垂り雪

□望み
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[今夜、部屋を抜け出してこい]


すっかり日も落ち星が輝く空を見上げた私は盛大にため息をついた。

リヴァイに会いたくないわけじゃない。ただ、最近無意識のうちに避けてしまっていただけにどんな顔をして会えばいいのかが分からなかった。

話そうと思えばできたのにそれをしなかったのは、自分がリヴァイに「これ以上」を望んでしまうのが怖かったから。

いつかはケリをつけなくてはいけないことは分かっていたけど、心の準備がまだできていない。リヴァイを好きだと訴え続けるこの気持ちが落ち着くまでは…。

…そう思っていたのに収まるどころか触れた指先を思い出して余計に気持ちは高まってしまう始末。

たった一言声をかけられるだけで嬉しいと思ってしまった、…こんなんじゃだめだ。


リヴァイと私は仲間。
それ以上の関係は望まない。

昔からそうやってきたはずなのにいつからかリヴァイを好きになり、自分でも自分を制御できなくなってしまった。

あのまま指を絡めていたらリヴァイはどんな反応をしたんだろう。手を払われていただろうか、黙っていただろうか、それとも応えてくれただろうか。


頭の中を空にしようとブンブンと首を横に振る。しかし、効果はない。


この数日、リヴァイがどうして自分の手を取ったのか考えていた。ファーランとイザベルを二人で護っていこうと私から伸ばした手。

冷静になって考えてみればその手を取るのは当然のことだったと思う。リヴァイが応えてくれたのは特に深い意味もない「一緒に護っていこう」という言葉の返事。

リヴァイの無骨ながらも暖かく大きな手に意識して慌てて、勝手に距離を開けていたのは始めから私だけ。

リヴァイからしたらどうして自分がこんな態度を取られるのかも分からずいい迷惑だ。


自分の足音が廊下に響いて反響する。1つの扉の前に足を止め大きく深呼吸を繰り返した。…この先にリヴァイがいる。

今度機会があれば絶対に謝ろうとついこの間決めたばかりじゃないか。変な意識はするな。いつも通り、いつも通りに…。


いつも通り、
隠し通せばいい。


ドアノブを掴みゆっくりと扉を押し開ければ、約束通りリヴァイはそこにいた。

夜風に髪を靡かせながら星空を見上げているその背中をじっくり見たのは随分久しぶりだった。

大好きな背中。気づけば私はいつもこの背中を追いかけている。

後手にドアを閉めると同時にリヴァイはゆっくりと振り向いた。…そう、こんな風に振り返ってくれることを期待しながら。


『待たせてごめん』

「いや。イザベルは大丈夫か?」

『もう寝てる』

「そうか」


思ったより普通に出てきた言葉に内心ホッとしながら私はリヴァイの隣に腰を下ろした。すぐ隣に座る勇気はなくて少しスペースを開ける。人1人分には狭いが、2人が並んで座るには不自然な距離。

これが今の私の限界だった。振り返った時に合った瞳にすら鼓動が鳴ってしまったのだから…これくらいの距離がないとうまく話せる気がしなかった。


沈黙が落ちる。本来なら気まずく感じる筈の静寂もリヴァイとなら全然苦だと感じない。隣に感じる存在に安心感すらある。こんな風に感じるのは長い時間を共にし、二人で色んな経験をしたきたリヴァイとだから。


隣に座るリヴァイに視線を向けようとしてやめる。

今、リヴァイはどんな表情をしているのだろう。怒っているだろうか、呆れているだろうか…何を言われるのだろうか…そんなことを考えていると「お前」とリヴァイが口を開く。その言葉に指先がピクリと震えた。


『…何?』

「この間、ファーランとエルヴィンの部屋に潜入したらしいな」


あぁ、その話か。何を言われるのだろうとドキドキしていた分ホッと息をつく。


『うん、結果はなにもなかった。』

「結果はファーランに聞いている。俺が言いたいのはどうして勝手に二人で行動したのかだ。俺はそんなこと一言も聞いていない」


ホッとしている場合ではなかった。米神に感じる視線と強くなった口調に説教のために呼び出されたのだと理解する。


『…それは、…たまたまエルヴィンが部屋を開けるチャンスがあったから相談する暇がなかっただけ』

「嘘をつくな。ファーランは前から計画して実行したんだろう?」


ファーランからは聞いていると言われ、なんでそんなこと言っちゃうんだよ!と思ったが…事前に絞られたんだろうなと思うと全て言ってしまったのもしょうがないことだと諦める。

