垂り雪

□夜風
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耳元で風切り音が鳴る。いつも王都か地下街を飛んでいるからか、木々の間を飛ぶというのは新鮮だった。

建物の構造や使われている材質等は一切関係ない。自分を取り囲む木々のどこにアンカーを刺しても弾かれることなく立体機動の機動力を活かせる。

こんなにやりやすい場所で訓練をしているのか、と思いながらガスを蒸し速度を上げた。

隣を並走する男兵士と女兵士はこちらをチラチラと伺いながら飛んでいる。向こうが速度を上げたのでこちらも速度をあげれば、苦い表情を浮かべられた。

隣のコースを見ればリヴァイも同じような速度で飛び、周りの様子を伺っている。


ゴトンとまず1つ目の的が現れる。

ブレードを構え的を削ぎながら下降すると、思ったより綺麗に削ぐことができた。

反対方向から同時に的を削いだ男兵士と同じくらいの深さといってもいい。

身体を回転させて木に足をつき、再び蹴り上げて飛び上がる。


「っくぅぅ!滾るねぇぇえええ!」


と、開始地点から妙な騒ぎ声が聞こえてきたが、それとは対照的に並走する兵士の表情は歪んでいる。


2つ目、3つ目の的も同様に削いでいく内にブレードの扱い方にも慣れてきた。項を一番綺麗に削げる角度、方向から一気に急降下してブレードを交差させる。

ガスを蒸すタイミングも覚えてしまえば、並走する兵士より早く削げそうだ。…だが、相手の表情を見る限り面倒なことになりそうなので同じ速度で同時に項を削ぐ。

ただ、項を削ぐことに関してだけは本気でやり、相手より深く削ぎ続けた。


「おい、避けろ!しくじったッ!!」


隣のコースから聞こえてくる声に視線を向ければ、的に垂直に突き刺さったまま取り残されている刃に向かって男兵士が真っ直ぐ向かっていた。

あの状態からではもう回避することは不可能。自分のブレードで弾くしかないが…と思った時、後ろにいたリヴァイが一気に加速し男を追い越して刃を弾き飛ばした。

男は勢いそのまま的にぶつかり、悔しそうに悠々と前を飛ぶリヴァイを睨みつけている。

危なかったとホッと息をついていると、自分の身体に影がかかった。


「よそ見してんじゃねぇ!」


突如目の前に現れた巨人の的に驚きつつも板を蹴り上げ飛び上がれば、的を出していた兵士の憎しみにも似た瞳と視線が交わった。

わざとやったのか…と思いながらそのまま急降下し的を削ぎ落とした。



**
***



「…お前らもう噂になってんぞ」


食堂で食事を始めると、遅れてきたファーランが周りを見て顔を引きつらせた。

周りからチラチラと見られているのには当然リヴァイも気づいているだろうが、何食わぬ顔でスープを口に運んでいる。


「さすが2人はすげぇよな!俺たちはここの兵士に敵わなかったのに」

「リヴァイは兵士を助けたらしいじゃないか」

「…あぁ」


さすが兄貴だな!と喜んでいるイザベルとは対照的に周りから向けられる視線は様々だ。

中には好奇の目を向けてくるものもいるがそれはほんの数人の少数派で、殆どが嫌悪の眼差しを向けてきている。非常に居心地が悪いがまともに受けていたらキリがない。


「お前は立体機動中チラチラとよそ見をしすぎだ」

『…あれ、バレてた?』

「当然だろう」


静かに咎められ、私は『今度から気をつける』と苦笑しながら返す。…だが、私が見ていたことを気づいていたということはリヴァイだって同じだったんじゃないか…と思ったことは言わないでおこう。

こんな人目に晒されているところではいつものようにくだらない言い争いも満足にできやしないだろうし。

その後、私たちはイザベルの話を聞きながら食事を終え、男性寮と女性寮にそれぞれ分かれた。


『また明日』

「あぁ」


こんな風に寝る前に分かれたことがなかったから、なんだか新鮮なようで寂しい気持ちに押しつぶされる。

これからは毎日こんな風に夜になる度に別れて朝になるまで会えないのか…。2人が寝静まった後にリヴァイと一緒に仕事に出かけることも当然ない。


「明日の朝まで会えないなんて寂しいなぁ」


そう呟いたイザベルに、
私は素直に『そうだね』と答えた。



**
***



女子寮の扉を開けると、当然のことながら案内された昼間と違って女兵士が各自のベッドで各々好きに時間を過ごしていた。

部屋に入ってきた私たちに一瞬視線が向けられるが、声をかけられることもなく皆普通に過ごしている。

イザベルと一緒に準備をしてお風呂へ向かう。今までのように好きな時間にご飯を食べて、お風呂へ入ってということができない今、決められた時間内に様々な行動をしなければいけないから面倒だ。


