垂り雪

□一定の距離
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「ねぇ、ユキ。今日も一緒に訓練できることになったよ」

『…』

「それとは関係ないんだけどさ、君の髪は本当に綺麗だね。触ってもいい?」


ふいっとそっぽを向いて歩き始めるユキにハンジとかいう兵士はユキを引きとめようと手を伸ばすものの、心底うざがられていることを悟ったのか伸ばした手を残念そうに引っ込める。


「…チッ」


意識せずとも出た舌打ちは今ので何回目だろうか。そんなものを一々数えはしないが相当な回数になっていることは間違いない。

後ろを歩いているファーランとイザベルが困ったようにお互いに視線を合わせているのが分かるが、今は気にしてやれる心の余裕はなかった。

あのギャーギャー煩い兵士がユキに付き纏ってからというもの、まともに話すらしていない。

引き剥がしてやろうと近づけば、ユキはそれを察してか俺から距離をとる。ファーランに言わせれば「問題を起こさせないように気を使っているんだろう」らしいが、俺からすればそんなもんはどうだっていい。

元々俺たちはこのクソみたいな組織の中で目立った存在だ。今更騒ぎを起こさないようにと神経を使う必要もないだろう。

だが、ユキがそれをさせまいとしている以上、俺も付き合ってやろうと思っていた。それにしても、だ。

ユキとまともに話もしないで何日経った?地下街にいたときは顔を合わせない日も、ましてや言葉を交わさない日も一日だってなかった。

起きたらケロリと忘れているのをいい事に1週間に1、2回は酔いつぶれて抱きついてくるユキを抱きしめもした。

それが唯一の楽しみで酒を取り上げていなかったなんて口が裂けても言うつもりはないが、ただでさえユキに触れられなくてイライラしてるのに、更にあいつとの時間も邪魔されていれば余裕もなくなって当然だ。


「…」


だが、今のこの状況があのクソメガネのせいだけじゃないこともわかっている。…ユキは、俺を避けていた。

ここにきた初日、二人でファーランとイザベルを護っていこうと誓ったあの時から。…俺がユキの手に指を絡めたあの夜から。

いくら訓練で離されようと煩いクソメガネが付き纏とうと、話すらできないなんていう状況ができるわけがない。それはあいつが故意的に俺から距離を取っているからだろう。

ユキの手が指先に触れて、俺は触れたいという衝動を抑えきれずに夜風で少し冷たくなっていたその小さな手を握った。

思いかえせばユキは深い意味もなくただのスキンシップとして触れてきただけだったのだろうが…俺が欲を出しすぎた。

ユキと俺が今一番近い距離でいられるのは「仲間」でしかない。それを崩し、欲を出して近づこうとすれば…この関係が崩れるのが分かっていて手を出さないようにしていたのに。

どうしてあの時我慢がきかなかったのか、…後悔したところであの時間が戻ってくるわけでもやり直せるわけでもない。

悔やんだところで自分にあるのは後悔の2文字だけ。


「なぁ、お前らやっぱりなんかあったか?」

「あ?」


振り返ればファーランとイザベルは2人して同じようにバツが悪そうな表情を浮かべている。

「どうしてそんなことを聞く」と聞けば、イザベルは「だってよぉ…」とファーランの様子を伺うように見上げてから続けた。


「最近姉貴と兄貴が喋ってるところあんまり見てねぇし…。今までこんなこと一度もなかっただろ?」

「俺とあいつはこの兵団から目をつけられている。兵団内では離れていたほうがいいだろう」

「本当にそれだけが理由なのか?だったらどうしてお前はそんなに苛立ってんだよ」

「オイ、お前ら。これ以上余計な詮索はするな」


釘を刺すように言えば、2人はピーピー騒いでいた口を結ぶ。これ以上詮索されるのは面倒だ。こいつらには悪いが、原因が分かっているだけに問い詰められる度にやりきれない気持ちだけが大きくなっていくのは耐え難い。


