垂り雪
□翌日
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『ねぇ、リヴァイ』
「なんだ」
『このにんじん食べて』
「自分で食べろ」
リヴァイのお皿にのせようとした人参は呆気なく突き返される。『ええー』と不満全開で言えばバシンッ!とデコピンしたとは思えないほど強烈な音が鳴った。
これはもう無理だなと諦めて渋々人参を口へ放り込めば、目の前に座る二人はぽかんと口を開けている。
…それもそうだ。昨日までまともに会話すらしていなかった私たちが、今朝になってべらべらと喋っているのだから。
「…な、なぁ…あの二人どうしたんだ?」
「よくわかんねぇけど…、一件落着したんじゃねぇの?」
なんてコソコソと話している声も微かにではあるが聞こえてくる始末。二人はやはり相当私たちに気を使っていたに違いない。
…私が勝手に起こした行動については一応解決した。だが、他の問題が起こってしまった。
ーー…今のは忘れろ。
問題がひとまず解決し、さて戻るかというところでリヴァイは私を抱きしめた。
どうしてリヴァイは私を抱きしめたのか?あの行動の意味はなんだったのか?
一晩中悩んでも結局答えは見つからず、…私はこれ以上考えないようにすることにした。考えても人の気持ちはわからないし、無駄な期待をするのも滑稽でしかない。
私はリヴァイの言う通り、
昨晩の出来事を忘れることにした。
もちろんリヴァイが去ったあとに一人で泣いたことも。
私はリヴァイの側にいられればそれでいい。いつか別れるときが来るそのときまで、一分一秒でもリヴァイの側にいたい。だから仲間以上の関係は望まない。
そう決意した私の心に昨日のことは必要ないし、リヴァイも忘れろと言っていたのだから彼にとっては私が思うほど大きな出来事でもなかったということだろう。
特別な感情なんてものではなく、ただ仲間としてやったことなのだと思うことにしよう。イザベルだってリヴァイに抱きついたりするし、それと一緒だ。
そう考えないと、
私の心がもたない。
「…ったく、いい歳して好き嫌いなんてみっともねぇな」
『いい歳してって、まだそんな歳とってないんだけど。少なくともリヴァイよりは』
「言ってろ、クソ餓鬼」
『リヴァイのばーか』
ああ、いつも通りだ。やっぱりこの距離がちょうどいい。
本当に昨日のことなんて忘れてしまっているようなリヴァイに、傷ついたりなんてするものか。
**
***
「まぁ、兎にも角にも二人は元に戻ったわけだ。これで俺も一息つけるぜ」
前を並んで歩くリヴァイとユキを見ながら、俺は二人に聞こえないようホッと息をついた。
何がどうなって二人の関係がギスギスしていたのかは知らないが、今朝になってみればキレイさっぱり蟠りは無くなっていた。
原因も解決方法も何一つ分からなかったが、これで俺も肩の荷が降りる。…いや、俺が原因じゃないんだから(多分)俺が気負う必要はないはずなんだが、同じ部屋にいるリヴァイが四六時中ピリピリしているのは正直辛いものがあった。
「確かにそうだよなぁ、兄貴ずっとピリピリしてたし」
「そのリヴァイと俺はずっと一緒に寝起きしてるんだ。こっちまで息が詰まりそうだったぜ」
「姉貴もそうだったよ。起きてるときは気張ってるみたいだったけど、ベッドに入るといつも落ち込んでた」
やっぱりそうだったのか。…まぁ当然だよな。
リヴァイもユキも普段相当なことがなければ感情を表に出したりはしない。そんな二人が感情を隠せないのは揃ってお互いのことで何かあったときだ。
「きっと昨日の夜なにかあったんだろうな」
「昨日の夜?」
「…?…昨日ユキも夜に部屋を抜けただろ?」
首を傾げるイザベルに問えば「知らねぇ」という返事が返ってくる。…あぁこりゃユキの野郎イザベルが寝付いてから部屋を出たなと察して、「いや、なんでもない」と言っておく。
当然イザベルは納得していなかったが、前を並んで歩く二人を見るとへらりと笑った。
「やっぱ、兄貴と姉貴はああじゃねぇとな」
「そうだな」
俺たちは思わず二人揃って笑った。イザベルのいう通りだ。やっぱりあの二人はああじゃねぇとこっちの調子まで狂っちまう。
「なぁ姉貴!今日の訓練のことなんだけどさ」
イザベルは二人が仲直りしたのが相当嬉しかったのか、元に戻ったユキに後ろから抱きつき話しかける。
それに答えるユキもまたいつも通りの笑顔を浮かべていて安心した。きっと俺らなんかよりリヴァイのほうがよっぽど安心しているんだろうが。
「なぁ、リヴァイ」
リヴァイの肩を叩けば「なんだ」と振り返る。そこに昨日までのピリピリとした雰囲気は一切存在していなかった。
「仲直りしたようでよかったよ」
「別に喧嘩してたわけじゃねぇよ」
「そうか。まぁ、なにはともあれ、だな」
心の中でよかったよかったと繰り返す。あと問題なのは俺の指導者であるあの兵士が余計なことをしないように見張るだけか。
せっかく平和になったリヴァイの心にもうひと騒動起こすとすればきっとこの一件だろうからな…。
「ファーラン」
不意に名前を呼ばれ「なんだ?」と答える。
「自分の周りのことくらい把握しろ。特に、自分に近い人間くらいはな」
足を止めたリヴァイから気のせいか重い空気を感じ、能天気だった俺の頭が一気に冷えていく。
…ま、まさか…もう手遅れだったのか?
再び足を進め去っていくリヴァイに、俺は何も言うことができなかった。
**
***
あの時ユキを抱きしめたことを俺は後悔していない。ただ一つ悔やむことがあるとすれば「忘れろ」と言ったことだ。
いつも酒に酔ったユキから求められ抱きしめてやっても、翌日ユキはそんなことケロリと忘れていやがる。
それをいいことに俺も拒んだことは一度もなかったが、そんな小賢しいことをするのはもうやめようと昨日ユキを抱きしめた。
俺だけが覚えていても意味がない。はっきりとあいつの記憶の中にも残したいと思った。それがどれほどリスクがあるかも重々承知の上。振り払われる可能性だって充分にあった。
〔でも、…その…恥ずかしかった〕
〔リヴァイに触れられると嬉しいし、安心する〕
それでも俺は昨日のユキの言葉を聞いて、自分の心が抑えられなかった。
どれだけ大切な存在か、どれだけ自分にとって愛しい存在なのか…改めて思い知らされた。
このまま何もしなければいつかユキは俺のもとを去っていくだろう。俺たちは仲間というだけであって家族ではない。いつか離れる時は必ずやってくる。
今までは仲間としてユキと一緒にいられればそれでいいと思っていたが今は違う。ユキと離れることはできない。
たとえ自分から手を伸ばし、それによってユキが自分の元から離れていくかもしれないと分かっていても、黙って指を咥えて別れるよりは後悔しないはずだ。
だからもう隠したりしない。
ユキは必ず俺が手に入れる。
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