垂り雪

□あと、少し
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『よく頷いたね。リヴァイのことだから話が違う、俺はエルヴィンを殺すって言い出すかと思った』


2人を見送った後、私とリヴァイは言われた通り通路で見張りをしていた。

見張り…と言ってもただ立ち尽くしているだけで何をするわけでもない。私たちが行動しなければいけないのは、合図がある前にエルヴィンを含む他兵士が万が一来てしまった時だけ。

しかし、一向に誰も来る気配はない。
幹部の部屋が先にあるというだけあって、兵士が無闇に行き来することはないようだ。


「始めは壁外調査中に殺そうと思っていた。だが、昼間のキースを見たか?あれはダメだ、指揮系統も碌にとれていないし頭の回転も悪い。エルヴィンが指示を出していたようなものだ」

『噂には聞いてたけど、確かに団長は特攻しか脳がないみたい。甘く見てたわけじゃないけど、エルヴィンがいなければ壁内に戻れないかもしれないね』


そう考え、リヴァイはファーランの言葉に頷いたのだろう。全員で生きて帰るのは最低限のこと。

文書を奪いそれを叶えるためには、私利私欲よりも全員が生きて帰ることを優先する必要がある。


大人になったねぇと冗談で言えば、黙れクソ餓鬼と間髪入れずに返された。相変わらず辛辣な言葉だがいつものことなので気にしない。

そこでふと沈黙が落ちた。自然と欠伸が出て霞む視界を指で拭う。

リヴァイのその先の通路を見るが相変わらず誰も来る様子はない。反対に右側に視線をむければ先の見えない暗闇が通路の先に広がっており、隙間風が吹き込んでいるのか不気味な音が響き渡っていた。

決して怖がっているわけではない。…決して。怖いとかそういうんじゃなくて、ちょっと不気味だと思っただけ。…うん、いやマジで。


「なんだ」

『…なんでもない』


無意識に近づいていたのか触れ合ったリヴァイの腕にさえ少し驚き、怪訝そうな瞳で見下ろされる。

パチパチと燃える松明の灯に照らされたリヴァイの顔を見るとホッとし、肩の力を抜いて深呼吸を繰り返す。

見ないようにしよう、見ないようにしようと思えば思うほど見てしまうのが人間の悲しい性。

チラリと通路の先に視線を向ければやはり吸い込まれそうな深闇に背中を嫌な汗が伝った。


「お前のその怖がりはいつになったら治るんだ?」

『は、はぁ?何言ってるの、怖がってなんかないけど?』


呆れ顔で見下ろしてくるリヴァイにそう答えれば不覚にも声が裏返った。なんて説得力のない言葉なんだろう。穴があったら入りたいと本気で思った。


『余計なこと言ってないで、もし誰か来たらどうやって足止めするのか考えてよ』


吐き捨てるように言った私は無意識に詰めてしまっていた距離を再び開けて腕を組む。決して腕の震えを誤魔化しているわけではない。断じて。

隣から呆れた溜息が聞こえてきたって気にしない。もしここにエルヴィンが来たらどうすればいいんだと考えることによって恐怖を頭から追い出そうとしていた時、すっと肩に回された手に引き寄せられた。


