垂り雪

□餓鬼の頃からの夢
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「やはりあの娘も警戒しておいたほうがいいだろう」


ミケの報告にエルヴィンは「そうか」と答える。月明かりが淡く照らし出す渡り廊下を歩く小さな影。絹のような黒髪を揺らしながら兵舎に戻っていくユキを2人は上階から見下ろしていた。


「先日地下街で刃を交えたときの動き、…そして今の反応。俺が自分を傷つけようとしていないことを、彼女は既にわかっていたようだ」


真っ直ぐに向けた切っ先。少しでも動けば肌に触れるという至近距離にも関わらず、ユキは微動だにしなかった。

まるで刃が自分に向けられている恐怖すら抱くことなく、それどころか見上げる漆黒の瞳にこちらが飲まれそうになるほどだ。

加えてミケはユキから濃血の匂いがしたと伝える。ファーラン、イザベルからは感じ取れないリヴァイとユキの2人に染み付いた匂い。

地下街でリヴァイを問い詰めている時、1人声をあげることなく…またその表情すら見せることなく俯いていたユキのことをエルヴィンは思い出す。

正面から叩きつけられた3人の怒りや殺気の他に足元を掬われるように地を這う威圧は、恐らく彼女によるものだろう。

初見では男2人にあとの2人が従っているのかと思ったが、今日の様子を見て間違いだと気付いた。リヴァイとユキにあとの2人がついていっている。更にあのリヴァイですらユキという少女のことを一目置いているように見える。


「リヴァイは正面から獲物を狩るタイプだが、あの娘は気づいたら首と胴が切り離されている…そんな恐ろしさがある」


エルヴィンは小さく苦笑を浮かべる。闇夜を幻想的に揺れていた黒髪は、やがて建物の中へと消えていった。


**
***


部屋へ戻ると同室の兵士はもちろん、イザベルも気持ちよさそうに寝息を立てていた。私は小さく息をついてベッドに腰掛ける。

もぞもぞと誰かが寝返りをうつ以外は至って静かだ。これだけ人がいるというのにこんなに静かなのは逆に不自然すぎて気持ち悪い。

地上の夜は静かだ。地下街と違って人々は夜に寝静まり、朝になればまた賑やかに騒ぎ始める。


団服の内側に隠し持っていた小型ナイフを取り出してみれば、蝋燭の柔らかい明かりを取り込み刃を赤く光らせる。憎いことに長身のナイフは取り上げられ持ち込めたのはこの1本だけだが、人を殺すには充分だ。

しかし、エルヴィンは殺さない。私が殺すのはミケ・ザカリアスだ。先程遭遇したのも偶然ではないだろう…立ち去る時、背後からあの男以外の人間の視線も感じた。

恐らくそれはエルヴィンであり、そうだとするなら私は待ち伏せをされていてそれにまんまとハマったということになる。

非常に頭にくる話だが奴らも地下街の人間をただ戦力が欲しいがためにホイホイ連れてくるような馬鹿ではないらしい。完全に自分たちの支配下に置こうとしている。

誰がその手にのるか。いずれ必ず殺してやる。例え命令であったとしてもリヴァイにあんな仕打ちを仕出かしたのは、あの男に他ならない。

ナイフを再び懐にしまい、私はベッドに身体を埋めた。その後誰かがトイレに起きたり寝言を言う度に目が覚め、休んだ気がしなかった。

そんな生活が、これから続くと思うと身体がもつ気がしない。



**
***



「ねぇ!君の話をちょっと聞かせて欲しいんだけど!」


立体機動の訓練中、唐突に話しかけられ私は後ろを振り返る。今日は私1人だけでリヴァイやファーラン、イザベルは他の訓練中。

それを見計らったかのように近づいてきた兵士は眼鏡の奥からキラキラと輝かせた瞳を向けてきた。他の兵士は遅れをとり後方から必死についてきているが、この兵士は随分と余裕のようだ。

