垂り雪
□夜風
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「ただいま!」
バタンと勢いよく扉を開けて入ってきたイザベルにファーランが「帰ったか」と言うとイザベルは「うん」と頷きながら抱えていた大きな袋を下ろした。
しかし、朝方出て行ったのにも関わらず今はもうどっちかと言えば夕方に近い時間だ。女の買い物ってのはどうしてこう長いんだと思っていたが、一緒に出かけていたはずのユキがいつまで経っても入ってこない。
「ユキはどうした?」
「姉貴なら今風呂だよ」
「風呂だと?」
「うん、それが聞いてくれよ兄貴!さっき外で変な奴らに絡まれちまったんだけどさ、姉貴があっという間にこてんぱんにしたんだぜ!?」
かっこよかったなぁ!と言うイザベルに「そうか」と答える。
変な奴ら、と言うのは多少気になるがどうせ名もないゴロツキだろう。ユキは俺が部屋を汚されるのを嫌うことを誰よりもよく理解している。床に落ちた血は拭ってもなかなか綺麗にならねぇと一緒に暮らし始めた当時、仕事を終えたそのままの格好で家の中をうろつくユキに何度も言いつけたものだ。
結果、今ではこの中の誰よりも…まぁ俺には及ばないが、ユキは自ら毎日掃除をするほど綺麗好きになった。俺に合わせているだけかもしれないが、それでもありがたい事には変わりない。
しかし、ここに入る前に風呂に入ったという事は返り血を浴びたということ。「怪我はないのか?」と聞くと、イザベルは「ねぇよ」と即答した。
「お前は心配性だな。ユキが今まで傷を作って帰ってくることなんてなかっただろ?」
「今までがそうだからといって、今回も無事だとは限らないだろう」
「そうだけどよ」
ケラケラと笑うファーランを睨みつければ、ハッとしたように「悪かったよ」と顔を引きつらせる。
ユキが十分強い事は知っているし、だからこそイザベルと二人で買い物にだって行かせるが…それでもここは地下街。心配しないはずがない。特にあいつは少し目を離すとすぐに無茶をするから厄介だ。
ユキの着替えを用意しに行ったイザベルを見送ると、ファーランが壁に立てかけてある立体機動装置をテーブルに置き、作業を始めた。
「何をやっている?」
「あぁ、これはユキの立体機動装置だ」
「ユキの立体機動装置だと?故障してるのか?」
「この間ユキが飛んでいるところを見て、アンカーの具合が良くないような気がしてたんだ」
「ほう」
思い出して見てみたらやっぱり一箇所螺子が緩んでいた、とファーランが見せてきたアンカーは言われてみれば少し湾曲しているように見えた。…と、言っても言われなきゃ分からないほどのものだが、立体機動装置の不具合は下手をすれば命に関わることもある。
使っている張本人が気づかないとは問題だが、だからこそファーランのこういう細かいところに関する技術には普段から助けられることが多い。
「直りそうなのか?」
「あぁ、昼間のうちに部品を手に入れてきた」
ファーランは袋に入った小さな部品をポケットから取り出し作業に入る。先ほどの口調からするとすぐに終えてしまえるような作業なのだろう。
着替えを用意してきたイザベルは戻ってくるなり大きな袋を引きずるように歩いて台所へ向かった。ユキが出て来る前にある程度自分で進めておこうとしているのだろう。
多少不安は残るが、ユキが出て来る前にできる事といえば精々野菜を切ることくらいだ…と思いつつも後ろから見ていても分かる危なっかしい手つきに手を貸そうかと思った時、ユキが風呂から上がってきた。
『ごめんねイザベル、おまたせ』
「まだ野菜切ってただけだから大丈夫」
『そう、よかった』
ユキは小さく笑うと、こちらを向いて『二人ともただいま』と言う。
「おかえり、ユキ。なんか大変だったみたいだな」
『そんな事ないよ、ちょっとした喧嘩ってだけ』
「それにしてもこの地下街にまだお前に喧嘩ふっかけてくる奴なんていたんだな。大体のゴロツキは手を出してこないだろ?」
『そうでもないよ』
タオルをテーブルに置き、髪を束ねようと両手を上げるユキを「こっちに来い」と呼びつける。
何だと首を傾げながらも言われた通りに俺の前まで来たユキの頭をタオルで乱暴に拭いてやれば、ユキは驚きながら一歩後ずさりをした。
『わっ、髪ならさっき拭いたよ』
「まだこんなに濡れてんだろうが。風邪引いても面倒は見ねぇぞ」
『それは大変』
ユキの濡れた髪はいつもより深い黒を輝かせ、白いタオルの隙間からふわふわと揺れる。風呂上がりの薄手の格好を上から見下ろし怪我がない事を確認する。こいつは俺たちに心配を掛けさせるような事は言わずに平気で嘘をつくようなやつだ。油断はできない。
「これでいいだろ」
『ありがとう』
ユキは小さく笑うと手早く髪を纏め、イザベルのほうを見に行った。タオルを片付け、再び椅子に腰を下ろす。
