垂り雪
□急襲
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頬を撫でる指先。
後頭部に回された手。
揺らめく炎の灯りに照らされたリヴァイと、真っ直ぐに瞳を覗きこむ三白眼。
触れられた箇所から伝わる体温と、まるで壊れ物を扱うように優しく触れるあの瞬間が頭から離れない。
あと数センチ。
あと数秒。
エルヴィンがあとほんの少し来るのが遅かったらどうなっていたんだろう。
**
***
元の場所に戻った私たちはエルヴィンの荷物を物色しに行った2人の報告を聞いていた。
「やはり収穫なしか」
エルヴィンもそうやすやすと私たちに文書を渡すつもりはないらしい。荷物の中には壁外調査に必要な物資しか入っていなかったという。
「肌身離さず持てるってんなら方法は一つだ」
「…やっぱり」
「殺るしかねぇだろ」
全て手は尽くした…もうこれしかないというのならやるしかない。ファーランも他に案はないようだった。
「そうは言ってもな…簡単に殺れる相手じゃないぜ…」
『それでもやらなきゃここに来た意味がなくなる。平和的な考えは捨ててもう一度考え直そう』
「タイミングならさっきお前らとエルヴィンが対面してた時が一番よかったんだろうな…、もう一度あんな都合のいい場面を作るのは難しい」
「呼び出しちゃえばいいんじゃねぇの?」
「馬鹿、そんな派手には動けねぇよ」
こそこそと作戦を練る私たちに一人の兵士が向かってきているのが視界の端に入った。
「ちょっといいかな」
誰かと思い見上げた時、私の顔は間違いなく引きつっていただろう。目の前に現れた人物に私は思わず舌打ちをしそうになった。
「やぁユキ!私の姿を見た瞬間に嫌そうな顔されたけど、私は君に会えて嬉しいよ!」
『…私は嬉しくないから帰ってくれる?』
「相変わらず酷いなぁユキは。最初は全然喋ってくれなくて、漸く話してくれるようになったと思ったら可愛い顔して酷いことばっかり言うんだから」
私はめげないけどね!と言いながら肩を抱き寄せてくるハンジにもう何も言ったりはしない。構っても無視してもしつこく付き纏う奴だと最近学んだからだ。
「…てめぇ、一体何の用だ。ユキから離れろ」
「あれ、こっちは本気で怒ってるねぇ。でも私はユキを愛でに来ただけじゃないんだ」
『だったらさっさと用件を言ってくれる?』
「うん、そうだね。いやぁ 見ていたよ、決定的瞬間!」
ケラケラと笑顔を浮かべながら発せられた言葉にその場の空気が一気に凍りついた。
…決定的瞬間?
まさかエルヴィンの荷物を調べていたところを見られたのか?
「…決定的瞬間?」
リヴァイの右手が背後にある荷袋に忍ばされる。こちらからでは見えないが恐らくナイフを取り出したのだろう。
もし見られていたとしたら早急に手を打たなければならない。逃げ場のない壁外での粛清なんて真っ平御免だ。
「…なんのことだ?」
「なにって、君が巨人を倒すところに決まってるじゃないか!!」
しかし、返ってきたのはやはり巨人の話。一瞬でも驚いたのが馬鹿だった。ここの人間は巨人のことにしか興味がない巨人馬鹿だったんだ思い出す…特にこいつは筋金入りだ。
「ホント凄かった!思わず滾ったよ!!」
「…あぁ」
あーあ、リヴァイが呆然としてる。当たり前だ…意味深な登場の仕方と先程の真剣な態度とはうってかわってこの表情。
目をキラキラさせて巨人、巨人…さっきリヴァイがエルヴィンに言っていた人種の代表のような人間が急襲しにきたのだから。
ファーランはほっと息をついていたがイザベルはまだ警戒しているようだった。
そんなこと御構い無しにハンジは続ける。
「私はハンジ・ゾエ。君はリヴァイでそっちの子がイザベルだよね?それと…と……」
忘れてしまったのか自分の方を指差しながら言葉を詰まらせるハンジにファーランは渋々自分の名前を名乗る。
すると「そうそうファーラン!よろしく!」なんて忘れていたことをなかったことのように馴れ馴れしく肩を叩くものだから、ファーランが少し驚いていた。
地下街には決して存在しないような人間に、みんなが苦手意識を持つのは当然だと思う。
「ユキは全然君たちのことを話してくれなかったけど、訓練のときから色々噂は聞いていたよ。リヴァイも訓練兵団へ行っていないんだよね?」
なのになんであんな立体機動が上手なの?