リヴァイに追求されては嘘なんて言えない。ついたところですぐにばれてしまうのは目に見えている。


「お前は手助けしたらしいがどうして止めなかった?お前は止めるべきだった」

『周りも警戒してたし大丈夫だって思ったからそのまま見張ってたの。結果上手くいったからいいじゃない…文書は見つからなかったけど』

「今回は偶然何事もなく終わったかもしれないが、何かあったらどうするつもりだ?」


勝手な行動はするなと言われごめんと謝る。私たちが勝手な行動をしたって自覚はあったけど、わざわざ呼び出して怒ることもないじゃないか。

…あぁ、でも他の兵士がいるところでこんな話もできるわけないし当然か。それに加えて最近は私が避けていたせいで話す機会もなかったし…。


チラリと見上げれば髪の隙間から覗く鋭い瞳と視線が交わった。人一倍仲間に関しては心配性のリヴァイが怒るのは当然のことで、きっと相当心配かけたのだろうと思うと罰が悪くなり『…もうしません』と言った。

暫く睨みつけていたリヴァイは視線を逸らし「…クソッ」と吐き捨てながら片手で顔を覆う。

リヴァイは予想以上に怒っていたらしい。どう謝れば許してくれるんだろうと考えていた私は、次の言葉に疑問符を浮かべた。


「…いや、俺はこんなことを言うためにお前を呼び出したんじゃない」

『え?』


再び落ちる沈黙。
数秒の後、リヴァイは


「…悪かった。」


振り絞るような声でそう言った。

どうしてリヴァイが謝っているのだろう?謝るのは私なのに…そう問えば言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。


「もう何もしねぇから、その妙な距離はやめろ」


私たちの間に開けられた不自然なスペース。私がわざと空けた僅かな距離。


「不自然に避けられたらやりづらい。もう何もしねぇから、こっちに来い」


やっぱり私が避けてたこと気づいてたんだ…でもリヴァイは勘違いしてる。何故か私が避けていたのは自分のせいだと思って謝っている。


『違う、っ…違うよリヴァイ』


リヴァイは何も悪くない。私が勝手に意識して触れたいなんて欲を出して、そのくせ関係を壊すのが怖くなってリヴァイの手を振り払った。

全ては私があなたを好きになってしまったから…。


どこまでなら言ってもいいんだろう?どこまでなら許されるんだろう?

もう触れないなんて言わないで。ちょっと乱暴でもリヴァイに頭を撫でられるのが好きなの。本当はもっと触れてほしいし触れていたい。

そんなこと絶対に言えないけど、リヴァイのことがどうしようもなく好きなだけだから…

だから、…お願いだから
そんな悲しそうな表情しないで…。

グッと唇を噛みしめる。私は意を決して悲しげな色を灯す瞳を真っ直ぐに見つめた。…そらしてはいけない、そらしたら説得力がなくなってしまう。


『本当は嬉しかったの』

「…嬉しかった?」

『一緒に護っていこうって言った言葉に応えてくれたでしょ?すごく嬉しかった』


リヴァイの隣に、
やっと立てたような気がして。


『でも、…その…恥ずかしかった。リヴァイと手を繋いだことなんてなかったからちょっと驚いてあんなことしちゃった…こんなに一緒にいるのに今更だよね。距離を開けちゃったのも、ただどうしたらいいのか分からなくなっただけ』


本当のことだけど全てじゃない。そんな複雑な心境のまま言えば、重い沈黙が落ちた。

沈黙に耐え切れず視線を反らして再び見上げるとリヴァイは片手で口元を抑え俯いていた。…あぁ、飽きられてしまっただろうか。何言ってんだって引かれてしまったのだろうか。

