っている…」

「…あぁ、反撃の手立てが何もなければな」


…そうだ、反撃の手立てが何もなければ…。


「『……』」


エルヴィンの言葉に、私とリヴァイは同時に顔を見合わせた。


「…あるのか?」と言ったリヴァイに「あぁ」とエルヴィンが答える。


「…なぜそれをすぐに言わない?なぜクソみてぇな面して黙っている?」

「この作戦が上手くいけばお前たちは獣を仕留めることができるかもしれない。…ここにいる新兵と私の命を捧げればな」


再び轟音が響く。私たちのいるすぐ後ろの民家が岩による砲撃によって吹き飛ばされた。新兵の混乱は限界を迎え、辺りは悲鳴と叫び声で包まれる。


『…エルヴィンと新兵の命を捧げれば?』


…にもかかわらず、私たち3人を包む空気だけはやけに静かだった。抑揚のないエルヴィンの声がやけに響き、私とリヴァイの思考を停止させる。


「…お前の言うとおりだ、どの道我々は殆ど死ぬだろう。いや、全滅する可能性のほうがずっと高い。それならば玉砕覚悟で勝機に懸ける戦法もやむなしなのだが…」


淡々と続けられる声はこの場には似合わない、とても落ち着いた声だった。彼の瞳は僅かに揺れ、どこか遠い景色を見るように細められる。


「そのためにはあの若者たちに死んでくれと、…一流の詐欺師のように体のいい方便を並べなくてはならない。私が先頭を走らなければ誰も続くものはいないだろう。そして私は真っ先に死ぬ。地下室に何があるのか、…知ることもなくな」

「…は?」


リヴァイの疑問符にこたえることなく、エルヴィンは小さなため息をついた。そして近くにあった木箱に腰を下ろし、再び息をつく。


「…俺はこのまま、地下室に行きたい。俺が今までやってこれたのも…いつかこんな日が来ると思っていたからだ。…いつか「答え合わせ」ができるはずだと」



[私の父は教員だった]


先日、エルヴィンが語った言葉。ウォール・マリア奪還作戦の前祝で「私にも譲れない目的があるように、エルヴィンにもそれがあるんでしょう」と言って彼の思いを初めて聞いた時のことだ。

エルヴィンは子どもの頃、父親の教室で学んでいた。ある日人類がこの壁に追い詰められていく経緯についての歴史を学んだその日が、エルヴィンの人生を変えた日だったのだと。

父親はエルヴィンにある1つの仮説を語った。今から107年前、この壁に逃げ込んだ当時の人間は王によって統治しやすいように記憶を改ざんされたのだという突拍子もない仮説だ。



[当時の私は当然信じられなかったが、調査兵として君たちと幾度も戦いを重ねるうちに仮説は私の中で真実となっていった]


壁外で使ったエレンの「叫び」の力。ラガコ村で判明した事実によれば、叫びの力によって使役できるのは巨人だけとは限らないのかもしれないという可能性も生まれた。

エルヴィンの父親はその仮説を語った数日後、遠く離れた町で事故に遭って死んだ。エルヴィンが父親からの仮説を他の子どもたちに話し、それを憲兵に聞かれて詳細を話した日のことだったらしい。

「父は愚かな息子によって殺されたんだ」と語った時と今のエルヴィンの表情が重なった。細められた瞳はどこか遠くを見つめ、後悔ばかりが滲んでいる。


[漸くこの時が来たんだ…全てを懸けて歩んできた努力が報われる日が。その機を逃すわけにはいかない。絶対に行かなければならないんだ]


リヴァイやハンジらにどれだけ止められても強引に押し通そうとした理由。それを聞いた私は「それなら確かめに行くしかないね」と言い、エルヴィンは「あぁ」と笑っていた。


「…何度も死んだほうが楽だと思った。それでも…父との夢が頭をチラつくんだ。そして今、手を伸ばせば届くところに答えがある」


すぐそこにあるんだ…っ、とエルヴィンは残った左手を空に伸ばす。


「…だが、見えるか?俺たちの仲間が。仲間たちは俺たちを見ている。…まだ戦いは終わってないからな」


リヴァイは何も答えなかった。エルヴィンの目的を彼は詳しく知っているわけではない。だがそれでも、これまで調査兵団の団長と兵士長として…いや、それよりも前から共に戦場を駆けてきた絆が2人にはある。

これまで数えきれないほどの屍を乗り越え、自らも片腕を失いながら戦ってきたエルヴィンがずっと叶えたかった夢が地下室にある。すぐそこに。…仲間も使命も、団長としての責務さえも全て放り出して地下室へ行けば、彼の積年の夢は果たされる。私たち調査兵団を、人類を…全てを放り出してしまえば。



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