「ここの風呂ってどんなのだと思う?やっぱ広いのか!?」

『寮だから広いんじゃない?みんなで入るわけだし』

「じゃぁ足伸ばせるのかな!?もしかして泳げる!?」

『泳げる広さがあっても泳いじゃダメだからね』

「…わかってるよ」


しょぼんと肩を落とすイザベルには申し訳ないが、他の人間と一緒に入るのだから我慢してもらわなくてはならない。

…本音を言えば私だって泳ぎたかったけど。

服を脱いで風呂場へ入れば、思っていたよりも広い浴場にイザベルと一緒に少し感動した。

誰もいなければ本当に少しくらい泳げる広さがある。


風呂を終えて部屋に戻りタオルで髪を乾かしていると「あの」と声をかけられた。

振り返ると長い髪を2つ結びにした如何にも大人しそうな女の子で、誰だ?と思っているとイザベルが笑顔を浮かべた。


「リサ!」

「何か困った事とかない?」

「おう!今のところ大丈夫」


どうやら今日の内に知り合ったらしく、イザベルは「今日俺の指導してくれた人だ」と言った。

リサという女兵士は私のほうを見るとニコリと笑って口を開く。


「あなたはユキ…よね?」

『ええ』

「さっき食堂であなた達の噂を聞いたわ。あのリヴァイっていう人とユキはすごく立体機動が上手なんだってね。驚いたよ」


両手を合わせながら嬉々として話しかけてくるリサにどうしたものかと戸惑う。ここの兵士とはあまり関わりたくないが、イザベルの指導をしている人間とあってはあまり蔑ろにするわけにもいかない。


「そうだよすっげーんだよ兄貴と姉貴は!俺なんかよりずっとすげぇんだ!」

「うん。上司もみんなも地下街出身だからって悪く言うけど、私はそんなこと思わないわ。だって訓練してきた私たちより強いんだもの」

「へへっ」


それが不和を招く原因でもあるのだが…、リサは気づいていないらしくイザベルと抵抗なく話している。

チラリと周りを伺えばやはり私たちは興味の対象なのか、チラチラとこちらの様子を見ている兵士はたくさんいた。どういう人間なのか、警戒する必要があるのか見定められているようで居心地が悪い。

私は部屋を出ようとベッドを降りると「ユキ」と呼び止められた。


『何?』

「初めて見たときから思ってたんだけどあなたの髪とても綺麗ね。…あの、その…聞いてもいいか分からないんだけど…」


言いづらそうに言葉を詰まらせているが、この後に続く言葉なんて決まっている。


「東洋の…人なの?」


予想通りの言葉にため息がでそうになる。リサの発言のおかげで周りの視線もある今、突き放すこともできないと『ええ』とだけ答えて私は部屋をでた。


**
***


部屋を出たからといって何もすることはなく、かといって男子寮に行くわけにもいかないので適当に兵舎を散歩する。

頬を叩く夜風は冷たく、
ぶるりと身体が震えた。

中庭から草木が芽を出している様子を見ると春が訪れるのだろうが、まだ芽を出すには早かったんじゃないかと呟いてみる。

夜空を見上げると昨夜と同じように満天の星空が広がっていた。昨日は4人で見ていた星空なのに1人で見ると随分寂しい気持ちにさせられる。

結局、昨日のことをリヴァイに謝ることもできなかった。…そもそも謝るっていうのもおかしな話だし、意識しているのは私だけでリヴァイはなんとも思っていないだろうし。

このままなかったことにして、いつも通りでいよう…。

そう思ったとき、私は目の前に現れた人物に足を止めた。彼の名前はミケ・ザカリアス。エルヴィンの分隊に配属され、私と地下街で刃を重ねた相手だ。

互いに相手の瞳から視線をそらすことなく落ちる沈黙は酷く重苦しい。周りに人の気配はなく、どうやらこの男1人らしい。当然エルヴィンの姿も見当たらなかった。


「1人なのか?」

『そちらこそ』


私がそう返すとミケは「あぁ」と迷うことなく答えた。再び沈黙が落ちる。

私が1人でここにいることに警戒しないのか?今は夜中だ。兵士も眠りにつき始めているこの時間に1人でほっつき歩いている私を疑うのは当然だと思うが、この男は詮索する気はないらしい。

こっちの目的も知らないだろうし、私1人がほっつく歩いていようがなんら脅威にならないということか。そういうことなら「1人か?」というさっきの質問の意味も分かる。

ここにリヴァイもいたのなら、警戒する必要があるからだろう。随分なめられたものだ。


「昼間の訓練は見事だった」

『それはどうも』


今日何回目かのその言葉に私は適当に返す。


「部屋の居心地が悪かったのか?」

『は?』


詮索しないかと思っていたらなんだ?まるで心配でもしているかのような口調に思わず眉根を寄せる。

しかし、ミケに表情の変化はない。


『良くはない』

「そうか。すまないな」

『…用がないなら私は帰る』


居心地の悪さと刃を交えた相手とこれ以上話している必要もないと思った私はミケの隣を通り抜けようとした…瞬間。


ーー…ヒュッ

夜風を斬り裂く風切り音。

ミケ・ザカリアスの手に携えられた刃は私の鼻先に真っ直ぐ突きつけられていた。


『…』

「…」


沈黙が落ちる。ゆっくりと視線を上げればその瞳と視線が交わった。私を見定めるような瞳。

これ以上やっていても私が動かないと悟ったのか、ミケはゆっくりと切っ先を下ろし地面へと向けた。


「すまない。君を少し試させてもらった」

『…試すにしては随分無粋なやり方だと思うけど』

「申し訳ないと思っている」

『そう思っているのなら、もう今後関わらないでくれるとありがたい』


止めていた足を再び踏み出し、
私は彼の横を通り過ぎた。

すれ違いざまに不自然に息を吸っていたような気がしたが気のせいだろう。あの男とは関わらないに越したことはなさそうだ。


「手は大丈夫か?」


背後からの問いかけに私は再び足を止める。…この男、気づいていたのか。


「昼間の訓練では、少し庇っているように見えたが」

『気のせいじゃないの』

「それならいいんだが。…まさかお前がリヴァイを庇うとは思わず、悪いことをした」


すまない。ともう一度零された謝罪の言葉に私は何も答えることなくその場を後にした。




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