確か初日に私とリヴァイが飛んでいるのを見てギャーギャーと騒いでいたのはこの兵士だったような気がする。


「いやぁ初日に君たちの立体機動を見てから是非一緒に訓練をしたいって団長に直訴した甲斐があったよ。やっぱりすごいね、ユキ。訓練も受けていないのにどうしてこんなに立体機動が上手なの?」

『…』


無視してガスを蒸し進み続ければ「名前も名乗らずに失礼だったね、ごめんごめん」と言いながら「私はハンジ・ゾエ。これから宜しくね」と付け加えた。

どうやら自分が名乗らずにべらべらと語りかけたから私が機嫌を損ねたと勘違いしているらしい。…見当違いもいいところだ。

私はお前に興味なんて一切ないし、名前を覚える気も毛頭ない。面倒だからこのまま無視しておこう。


「ところで、さっきの質問の答えを聞いてもいいかい?私はユキに興味があるんだ」

『…』

「…あれ、もしかして私もう嫌われちゃったかな?」


「困ったな」と言いながらそれでも付き纏うのをやめようとしない。…この手の人間は関わるだけ無駄だ、必ず面倒なことになる。

どうやって巻こうかと考えていると目の前にゴトンと巨人の的が現れた。アンカーを上方に射出し高度を上げ、重力によって下降する速度に足場を蹴り上げる力を上乗せして一気に的を削ぐ。


「うぉぉ!すっげぇぇっ!今の加速は巨人には絶対に捕らえられないよ!」


そう叫びながら煩い兵士も的を削いだ。深さは私より若干浅いが、他の兵士に比べたら深い。あんな奴でも一応班長というだけはあるらしい。


「ねぇねぇ、今のどうやってやったの!教えてよ!」


尚も後ろをぴったりとついてこようとしたので、私は手元のグリップを確認し一気に速度をあげる。


「え、え!?まだ早くなるの!?」

ちょっと待ってよ!という声が聞こえたが無視して全速力で木々の間を駆け抜ければ、語りかけてくる声も遠くなっていった。

適当に出てきた的を浅く削いでコースを終わらせ、フラゴンに終了したことを手短に伝えてあいつが来る前に訓練場を後にする。

次は馬術の訓練だがそれまで時間がある。今捕まればずっと付きまとわれることになるだろう。そんなの御免だ。

私はあの煩い兵士から逃げるように馬舎に向かうふりをして建物の間に身を隠す。そして周囲を見渡すと、ファーランが1つの建物の中に入っていくのが見えた。

あれは幹部の個室がある建物だ。そこに入っていったということはファーランは間違いなくエルヴィンの部屋に盗み入る気だろう。

だが、1人で行動するのは危険すぎる。通常なら見張りをつけるべきだがリヴァイがエルヴィンを殺す気でいる今、悠々と機会を伺っている暇はないと判断したのかもしれない。

協力を頼もうにもリヴァイは目をつけられているし、私とイザベルとは話す機会もなかった。


後方を見ればまだ誰も来ていない。私は周囲に人目がないことを確認し、ファーランの元へと向かった。



**
***



エルヴィンを含めた個室をもらい受けている幹部が全員この建物から離れる時間。ここ数日毎日のように様子を盗み見て見つけた時間に不自然なく訓練を抜け…漸くエルヴィンの部屋に侵入することができた。

それにしても何度やっても侵入というのは緊張が絶えない。足音一つ、外から聞こえてくる声一つ一つに敏感に身体が反応してはバクバクと心臓が波打つ。

本当は誰かもう一人にでも手伝ってもらいたかったが、リヴァイは向こうから常に監視されているようだしユキとイザベルとは寮が違うため会話できるのは兵士の目がある場所のみ。それでは計画など立てられるはずもない。