しかし、私の心配を跳ね除けるようにリヴァイは「はっ」と小さく笑う。


「本当に今更だな」


顔を上げ、浮かべられていた小さな笑みに思わず目を見開いて固まる。呆れでも怒りでもない…鼓動を鳴らされるくせに何故だか安心してしまう笑みに私も笑った。

不自然にあけたスペースを詰めれば、さっきまでの違和感は綺麗さっぱり無くなりあっという間に以前と同じ距離に戻る。

心地よい、リヴァイの隣。


『だから、今回のことはこれで終わりにしよう』


リヴァイが「あぁ」と答え、今まで数回してきた喧嘩と同じように終止符を打った。これでいつも通りに戻れる…あとは私がいつも通りにすればいいだけ。


『…っ、』

…だから、いつも通りに戻ろう?「もうなにもしない」なんて言わないで。またその手で乱暴でもいいから頭を撫でてほしい。

これ以上、多くは望まないって約束するから。

今まで通りに戻れれば他は何もいらないから。

頭の中では次々と言葉がでてくるのに、言葉にしようと思うと空気ばかりが抜けて声にならない。

言いたいことが言えない…ただそれだけのことがこんなにも苦しいと知ったのはリヴァイを好きになってからだ。

言葉にしたらせっかく取り戻した関係も壊れてしまう。そう思うと勝手に口が閉じた。


「そう言えばお前、手首は治ったのか?」

『うん、もうなんともないよ』

「もう二度とあんな無茶はするな」

『それ前も聞いた』

「一回くらいじゃお前は聞かないだろうが」

『そんなことないよ』

「どの口が言ってんだ」


いつも通りの会話。でも、リヴァイは私の手首を見るだけで触れようとはしなかった。いつもなら「本当だろうな」と疑り深く触れてくるはずなのに。


「なぁ、ユキ」


しょんぼりと肩を落とし視線を下に向けた私の頬をふわりと何かが包み込む。見上げれば私の頬に手を伸ばすリヴァイと真正面から視線が交わる。

さらさらと靡く髪の隙間から覗く瞳は切なげに細められ、胸が締め付けられたように息が詰まった。

どうしてそんな表情するの?そう言おうと開いた口は肩に頭をのせられた事によって言葉を失った。


「俺に触れられるのは嫌か?」


耳元で零される小さな声。

リヴァイは何を言っているんだろう。もっと触れたい、もっと触れて欲しいという自分でも驚くほどわがままな気持ちをどれだけ押しとどめていると思ってるのだろうか。

それなのにそんなに悲しそうな顔で言われたら、…期待しちゃうよ。

リヴァイの髪が首筋に触れ、頬に添えられた大好きな手の感触が温かな体温と共に伝わってくる。

動揺する心を必死に抑え、言葉を紡ぐ。


『…嫌なわけない。リヴァイに触れられると嬉しいし、安心する…』

「…、そうか」

『だからもう触れないなんて言わないで…今まで通りにして欲しい…』


これが、私の精一杯の言葉。本当はもっと言いたい事は山ほどあるけど、この時間さえ失ってしまうくらいならこんな気持ちどこかへ行ってしまえばいい。

伸ばしかけた手を下ろし、
…開きかけていた口を結ぶ。

もう一度「そうか」と耳元で言葉を零すと、頬に触れていた手は頭へと移動しぐりぐりと乱暴に撫でる。

そんな乱暴な手つきでさえ嬉しかったくせに、照れ隠しで文句を言おうと見上げればリヴァイは小さく笑っていた。

…あぁ、その表情はずるい。


「戻るぞ、あまり長居していると怪しまれるかもしれない」

そうだねと離れていく手を惜しみながら立ち上がる。

本当に良かった。リヴァイにも謝れたし明日からまたいつもの通りに戻れる。

部屋に戻るまでにもしイザベルが起きていた時のために部屋を開けていた言い訳と、この煩い鼓動をどうにかしなくてはと思いながら腰を下ろしていた塀から飛び降りた時。

グッ、と腕を引かれ一気に視界が暗くなった。


『!』


一瞬何が起きたのか分からなかった。しかし、身体を包み込む温もりと背中に回された腕に…抱き締められていると気づくまでそう時間はかからなかった。

思考回路が停止する。


『…リ、リヴァ』

「少し黙ってろ」


更に力が込められ引き寄せる腕に、何もできずただ突っ立っていることしかできなかった。

後頭部に回された手は私の頬を硬い胸板にそっと触れさせる。いつも見ていたはずの筋肉質な身体があまりにも近くにあることと、リヴァイに抱きしめられているという事に頭が真っ白になっていく。


…どれだけ時間が経っただろう。時間にして数秒の間を永遠にも感じた頃、ゆっくりと身体が離された。

よほど間抜けな表情をしていただろう私を見て、リヴァイは罰が悪そうに表情を歪め視線を逸らす。


「今のは忘れろ。」


そうして頭をぽんと撫でて一言「早く寝ろ」と言って扉の向こうへ行ってしまった。


パタンと扉が閉まる。

『…』

…今、何が起こったの?
リヴァイに抱きしめられた?

いや、そんなまさか。
そんなことあるはずが…。

ぼんやりとした頭は一向に機能してくれそうにない。だが、幻でないことは確かだった。身体を包み込む体温も腕の感触もちゃんと残っていたから。


『…』


足の力が抜け、
ぺたんと座り込む。

どうして?
どうして抱き締めたの?

どうしてあんなに安心したように笑っていたの?

あんな風に抱きしめられて、あんな表情まで浮かべられて…忘れることなんてできるはずがない。


ねぇ、リヴァイ。私はあなたに今まで以上のことを望んでいいの?もう訳が分からなくてどうしたらいいのか分からない。余計な期待をしてしまう自分が憎らしくて…苦しい。


…忘れろだなんて、酷いよ。

リヴァイは今のことを忘れてしまうの?リヴァイにとっては私を抱きしめたことなんて、すぐに忘れてしまえるくらいどうでもいいことなの?ただの気まぐれだったの?


頬を伝う生暖かい感触に泣いているんだと気付いてからもう涙は止まらなかった。誰も見ていないことをいい事に声を殺して泣き続ける。

満天に広がる星空も、
涙で滲んで見えなかった。



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