『…な』

「いいから、黙って大人しくしてろ」


耳元で零される声に息が詰まる。リヴァイに肩を抱き寄せられていると気づいたのは数秒後だった。


「俺の前で強がるな。わかるんだよ、お前のことは」


あぁ、やっぱりこの人に隠し事なんてできない。昔からそうだ。私のことはなんでも知っていて、こうして手を伸ばしてくれる。

悔しいけど、そこがどうしようもなく好きなんだ…私は。左側に感じる体温が暖かい。添えられた手の優しさに鼓動が音をたてる。

頼むから落ち着いてくれ。そうじゃないとこの音がリヴァイに伝わってしまうから…。


『…そうやっていつまでも子ども扱いしないでよ』

「じゃぁ、手出してみろ」

『…手?』


私は組んでいた手をリヴァイの前に出した。…そこで後悔した。前に出した手はカタカタと震えていた。

しまったと思うがもう遅い。バッと急いで腕を組み直せばリヴァイに鼻で笑われた。


「巨人すら恐れないくせに何に怖がってるんだ?…なぁ、言ってみろ」

『うるさいな!わかったよ!もう餓鬼扱いに文句言わな…んぐっ』

「声がでけぇよ馬鹿」


バシンと音が鳴ったかと思うほど勢いよく口を塞がれ、私は再び肩を落とす。

からかわれ、つい感情的になって声をあげそうになって止められてたんじゃ何も言い返すことなんてできない。

リヴァイに餓鬼扱いされたって当然だ。口を閉じ、俯いた私の頭をリヴァイはくしゃくしゃと撫でる。


「別にあいつらに言うつもりはないから安心しろ」

『…うん』


…あったかい。肩を寄せてくれる腕と寄り添うように触れ合う身体。

こうやっているとまるで恋人同士のようで胸が熱くなる。リヴァイにそんなつもりがないことは分かってる。思い上がるつもりだってない。

だけど、今くらい甘えてもいいよね?…だって誰も見ていないんだから。

私は左腕を曲げ指先でリヴァイの団服の裾を摘んだ。…本当に、本当に少しだけ。

いつもの沈黙は心地よいのに今だけは少し息苦しかった。自然と落ちた瞳に映ったのは揺れる松明の灯りに浮かぶ私たちの影。

これほどの幸せはないと、ゆっくりと瞳を閉じて今この瞬間を噛み締める。

今が見張りの最中だと忘れそうになるほどこの時間が続けばいいのにと思った。


「ユキ」


私を呼ぶリヴァイの声。
なに?と答えようとして声が出なかった。

肩に添えられていた手に引き寄せられ、私はリヴァイと向かい合う。後頭部に添えられる手。反対の手が頬を包み込み、互いの顔が寄せられる。


時が止まったようだった。

自分の中の時間が止まり、
置かれた現状を理解できない。


しかし、この状況で次におこることはたったひとつ。

吸い込まれるような瞳と数秒視線が合い、私は無意識に瞳を閉じる…




ーー…カツンッ


通路に響いた靴音に私はビクリと身体を震わせ目を開いた。リヴァイは…チッと舌打ちをし私の身体を離して当初のように壁に背を預ける。

私の身体はリヴァイに習うように勝手に壁に背を預けた。…そうしないと立っていられそうになかった。

瞳を開けた瞬間。あと僅か数センチで私たちの唇は重なるほどの距離にあった。

リヴァイは私に、
…キスをしようとしていた?

いや、そんなまさか。


「こんなところにお前達2人でどうした?」


近づく足音。やがて通路を曲がり姿を現したエルヴィンに私は口を噤み、リヴァイの影に隠れた。

口下手なリヴァイのことだ。この状況は苦しいだろうからと踏み出そうとした私を、リヴァイの腕が制したからだった。

前に出るなということか。数十秒前に頬に触れた手の感触を、私は強引に振り払って頭を切り替える。

私たちの役目はエルヴィンの足止め。ここを通られてしまったら今頃エルヴィンの荷物を物色している2人が見つかってしまう。


「部下は一緒じゃないのか?」

「…部下じゃねぇよ」

「そうか」


再び沈黙が落ちる。これほどのものはなかなか味わえないと感じるほど息苦しい沈黙。


「どうだ、兵団にはもう慣れたか」

「どいつもこいつも暑苦しい面して巨人巨人とうるせぇ」

「当然だ。調査兵団はそういう人間の集まりだからな」

「そうだろうよ、てめぇを筆頭にな」


予想に反してエルヴィンは自分から話を振ってきた。私たち2人を前にして武器も持たずに単身で堂々としている。

殺されるかもしれないという考えはないんだろうか?数時間前までは私もリヴァイも壁外調査でエルヴィンを殺そうと考えていた。

今、私たちがその喉元にナイフを向けないのは殆ど偶然なのにも関わらず、動揺する様子も全くない。背後に他の兵士を隠れさせている様子もない。

一体、この男が何を考えているのかいまいち掴めず困惑する。そんな私の迷いを他所に、エルヴィンは「今日の戦いは見事だった」と言った。


「初陣であっさりと奇行種を倒すとはな。お前達2人ほどの連携を調査兵団内でできるものはいない」


エルヴィンの視線がリヴァイから私に移される。…なんだ?その蒼瞳を睨み返せばエルヴィンはふっと小さく笑った。


「君もやはり力のある存在だったようだ。あのときは試すような真似をして悪かった」


あのとき?と隣から僅かに零された声に顔を引きつらせる。

エルヴィンが言っているあの時とはここにきてから間もない頃…ミケ•ザカリアスに刃を向けられたことだろう。やっぱりエルヴィンが差し向けたことだったか…っていうか…

ここでそれを言われたら私が後でリヴァイに問い質されるハメになるだろうが!

ほら!今めっちゃリヴァイからの視線ビシビシ感じるよ!この野郎…っあとで覚えとけよ!

リヴァイからわざとらしく顔をそらせばエルヴィンはそれを察したのか、改めて口を開いた。


「お前達ほどの才能がいれば他の団員も心強いだろう」


…私たちの、才能。確かに奇行種を倒したという実績だけからすれば華々しいことかもしれないが…。

リヴァイの瞳が細められる。一呼吸の沈黙のあと、リヴァイはゆっくりと口を開いた。


「…あの時先に戦って食われた兵士がいた。俺はそいつを食ってる巨人の動きを見て戦い方を工夫することができた」


あの一体の巨人に3人もの兵士が食われていた。私たち後列が辿り着くまでの一瞬の間に…私たちが倒すまでの間に。

とはいっても私たちからすれば所詮今だけの付き合いの人間だ。仕事のためにいるだけであってこの仕事が終われば二度と顔を見ることもないだろう。

それでも私たちの目の前にいる男は違う。同じ兵団の兵士としてずっと共に時間を過ごし同じ志を掲げた仲間だ。


「お前の言うとおり調査兵団は数え切れない犠牲の上に成り立っている。私たちはまだ外の世界について知らないことが多すぎる。だが、世界を人類の手に取り戻すためならその礎として心臓を捧げることに悔いはないだろう」


ーー…誰一人として。

しかし、エルヴィンは悔しがることもなく惜しむこともなくそう言った。意思の籠った真っ直ぐな瞳がリヴァイのそれと一瞬重なる。


沈黙が落ちた。
時間で言えばほんの数秒。

しかし、何時間にも思えるほど重い沈黙。


「兄貴!姉貴!」


沈黙を破るイザベルの声。「着替え終わったからこっち戻ってきていいぜ!」と続けられるそれになんて下手くそな言い訳だと思う。

イザベルの着替えに私も追い出されていたというのか。…まぁ、細かいところはどうでもいいのだが。


私とリヴァイはエルヴィンに背を向けイザベルと共に通路を歩いた。やはりリヴァイも思ったらしく「なんて理由だ馬鹿」と言っていた。

後ろから視線を感じたが振り返ることはしなかった。



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