垂り雪

□垂り雪
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「…今日はよく冷えるな」


ポツリとファーランが呟いた言葉通り、私達が集まる一室は凍えるような寒さに襲われていた。


『寒い』

「それだけの毛布に包まっておいて何を言っている」

『寒いものは寒い』

「姉貴は本当に寒がりだよなぁ」


そう言うイザベルはほとんどいつもの格好と変わらない。一体どんな神経をしているんだと思うが改めて見ればリヴァイもファーランもいつもより1枚多く羽織っているだけ。

この中で異常なのは自分だと認めざるを得なかった。


『リヴァイ、あったかい牛乳飲みたい』

「俺を顎で使うとはいい度胸じゃねぇか」

『言ってみただけ』


やってくれないって分かってたけどね。私が毛布を置いて立ち上がった時、トントンと扉を叩く音が聞こえた。

こんな時間に一体誰が何の用で訪ねてきたというのだろう?そもそも私たちのところに訪ねてくる人間なんてものは殆どいない。

同じようにリヴァイも不審に思ったのか、俺が出ると言うように立ち上がるリヴァイを手で制して私は自分の腰にナイフが装備してあることを確認し、扉をゆっくりと押し開いた。


「話がある」


そこにいたのは一人の男。フードを深く被りマントで隠しているようだが、とても地下街にくるような人間には見えなかった。


『何の用で?』

「仕事の依頼だ」


私は振り返りリヴァイを見る。するとリヴァイは顎で中へ入れるように合図した。


『中へ』

そう言うと男は黙って一歩中へと入る。…が、それ以上は踏み込むつもりはないのかそこで止まった。

一応地下街のことを心得てはいるらしい。相手の敷地にこれ以上踏み込めば、万が一の時に逃げられる術がなくなってしまう。

その時のために一番出口に近いところにいるのだろう。私がナイフに添えていた手を下ろし男から一番近い椅子に座ると、男はゆっくりと口を開いた。


「私は”ある人物”からの使者だ。単刀直入に言おう。調査兵団のエルヴィン・スミスという男がお前達を捕らえて兵団に入れようとしている」


この男が何を言っているのか…、疑問に思ったのは私だけではない。全員が揃うこの空間の空気がガラリと変わった。

どうして調査兵団の人間が私たちを追いかけている?憲兵団なら分かるが…、しかもそのエルヴィン・スミスという男は私たちを捕らえ調査兵団に入れようとしている?

一体、何がどうすればそうなるのだろう?
まさか立体機動が使えるとは言え、訓練を受けてもいない地下街のゴロツキを勧誘しなければいけないほど調査兵団は切羽詰まった状況だというのか?

だとしても、あまりにもお笑いな話じゃないか。

男は続けた。


「調査兵団に入ったらそれに乗じて奴から”ある書類”を奪い、可能なら始末して欲しい」

「…」

「…」


沈黙が落ちる。
それを破ったのは鼻で笑ったリヴァイだった。


「…はっ。一丁前の見てくれの人間が地下まで来てなに寝言ほざいてやがる。太陽が拝めなくて体内時計でも狂ったか?そんな突飛な話、誰が信じる?」

「報酬は現金と王都で暮らす権利だ」


私は思わず小さくため息をついた。そんなうまい話を誰が信じるというのだろう。リヴァイが言う通り地上で相当いい地位を持っているようだが、私たちを馬鹿にしているとしか思えない。

