垂り雪

□夢
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私が戻ったのは朝9時頃だった。

扉を開けるとみんなはもう起きていて、私は手短に”ある人物”がニコラス・ロヴォフであることを伝えると、ファーランとイザベルは身を乗り出す勢いで口を開いた。


「これはデカいチャンスだぜ!」

「相手は貴族なんだろ!?報酬の話もありえない話じゃねぇな!」


確かに、貴族であれば私達に王都での居住権を与えることくらい訳もない話だ。しかも、相手は普通の貴族ではなくそれなりの地位と権力も持ち合わせている。


「…」


しかし、リヴァイの表情は2人とは対照的に優れたものではなかった。


「なぁ、やるだろ兄貴!王都での居住権だぞ!」

「リヴァイ、この仕事受けてみないか!?」


2人の期待に満ちた瞳がリヴァイに向けられる。リヴァイは小さな沈黙の後、ゆっくりと席を立ち私の方へと歩いてきた。


「冷えただろう、風呂に入ってこい」


それだけを言い残し、リヴァイは自室への階段を上っていく。


『…』

「オイ、リヴァイ!」

「兄貴!」


2人の声などまるで聞こえていないかのように、リヴァイがそのまま戻ってくることはなかった。

ファーランはため息をつきながら再び腰を下ろす。


「…やっぱりリヴァイは乗り気じゃねぇんだな」

「どうしてだ?王都での居住権が手に入るんだろ?兄貴はどうして反対するんだ?」

「あの男の話を信じていないからだろう。仕事を成功させても必ず報酬が手に入るとは限らないからな」

「でも、やってみる価値はあると思うんだけどなぁ」


テーブルに項垂れるイザベルを横目に階段を見上げると、ファーランが「リヴァイなら暫く降りてこないと思うぞ」と言った。


「リヴァイの奴、お前が帰ってくるのをここで一晩中待っていたからな。今から寝るんだろ」

『…そう』


私のことを待っていてくれたのか。申し訳ないことをしたなと思いつつも、少し嬉しいと思ってしまったことは心のうちに閉まっておこう。

私は頭を悩ませる2人に何も言葉をかけずに、そのまま冷えた身体を温めるためお風呂へと向かった。


**
***


その日の夜のことだった。


「俺は本気だぜ、いつかこんなゴミ溜めから抜け出して上で暮らすんだ。」


ナイフを磨くリヴァイにファーランが
今回の仕事を受けるよう一生懸命説得を試みる。


「今までは計画倒ればっかりだったが、お前らがいれば多少の無茶もやれそうだ。調査兵団に入ったら…ーー」


ーー…ガチャ。

扉が開き、イザベルが帰ってきた。
しかし見るからにボロボロで、更に2つに結んでいたはずの左側の髪がなくなっていたそれは明らかに何かがあった事を示すものだった。


「…イザベル、何があった?」


ファーランが問いかける。
…が、イザベルは「なんでもねぇ」と返す。


「まさか…、また下の階層の奴らに会いに行ってたのか?」

「うるせぇな、ちょっと転んだだけだ!」


転んだだけではないことは明白。そうやって強がって隠し通そうとするイザベルに髪のことを言おうとしてやめたのだが…


「髪の毛はどうした?」

「…!!」


リヴァイがあっさりとその問いを口にした。


「こんなの、すぐ生えてくる!!」


案の定イザベルの表情は一気に変わり、まるで叫ぶようにそう言って部屋を出て行ってしまった。


『…リヴァイ』

どうして追い討ちをかけるようなことをしたの、と睨みつければリヴァイは何も言わずにただ手元にあったナイフに視線を落としていた。



**
***



その後、なんとなくそのまま解散した私達だったが、裏口で待っていると予想通りマントを羽織ったリヴァイが現れた。

リヴァイは暫く私を怪訝そうな顔で見ていたが、何も言葉を発することなく無言のまま階段を下りていく。


『…行くの?』

「あぁ」

『なら、私が行くよ』


そう言うとリヴァイは足を止めて振り返る。リヴァイがこれから何をしに行くのかは聞くまでもない。

マントで隠しているが、その手に握られたナイフでイザベルを弄んだ連中を殺りに行くつもりなのだろう。

イザベルがああして帰ってくるのは初めてではない。もう関わるな、と私もリヴァイも言っていたのにそれでも今日下の階層の人間に会いに行っていたということは、何か言われたか又は脅されているのか…何かしらの要因があった事は間違いなかった。


