垂り雪

□敬礼に込めた思い
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突然のハンジの急襲後、私たちはフラゴンに呼び出され最後の確認をしていた。


「いいか、出発前の講義で説明は受けていると思うが明日は長距離索敵陣形の訓練が控えている」


各隊が分散して配置され、確実に前後左右が見える距離で等間隔に兵を展開。最大限に索敵・伝達範囲を確保しつつ前進する。

今日ここまで来た時のような縦並びの陣形とは大きく異なるが、この陣形であれば前衛が全体の目となり巨人との接触を可能な限り避けられる…らしい。


伝達に使用される信煙弾は既に各々の元へ支給済み。巨人発見の際は赤、進行方向は緑…そして緊急事態が黒。

こればっかりは使わずに済めばいいがな…とフラゴンは陣形図に向き直る。


「我々の配置はここ、次列四・伝達だ。予備の馬と並走しつつ主に伝達の役割を担う」


次列四か…、陣形図を見るにとても安全な場所とは言い難いが指揮班であるエルヴィンとの距離はそれほど遠くない。

しかし、間に挟まれている班が邪魔だ。…あれではエルヴィンのところに向かうまでに見つかる可能性が高い。

…というよりこの陣形自体しっかりと組まれすぎていて移動が難しい。少しでも陣形を乱せば周囲の班員に気づかれる。


「だが、いかにこの陣形が優れていても巨人を避けて通れるとは限らない。なんたってここは壁外だ。いつ予想外の事態が起きても不思議じゃない…特にこの班はいまひとつまとまりに欠ける」


チラリとこちらに視線を向けるフラゴンにイザベルがあからさまに表情を歪める。

しかし「だが、幸い人材には恵まれている」と付け足したフラゴンに満足したようだった。


なんだかんだ言ってフラゴンも私たちの力だけは認めているらしい。頭の固いだけの人間だと思っていたが本当はそうでもないのかもしれない…なんて思ったりした。


「どの一角が欠けてもしゃれにならん。心して臨んでくれ」

「よーし!やってやるぜ!!」

「おいイザベル、お前一人で頑張ればいいってもんじゃないんだ。ちゃんとこの陣形の本質を理解してるのか?」


…あぁ、やっぱりこいつは頭が固そうだ。折角やる気を出したイザベルに水を差したサイラムに私は小さく溜息をつく。ああいう人間は昔から苦手だ。


「当たり前だろ!難しいことは予行訓練の時に体で覚えた」

「分かった分かった」

「いいから聞け、お前ら4人は知らないと思うが正直なところ我々調査兵団を取り巻く状況は芳しくない」


二人の言い争いを仲裁したフラゴンは現在の調査兵団の置かれている現状について語った。

納税者たる市民は勿論のこと、壁外調査に多額の費用を要する調査兵団については他兵団や中央からの視線も厳しいものがある。

兵団も一枚岩じゃないのか、というファーランにフラゴンは未だ巨人について大きな成果を持ち帰れないでいるからだが…と続けた。


「確かなことは一つ。この新陣形の成果が我々の今後を左右することになる。必ず成功させて次への道標とするぞ!」

「おう!」

「「『…』」」


フラゴンの呼応に反応したイザベルに私たちは言葉がでなかった。サイラムは勿論だが、敬礼したのはその二人だけ。

自分でも驚いたようにこちらを向いたイザベルは、どうやら無意識だったようだ。


**
***


班員で最終確認を行った後、私たちは再び元の場所へ戻り各々シーツを敷いて横になった。

松明の炎が揺れる。周りの兵士はもうすっかり眠りの中に落ちていた。


「…にしても、あれだけ完成された陣形だと隊列を離れただけで目立ちそうだ。陣形を乱すリスクを考慮しても壁外調査中に書類を奪うのは諦めた方がよさそうだな」

『思ったよりは近い配列だったけど、あそこから指揮班のいる場所まで他の班員に気づかれずにいくことはできないね』

「4人は目立つな」


ぽつりと呟かれた声に私は荷袋に座るリヴァイを見上げる。

班員は6人。4人が抜けるのはほぼ不可能というのなら、人数を絞ろうということだろうか。

だとすれば私とリヴァイ2人で行くのだろう。いくらリヴァイとはいえ指揮班の班員を一人で相手にするのは難しい。

加えて相手もこちらも乗馬体制…刃を交えるには最低の条件と言える。


「…それよりも生きて帰ることに集中すべきだぜ」


とファーランが呟いた。昼間の光景を見て生き延びるだけでも難しいということに気づいたのだろう。

文書を奪う計画を立て直そう、というファーランにイザベルが頷いた。


「書類はもちろん大事だけどあいつらの邪魔にはなりたくない」

「なんだイザベル、そんなに美味かったのか?あの菓子」

「そんなんじゃねぇよ!!」

「馬鹿、声でかい」

「…美味かったけど」


先程の敬礼といい、よほどここの兵士に感化されたらしい。地下街には彼らのように一つの目標に向かって…それも自分の私利私欲だけではなく人類の為にと己の命をかけようとする人間なんているはずもない。