人の気配がないことを確認してから針金を使って慎重に扉を開け、引き出しや棚の一つ一つを慎重に調べていく。

綺麗に整頓されたそれらの中には特に目立ったものはなく至って普通の事務用具ばかりだ。…いや、必ずどこかにあるはずだ。

そこでふと、机の引き出しの中に一つ鍵がかかったものを発見する。

探してくださいと言わんばかりの、まるでおあつらえ向きの場所じゃないか。…まさかアンタはそんな粗忽者じゃないだろ?エルヴィン分隊長。


ーー…カチャッ。

そうして開けた引き出しの中には確かに秘密めいた書類が入っていたが、肝心の書類は入っていなかった。


「…この部屋にはないってことか?」


この部屋の全ては隅々まで調べた。それこそ本棚の裏や机の下まで書類が隠せそうなところは隈なくだ。

俺の見落としかエルヴィンが相当隠し上手じゃない限り、この部屋に書類は存在しない。…ということはエルヴィンは自分で持ち歩いているのか?

移動したものを全て元どおりの状態に戻したことを確認し、再び見つからないように部屋を出る。

階段への角を曲がった時、壁に寄りかかっていた人物に俺は思わず声を上げそうになって…その小さな手に塞がれた。


『静かに。こんなところで声だしたら見つかる』

「…ユキ、お前何でここに」


そこにいたのは身体に立体機動装置を完全装備したユキだった。解放された口で問いかけるとユキは「この建物に入っていくファーランが見えたから」と答える。


『侵入には見張りを置くのが定石でしょう?』

「そうだけどよ…、お前こんなところにきて大丈夫なのか?立体機動の訓練中なんだろ!?」

『もう終わった。一緒にやってた兵士は置いてきたし、次の馬術訓練場まで私は先に移動してるとでも思ってるんじゃないの』


おいてきた…ということは立体機動のあのコースを現役兵士を上回る速さで終了させ、追いつかれる前にここにきたということか。…こんな芸当ができるのはユキかリヴァイしかいない。

どうせ抜け出す時も誰にも気付かれず、違和感を残すことなくあっという間に姿を消してきたのだろう。改めて感心させられる。


『書類は見つかった?』

「…いや、なかった」

『ファーランが探して無かったとなると、あの部屋にはおいてないってことか』


ユキは階段を下りていく。


「エルヴィン本人が持ち歩いている可能性がある。そうしたらこの兵舎の中で奪うことはほぼ不可能だ。」

『この兵舎の中では?』

「奪っても奪われた事を他の人間に悟られないようにするには、奪われた人間が口外できないように口を塞いでも不自然じゃない状況で実行するしかない」

『つまり?』

「壁外調査だ。壁外調査でエルヴィンから書類を奪い、エルヴィンをその場で殺す。そうすれば俺たちの行動は他のどの兵士にも悟られることなく、しかもエルヴィンの死を巨人のせいにできる」


沈黙が落ちる。

始めの作戦ではエルヴィンの隊に入って隠された書類を見つけ出し、すぐにとんずらするはずだった。

だが、今俺が提案しているのはユキとリヴァイが最もこの仕事を受けることを躊躇した要因…「壁外調査への参加」を促していることになる。

ユキは階段を下りる足を一瞬止め…、再び歩みを進めて言った。


『それしか手がないなら、そうする他ない。この仕事を受けると決めた時から壁外調査に出ることも覚悟してる』


リヴァイもね。

と付け足された言葉に俺は思わず笑みが零れた。以前の二人だったら「ダメだ」の一点張りだっただろう。

しかし、こうして許可を出してくれるようになったのは二人が初日の夜に何かを語り合い…そして俺を信用してくれるようになったからだ。

自分の憧れでもあるリヴァイとユキに認められるというのはやはり嬉しい。この仕事は絶対に成功させなくては。

この仕事を終わらせた俺たちを待っているのは、地上で暮らす日常。餓鬼の頃から思い浮かべていた地上で暮らすという夢をこのメンバーで実現できるのなら、俺はそれ以上何も望まないだろう。




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