『下の階層のことなら私の方が詳しいから』

「いや、お前はイザベルのことを見ててやれ」


リヴァイはそのまま階段を下り、闇の中へと姿を消していった。

彼の背中を見送った私は裏口の戸を開け室内に入る。自室に戻ろうと階段を上がればイザベルのすすり泣く声が聞こえてきた。

「殺してやる」という声は苦しそうに絞り出され、よほど悔しかったんだろうと私は足を止めた。もっとちゃんと見ていてあげれば良かったと後悔する。

それでも私達は「仲間」であって「家族」ではないからと、リヴァイも私も相手に対してそこまで深くは踏み込まなかった。そういう距離感も必要だと思っていたが、イザベルはまだ幼い。

喧嘩に負けることもあれば、脅される事も暴力を振るわれることもある。血走った地下街の人間からしたら幼い少女は絶好の的だ。…私がそうであったように。


ーー…ガチャ。

扉が開く音。
きっとファーランだろう。

耳を澄ませているとファーランはイザベルの部屋の前で立ち止まり、彼女の様子を見にきたようだった。

そして呟く。


「どいつもこいつも、他人をてめぇのところまで引きずり降ろすことしか頭にねぇんだ。ここは底なしだ。だから俺は…」


そこで言葉を途切らせたファーランはゆっくりとこちらに歩いてきた。下の階に行こうとしたのだろう。

角を曲がり私を見たファーランは驚いたように目を見開き、一歩後退りした。


「…ユキか、なんだよビックリさせるなよ…」

『だから俺は、上へ行きたい?』


安心したように胸を撫で下ろすファーランに問えば、彼は顔を引きつらせた。


「…聞いてたのか」

『たまたま聞こえただけ』


ファーランは参ったな、と困ったように人差し指で頬を掻く。そして下の階を覗き込んだので『リヴァイは出かけてるよ』というと「お前にはなんでも見透かされてるようで怖ぇよ」と片眉を下げた。


「なぁ、ユキ。お前は上に行きたいと思わないのか?」


いつもより低い、真面目な声。
「お前もリヴァイと同じ考えか?」という問いに私は一呼吸置いて口を開いた。


『私はファーランの考えは間違ってないと思う。可能性が少しでもあるのなら、それを試してみるのも悪くない。』

「なら、リヴァイを説得してくれないか?お前の言葉なら聞いてくれる」

『でも、リヴァイの考えも間違えじゃないと思う。』


笑顔を浮かべた表情から一転、眉を潜めるファーランに私は続けた。


『私もリヴァイも色んな経験をしてきて、こういう話が決して上手い話だけじゃない事を痛感してる。だから今回の話は乗るべきじゃないって思う。私もリヴァイも地上に行きたくないわけじゃないけどね。』

「だからってそんな事言ってたら一生俺たちは上になんて行けない。上手い話でもなけりゃ、俺たちには地上に行く機会はないんだぜ!?ユキ、お前は上にいた事があるんだろ?なのにどうして…」

『ファーランは今の暮らしは嫌?』

「は?」

『私は満足してるよ。みんなとこうして一緒にいられる今の暮らしに。確かに地上の人間に比べたら真っ当な生活ではないかもしれないけど、泥水を啜る事も残飯を漁る事もない今の暮らしに私は満足してる。』