「…なぁ」

「なんだ」


そんな沈黙の中、口を開いたファーランを睨みつける。これ以上詮索するなと言ったのにまだ何かを言うつもりなのか?という意味を込めて左右に揺れる瞳を見据えれば、ファーランは申し訳なさそうに口を開く。


「もしかして俺たちが無理矢理付き合わせちまったせいか?」

「あ?」


何を言っている?ファーランの言っている意味がわからない。

しかし、ファーランの隣に立つイザベルも同じように申し訳なさそうに視線を落としている。


「俺たちが地上にいけるかもしれなねぇからって、お前たちを無理矢理付き合わせちまったからか?」


そういうファーランは自分に責任があるんじゃないかと自分を責めているようだった。

違う、お前らのせいじゃない…俺のせいなんだと言おうとしたが、腹立たしいことに俺の口は思ったことをそのまま全て言葉にはしてくれない。

小さな沈黙が落ちる。

ファーランもイザベルも悲しそうに眉を下げていた。お前らがそんな表情をしなくちゃならない理由は一つもねぇだろうが…。


「…、何を勘ぐって勝手に心配してるのかは知らねぇが、お前らのせいじゃない。」

「でもよ…、だったらどうして」

「さっき言った通りだ、俺たちは目をつけられている。例の文書を手に入れてエルヴィンを殺すまでは疑われないようにしたほうがいい」

「だったらさ、この間の話あっただろ?2人でどっか出かけてこいよ。俺たち待ってるからさ」


この間の話というのは俺たちにだされた外出をする時の条件。外出許可を出せるのは一度に2人までというルールがどういう意味を指すのかは分かりきったこと。

要は残ったほうの2人は人質と同じとうことだ。こいつらを見捨てたらどうなるか分かっているだろうな、という意味合いが含まれているその条件を俺は跳ね除けた。

自分が残るのは構わないが、他の奴らを人質紛いのものにすることに気がのるわけがない。他の3人も別に外出しなくてもいいと言っていたので早々に蹴った話だった。


「言っただろう。俺はあの話にのる気はない」

「俺らに気なんて使わないでくれよ。兄貴と姉貴が一緒にいねぇと俺らもなんだか落ち着かねぇんだ」

「そうだぜリヴァイ。なんつーかさ、ユキもお前も2人で一緒にいるときが一番楽しそうでよ。見てるこっちまで嬉しくなるっていうか…」

「…はっ」


何を言っているんだ、と鼻で笑ってやる。

ユキは俺を信用しているし一番頼れる存在だと思っていることは自覚している。

だが、それだけだ。仲間としてのその気持ち以上のものがないからユキはあの時、俺の手を払った。そして今も、近づこうとしない。


「余計な気を回すんじゃねぇよ、俺たちは別に何もない。…分かったな?」

「…リヴァイ」

「…兄貴」


俺は背中から聞こえる二人の寂しそうな声に応えることはしなかった。



**
***



「…オイ、貴様聞いているのか!」


耳元で鳴り響いた胸糞悪い声になんだと振り返れば、予想通りフラゴンが見下すように俺を見下ろしている。


「俺の話を聞いていたのか!?今回の訓練でお前は討伐補佐の役割だと言っただろう!」


…あぁ、そう言えばそんなことを言っていたような気がするな、と思いながらブレードを鞘に納める。


「貴様ッ」

「…面倒くせぇな」

「なんだと!?」

「動かねぇ的を相手にどう補佐しろって言うんだ?足を斬りつければそこは的じゃねぇと怒り狂ってたじゃねぇか」

「貴様上官に口答えする気か!」

「口答えじゃねぇ、意見を聞いているんだ。お前は誰よりも早く自分が発見した巨人を他の奴に討伐させるために補佐に回るのか?その間に仲間が喰われるかもしれねぇんだろう?」