と、ハンジは私にも以前してきた質問をリヴァイに投げかける。私は当然のようになにも答えなかったが、リヴァイも答える気はないようで妙な沈黙が落ちた。
しかし、隣にいたファーランが答えるように促したらしい。リヴァイは渋々口を開いた。
「練習したんだ、何度もな」
「誰からも教わらずに?私なんて最初はベルトでバランスをとるのも難しかったけど…何か上達する秘訣とかあるの?」
「別にない」
こんな会話を前にも聞いたような気がする。自分とリヴァイの受け答えが殆ど同じなのがおかしかった。笑ったりはしないけど。
「あっはは!ユキにも前同じようなことを言われたよ!」
だからなんで言うんだよ。
こっちを見ながらケラケラ笑うハンジから視線をそらす。一瞬リヴァイとも視線があったがそちらもそらした。
「それにしてもアッサリ言い切るね、小さなヒントでもいいんだけど…ほら、皆だって知りたがってるみたいだしさ」
ハンジの視線を追ってみれば、休息をとっていたはずの兵士がこちらの様子を伺うように視線を向けていた。
私たちの会話を聞いていたのだろう。その中には同じ班員であるフラゴンとサイラムの姿もあった。
「皆君たちの戦いを見て、やり方によっては人間だって巨人に負けないって勇気付けられたんだよ。本当に素晴らしかった!」
今日の壁外調査で巨人を討伐したのはリヴァイと私が倒した1体…それと前列のほうで3体だけだったという。
あとは囮になった人間が食われている間に隊列ごと逃げ延びただけ。巨人を討伐したことがある兵士は数えるほどで、中でも奇行種を討伐したというのは本当に珍しいことらしい。
褒められたのがよほど嬉しかったのか、イザベルは「だから是非…」と言いかけたハンジの言葉を遮って「俺たちすげーだろ!?見直したか!?」と前のめりになった。
「うん、凄かったよ。だからリヴァイに是非コツを…」
「兄貴はな、一番強ぇーぞ!地下でも一番だ!」
「そうなんだ!その強さの秘訣を知りたいな。ねぇリヴァイ…」
「兄貴はな!えーっとえーっと…とにかく強い!!」
これではリヴァイに話を聞けないと思ったのか、ハンジはクッキーをあげて口を閉じさせるという手段にでた。
思惑通りイザベルはぽりぽりとクッキーを食べ始める。一枚もらって食べてみるとこれが意外と美味しかった。
「どうだろう、君の考えを教えてもらえないかな?」
懲りずに続けるハンジ。私の口も開けなかったのだから、よほど強敵であるリヴァイの口なんて簡単に開けるはずがない。
「断る、俺は我流だ。人に教えるようなものじゃない」
「…でも」
「悪い、もう疲れた」
やっぱり無謀な挑戦だった。ハンジは「…そう、休んでいたのに悪かったね」と残念そうに立ち上がる。
「イザベルもファーランもありがとう。また今度ゆっくり話そう。生きて帰れたら食事を奢るよ、ユキとも約束してるしね」
約束なんてした覚えはないが。
でも、まぁあれでも一応引き際は心得ていたようだ。じゃぁねと言いながら去っていったハンジの背中を見送りながらファーランがポツリと呟く。
「初めて面と向かって話したが、相当変わった性格だな。ユキの苦労が計り知れないぜ」
『きっと悪い人ではないと思うけど』
「あいつと飯に行く約束をしてるなんて初めて聞いたが」
『私も今初めて聞いた』
不機嫌そうに問いかけてきたリヴァイにそう答えれば、「そうか」と少し声が柔らかくなった。
この壁外調査で目的を達成させれば、私たちは兵団を離れることになる。だから、ここの兵士との約束なんてするなと言いたかったのだろうか。
「…変なヤツだったが、なにか簡単なコツでも教えてやれば良かったじゃないか」
「お前ら以外、他人の命に責任を持ちたくない」
ファーランは「大げさなヤツだなぁ」と笑っていた。
決して大げさでないことを私は知っている。こんな状況に身を置いているからこそ…いつ命を落とすかわからないからこそ…大切な仲間を失いたくない私たちは常に気を張り続けている。
だが、リヴァイがこういった事を口に出すのは本当に珍しい。いつもなら決して口にしないのに、さすがのリヴァイも少し参っているようだ。
『…』
だったら、さっき私にしようとしたことも…何かの間違いだったのだろうか…?
自分の頬に手を添え俯くユキをリヴァイが見ていることに、彼女が気づくはずもなかった。
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