いや、実際馬鹿にしているのだろう。地上の人間でしかもそれなりの地位を持っている人間は、私たちのような地下の人間を人間とは思っていない連中ばかりだ。


「…ますます胡散くせぇな。聞かなかったことにしてやるからさっさと上に戻れ」


その言葉に私は立ち上がり男を外へと出そうとした。しかし、それはファーランによって止められる。


「これ以上は時間の無駄だぜ」

「待て、リヴァイ」

「あ?」


私は足を止めて振り返る。眉間に皺を寄せたリヴァイと真剣な表情をしたファーランが無言のまま数秒睨み合っていた。

ファーランが何を考えているのかは分からないが、取り敢えずリヴァイがこれ以上口を挟まないだろうと思ったファーランは男に向き合って改めて口を開いた。


「用件は分かったがなにぶん急な話だ。こっちもすぐに答えを出せるわけじゃない、分かるだろ?」


少し考えさせてくれ、という言葉に男は少し考える素振りを見せた。


「…いいだろう、3日後までに結論を出せ」


マントを翻した男が何かをするんじゃないかと身構えたが、男は何もすることなく扉を押し開いた。


「分かっているとは思うが他言無用だ。おかしな真似をすればお前達の仲間も無事では済まんぞ」


ーー…バタン。

そう言い残し、
男は静かに去っていった。


「…オイ」

男が去るや否や、リヴァイは苛立ちの籠った声でファーランに問いかける。しかし、ファーランは考えがあるのか妙に明るい声で「よし、尾けさせるか」と言った。


『尾ける?さっきの男を?』

「あぁ、”ある人物”ってのをつきとめてやる」

「まさか受けるつもりなのか?」


イザベルが問う。その疑問は私も同じだった。

あんなにうまい話があるはずがない。特にあの男は胡散臭すぎる。


「金はともかく王都で暮らせる権利なんて、貴族や大商人のコネでもなきゃ俺達には一生無縁の代物だ」

「どうせ書類を手に入れたら次に狙われるのはこっちだ」

「だろうな」

『そこまで分かっててどうして受けようとするの?』


書類を奪うことも標的を殺すことも、私達ならできるだろう。しかし、その後も危険が付き纏うのは面倒だ。

万が一にも王都で暮らす権利というのが本当だとして、王都で暮らせると浮かれているときにバッサリ殺られる可能性だって充分にある。

そう言うと、ファーランは小さく笑って口を開いた。


「書類は手に入れる。ただし標的は”ある人物”だ。その書類を使って逆に奴らを脅すのさ」

「…地下の人間の脅しに豚共が乗るかよ」

『そう上手くはいかないと思うけど』

「やる価値はある、これはチャンスだぜ?…なぁお前ら、上に行きたくねぇの?」


小さな沈黙が落ちた。
時計の針が静かに時を刻む音が聞こえてくる。

私はナイフの隣に拳銃を新たに携え、扉を押し開いた。


「どこへ行く」

『尾けるんでしょ?だったら、私が行ってくる』


リヴァイの声に振り返ることなく、私は静かに扉を閉めた。

あの男、まだそんなに遠くには行っていないだろう。格好や年齢から想像するに到底足が速いようには思えない。

凍えるような寒さに出てきた事を後悔していると、思ったより近くにいた男を影から尾けていく。


正直、私にとって”ある人物”というのが誰なのかという事はどうでもいいことだ。物心ついたときから地下街で暮らしている私にとって、あんなに上手い話は罠としか思えない。

しかし、ファーランは乗る気でいる。確かにやってみる価値はあるかもしれない。私達なら書類を奪還し対象を始末することもできる。

失敗だったとしても、やれるだけのことはやるべきなのだろうか。


ーー…なぁ前ら、上に行きたくねぇの?


ファーランは以前から上を夢見ていた。イザベルもそうだ。2人は地上を夢に見続けている。

あの2人の為にはやってみるのもいいかもしれない。リヴァイは乗り気ではないようだが、それも当然だろう。リヴァイは私達に危険が及ぶことを好まない。


…どうするべきだろうか?


『…』

男は暫くすると当然の事ながら見張りに通行料を払い、地上へ続く階段を上っていく。

私は急いで引き返して一番近い隠し通路内を駆け、もう暗くなった地上へと出た。

もう辺りは暗い闇に包まれているはずだったのだが、やけに明るい。おまけに柵もいつものように開かないと思い力任せに開けたとき、目の前に広がる銀世界に息をのんだ。

…あぁ、なるほど。どうりで寒いわけだ。

白い息が舞い上がる。
深夜にも関わらず辺りはぼんやりと薄く照らし出されている。

私は階段から続く1つの足跡を追いかけ、自分の足跡が残らないよう細心の注意を払いながら屋根の上を渡って行った。


その途中、屋根まで届く木の枝にその何倍もの面積の雪が積もっているのが目にとまった。

雪の重みで枝はしなり、今にも折れてしまいそうになっている。

…と、思ったその時、枝の上に積もっていた雪が滑り落ちドサリと地面へ落下した。


『…垂り雪』


この現象を垂り雪というのだと、前にファーランに借りた本で読んだことがあった。


白い息が舞い上がる。
私は再び歩みを進めた。



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