…ぐっ、と引き下がったと同時に俺はくだらないやりとりを切り上げ踵を返した。

普段だったら補佐役に回れと言われれば大人しく命令を聞いてやる。実際、今まで何回か補佐役だってやったこともあった。

だが、今の俺はムシの居所が悪い。それはユキとの一件もあるが、それ以上に俺を苛立たせる事態が起こったからだ。

数分前、俺はユキが男兵士に腕を引かれてどこかへ連れて行かれる所を偶然見つけた。

確かあれはファーランの世話役をしている兵士…、嫌な予感がして後をつけてみれば予想通りクソな状況。

兵士はユキに好きだなんだと余計な事をべらべらと語っていた。当然ユキは断っていたが、俺の心にドス黒い感情が生まれてきたのは言うまでもない。

あいつは昔からよく男に好かれていた。それは東洋人としての珍しい黒髪や白い肌という特徴もあったが、何より人懐っこい性格だろうと思っている。

ユキは俺と違って人に愛想を振りまくのが得意で、それと同じように甘えるのも上手い。この世の全てを悟ったような瞳をしているくせに、黒真珠のように光を灯すそれは深く印象づけられる。

だからなのか俺が初めてユキを目にした食事処でもユキの周りには沢山の人間がお互いに笑い合っていた。

人と関わるくせに自分の領域には踏み込ませない器用な奴だと昔から思っていたが、俺もそんなユキに惹かれたうちの一人だ。

…しかし、ユキはここにきてから殆ど他の人間に対して口を開いてもいないのだが、それでも手を出す奴がいた。

胸糞悪い。全くクソな状況。自分の中に渦巻く怒りが収まる気配はこれっぽっちもない。

ただでさえユキと触れ合う時間も取り上げられ、本人からも避けられているこの現状をなんとかしねぇといけねぇっつーのに一体なんなんだ。

後ろでごちゃごちゃと騒いでいる声が聞こえたが、俺は全ての言葉を無視して再び立体機動の訓練に入る。

こうして空を飛び、的に向かって刃を振り下ろしている瞬間だけは何もかも忘れることができた。

暫くして森を駆け抜けた時、俺たちの前で訓練をしていたのか自分のベルトに手をかけ装備を外そうとしているユキがいた。

視線が交わる。たったそれだけで胸が締め付けられるような感覚が襲う。

避けられるかもしれない、このまま視線をそらされるかもしれない。一瞬頭の中をよぎったそんな心配を他所にユキはへらりと笑った。


『リヴァイ』


久しぶりに名前を呼ばれた気がした。たった数日だったというのに、まるで何年も声を聞いていなかったかのようにユキの声が全身に染み渡っていく。

少し距離を開けて着地すればユキは俺の元に駆け寄ってくる。ふわりと揺れる黒髪から香る甘い香りすらとても懐かしく感じた。


『リヴァイは私たちの後の班だったんだね』

「あぁ、そうみたいだな」


久々に声を交わす。自分を見上げる瞳を見下ろした時、髪に木の葉がついているのに気がついた。恐らく立体機動の訓練中についたのだろう。


「…オイ、お前」

『…!』


取ってやろうと無意識に手を伸ばした時、ユキが小さく後ずさりをした。それはほんの小さく、足元を見ていなければ分からないほどだったが俺がそれを見逃すはずもない。

そのまま葉をとってやればユキは下手くそな作り笑いを浮かべる。

自分の名を呼んで駆け寄ってきたユキを見た時はもう大丈夫だろうと思った。普通に話していたし、距離も前と変わらない。

だが、ユキの身体は恐らく本人の意思とは関係なく反射的に足を一歩引きやがった。その上、この下手くそな作り笑い。

…全てが気に入らない。


『ありがとう』

「あぁ」

『じゃぁ、私これから馬術訓練だから』


そう言って慌てたように踵を返したユキの腕を掴んで引き止める。当然、驚いたユキは振り返った瞳で俺を見上げた。

黒真珠のような瞳が、
小さく左右に揺れる。


「今夜、部屋を抜けて来い」


え?と疑問符を浮かべるユキに初日に集まった場所だと続けて言い、腕を離して自分の班の元に足を進める。

回りくどいことはしょうにあわねぇ。きっぱりと謝って、俺にその気はないと言えばいい。

そうすればきっと、
また前のように戻れるはずだ。


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