「ああやってお前に面倒をみられてるユキを見ると、ユキが俺より年下なんだって実感するな」
「何を言ってる?どう見てもお前より年下にしか見えないが」
立体機動装置を修理しながら呟くファーランに「何言ってんだ?」と視線を向ければ、ファーランはゆっくりと口を開いた。
「背格好の問題だけならイザベルと殆ど変わらねぇけど、ユキって18のくせにガキっぽさがないだろ?感情を押さえつける方法も諦めも残酷さも知ってる。だからあまり頼られることもないし逆にこっちが頼ってるからそう思うんだろうな。」
「…それは違うと思うが」
「違う?」
「あぁ、お前が思っているよりユキはお前のことを頼りにしている」
そう言えば、ファーランは「そうか?…覚えがないんだが」と苦笑する。
「今こうしてユキの立体機動装置を直してやってるだろう?あいつは知っての通り機械に関しては弱い。それなのに確認もせずいつもそいつを付けて飛んでるのは、お前を信用しているからなんじゃないのか」
「…はは、そう言われちまったら面倒見てやるしかないな」
呆れたように溜息をつきながらも、ファーランは小さく笑っていた。ユキに頼られていたということがどうやら嬉しかったらしい。
『待ってイザベル、それ違う!』
「これを先に入れるんじゃねーの!?」
ユキの珍しく慌てた声に視線を向ければ、ちょうど料理に勤しんでいるイザベルの手をユキが掴んで止めているところだった。
「…なぁ、リヴァイ。今日はまともな飯が出てくると思うか?」
わーきゃーと騒いでいる二人から視線を戻すと、ファーランは顔を引きつらせていた。以前イザベルが出してきたシチューを思い出しているのだろう。あの一件は今でもファーランにとって相当なトラウマとなっているらしい。
「ユキが見てやってるんだ、大丈夫だろう」
「…と思いたいな」
**
***
蝋燭の灯が揺らぐ通路を歩く。
大きな窓から差し込む青白い光に窓の外を見上げれば、月明かりが差し込んでいた。
[いいか、もう一度作戦を確認するぞ]
数時間前、地図を広げながら言ったファーランの作戦はこうだ。
私が東、リヴァイが北、ファーランとイザベルは西から潜入し屋敷の中を捜索する。…と、言ってもファーランが事前に手に入れてくれた地図のお陰で闇雲に探す手間は省け、それぞれの場所にある怪しい箇所を探すだけ。
東の怪しげな場所は一通り回ったが手に入れたのは数個の希少石のみ。まさかこれだけのはずがないから残りは今頃三人が見つけているだろう。
しかし、ファーランが言っていた通り中級貴族なだけあって上級とは違い警備が薄すぎる。南側の正面入り口に門番しか置いていないなんて、そんなもの立体機動装置でどこからでも侵入できる私たちにとっては無いのも同じだ。
一応注意して捜索したが、屋敷の中を見回る人間もいない。
懐中時計を確認すると、そろそろ集合時間へと差し掛かっていた。これなら余裕で着くだろうと窓から立体機動で飛び出し、集合場所へと向かう。
一番乗りかと思って一本の大木に着地すると、そこには既にリヴァイが待機していた。
『早いね』
「あぁ、そんなに広くもなかったからな」
リヴァイの隣に移動すれば彼の手には大きな袋。どうやら今回のあたりはリヴァイだったようだ。
時間を確認すると、ちょうど取り決めていた時間になっていた。木の上から屋敷を見てみるが二人が戻ってくる様子はない。
まさか何かあったのだろうか?
屋敷が騒がしい様子はないが…。
『ちょっと様子見に行ってくる』
「いや、その必要なない」
『え?』
リヴァイがそう言うと同時、遠くの方からガスを蒸す音が聞こえてきた。月夜を舞う二つの影は間違いなくファーランとイザベルだろう。
「あれ、二人とも早いな」
『もう集合時間過ぎてる』
「げ、本当だ」
「…お前ら、時間くらい確認しろ」
「いやぁ悪かった。あまりにも警備が手薄だったもんだから油断してた」
「行くぞ」というリヴァイの後を追い、私たちは大木を足場に飛び立つ。この季節の夜風は体に堪える。頬を叩く冷たい風は冬の到来を知らせていた。
「今回当たりだったのはリヴァイか」
「なぁ、それ何に使うんだ?」
『私美味しいもの食べたい』
「馬鹿か、この前壊れた床を直すのが先だ」
あぁ、そう言えばと思い出す。樽から漏れた液体を掃除しようとしたリヴァイがいるのに気づかず、下の階にいたイザベルがギリギリの状態で保っていた部屋の天井に止めをさしたのだ。
それによって樽の中身を見事に被り下の階へ落下したリヴァイを思い出し、思わず小さく笑ってしまった私のこめかみ辺りにビシビシと視線が突き刺さる。
あぁ、これは後で怒られそうだ。
そんなことを思いながら、私たちは地下への帰路に着いた。
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