そういう今まで出会ったことのない人間と接し、イザベルは少しずつ心を動かされていった。

私たちのように完璧に線引きを行うのは、幼いイザベルにはまだ難しい。


「俺ここのやつらがこうやって壁外に来る理由がなんとなく分かった気がする。壁を越えるのは俺たちが地上に行きたいって上を目指すのに似てるんだ」


イザベルは続ける。


「地下の友達にも上を夢見たまま死んだやつはたくさんいる。そいつらを見て絶対上に行ってやるって思った」

「巨人をぶっ殺しに壁の外に出るのと似てる…か。」

「なぁ、兄貴…変だと思うかもしれねぇけどさ。今日みんなと話してあいつらにはまた壁外で暴れてほしいって思った。これからも何度だって」


イザベルは荷袋を抱え、うつらうつらと首を動かす。瞼はゆっくりと下がり始めその瞳を覆っていく。


「…へへへ、王都で暮らせるようになったらさ、豚野郎からしこたまぶんどってどうでもいいもんに全部使っちまおうぜ…」


そう最後に言い残し、イザベルは瞳を閉じた。すやすやと規則的な寝息が聞こえてくる。


「やれやれ、そのうちお前らが心臓を捧げるとか言い出す前に書類を奪う計画を立て直さなきゃな」


私たちは三人視線を合わせ、それはないかと小さく口元を緩めた。


「お前ら2人が「心臓を捧げる」なんて言い出したら、それこそ人類を護る三枚の壁は一瞬にして跡形もなく崩壊するだろうな。」


**
***


うつらうつらと夢の世界に入り込めそうになるものの直前で目が覚めてしまう…そんなことを何回も繰り返していた。

松明の灯りさえ消され、
周りに広がるのは暗闇だけ。

瞳を開ければ暗闇に慣れた目はすやすやと気持ちよさそうに眠るイザベルを写した。上半身だけ起こしてみればファーランも夢の中に落ちている。

私は再びぽふんと荷袋に頭をのせた。頭の中は今日起きたことが走馬灯のように駆け抜けて眠りへと落ちる様子はない。

私は何をしているんだろう。身体はきっと疲れきっていて睡眠を欲しているに違いない。明日だってまだ壁外調査は続けられるのだから休まないといけないことはわかってる。


…でも、寝られそうになかった。元々こんな慣れない場所で寝られるような性格でもないし、兵団のベッドで熟睡できるようになるまでも時間がかかった。

そうやって静かな空間で瞳を閉じれば思い出すのはリヴァイのこと。…あの時本当にリヴァイは私にキスをしようとしていたんだろうか?

何かの間違いじゃ…、いや、でも…。

寄せられた唇は、
あと数センチで触れていた。

以前は私を抱きしめ、今度はキス…。


『…』


どうしてリヴァイは私を惑わせるようなことばかりしてくるんだろう。どうして諦めようと必死に耐えている私の心を動かそうとしてくるのだろう。

もうやめてほしい。
変な期待はさせないでほしい。

…どうしたらいいのかわからないよ。


背中に意識が集中する。後ろを振り返ればそこには夢の中に落ちているリヴァイがいるだろう。

きっとその寝顔を見たらまた色んなことを思い出してしまうからと、私は横になった時から背中を向け続けていた。例え寝返りを打ちたいという衝動に駆られても絶対に動かなかった。

さっきまでだって気にしているのは私だけで、リヴァイはいつもと同じような顔をしていた。私を抱きしめた時と同じように、何事もなかったかのように接してくる。

また忘れろだなんていうんだろうか。
できもしない無理難題を平然と言うのだろうか。

リヴァイと一緒にいるのが辛い。
…そう感じたのは初めてだった。


「寝られないのか?」


静寂の中、ぽつりと零された声にびくりと身体が震える。もぞもぞと布擦れの音が聞こえた…リヴァイが寝返りを打ったのだろう。


『…起きてたの?』

「あぁ。隣の奴がさっきから落ち着きなくて寝られねぇ」

『…』


それは悪かったね。
でも、私のせいじゃない。


「何を考えていた?」

『…別に』

「頭を抱えていたようだが」


それは無意識だった。


『…、…明日のこと』


本当はあなたのことを考えていたんだけど。

…なんて、小心者には言えない。
私はリヴァイのこととなるとどうにも強気でいられなくなってしまうから厄介だ。

そうか、と言うとリヴァイは私の頭をくしゃくしゃと撫でた。私はその手を黙って受け入れることしかできない。…もう振り回さないでほしいと思っているんだから振り払えばいいのに、それはどうしてもできなかった。


『…ごめん』

「何がだ?」

『起こしちゃったんでしょ?』

「俺も寝られなかっただけだ」


本当にそうなのかどうか…私にはわからない。リヴァイは嘘をつくのがいつだって上手すぎるから。



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