食料を手に入れる術も、
そのために金を手に入れる術も、

私たちはもう持っている。

それは地上の人間のように朝からせっせと働いて手に入れるような綺麗な方法ではないが、それが何だというのだろうか。

満足するまで食べて、飲んで、寝られる。信頼する仲間と一緒にそれができれば充分だと思うのは、私とリヴァイだけなのだろうか。

そう問えば、ファーランは俯き小さな沈黙が落ちた。地下の人間は誰しも上を夢見る。悪い事をしたなと思いながら立ち去ろうとすれば、私の足は苦しそうに絞り出される声に引き止められた。


「そうやって俺たちは、お前らにいつも護られてるんだろ?」


足を止め、振り返る。
私を見下ろすファーランの瞳はまるで私を責めるように睨みつけていた。


『…どういう意味?』

「そのまんまの意味だよ。自分達の手はいくら汚そうが危険な橋を渡ろうが構わないんだろう?」

『…』

「お前らは上手く隠してると思ってるだろうけどさ、俺は知ってるんだぜ…俺たちが眠った後、お前らが隠れて何をやっているか。」


滅多に見せる事のないファーランの鋭い瞳は、全く揺れ動く事なく真っ直ぐに私の瞳を捉え続ける。


「貴族から地下の人間まで…今まで何人手にかけてきた?そうやって金を稼いで、俺たちに不自由させないようにして、2人して平気な顔してやがる。」

『…』

「夜寝られないからお前はいつも寝坊してくるんだろ?リヴァイは大丈夫かもしれねぇけど。…俺はさ、もうお前らにおんぶに抱っこは御免なんだよ…」


ファーランは深くため息をつき、片手で頭を抱えるように階段に腰を下ろした。


「だから今回も俺たちに危険が及ぶかもしれねぇって渋ってんだろ?俺にだってそれくらい分かるさ、伊達にあんたらと一緒にいるわけじゃないからな」


お前たちは本当に不器用で、過保護で、そのくせ顔にも態度にも出さないから厄介だ。

というファーランの瞳は、もう先程のような鋭さは灯っていなかった。


『知っているなら諦めもついただろうに、どうしてそれでも食い下がるの?』

「俺はさ、お前らと対等な立場でいたいんだよ。そりゃ化け物並みに強いお前らと力で対等になれるとは思ってねぇけどさ」


化け物って、と言いかけて止める。
ファーランは自嘲染みた笑みを浮かべていた。


「戦力としてじゃなくて仲間として、…一人の人間として対等な立場でいたいんだよ。お前達が苦だと思っていない事が分かっていても、頼るだけも護られるだけも嫌なんだ。」

『…仲間として』

「あぁ、お前らにとっちゃ迷惑な話かもしれねぇけどよ…俺はイザベルも含めてお前らの事を仲間以上のものだと思ってるんだ。だから、みんなで地上に行けたら今よりずっと楽しいんだろうなって思う。お前らに手を汚させなくても暮らす事ができるからな」


私は自分の手を見つめた。
なんの変哲もない小さな手に、あるはずのない赤い液体が付着しているように見える。

対等な立場でいたい…。
私達はとっくに対等な立場でいると思っていたが…そうか、ファーランはそうは思っていなかったのか。

そう思わせてしまたのは私とリヴァイの責任なのかもしれない。


[俺はお前らのことを仲間以上のものだと思っているんだ。]


ーーキィ…。

その時、裏口の戸が開いた音がした。
続いてこちらに近づいてくる足音。

階段の下に姿を現したリヴァイの手には出て行った時と同じ、白い布に包まれたナイフ。

しかし、その布は所々赤く染まりナイフの切先には僅かに血痕が残っていた。


「…リヴァイ、お前…殺ったのか?」

「…」


リヴァイは私達に一瞬だけ視線を向け、すぐにマントを翻して背を向けてしまった。

不安げな表情で私を見上げるファーランに視線だけで合図をし、私は階段を降りる。

ファーランが自室へ戻った事を確認し、私はリヴァイの後を追った。



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